50000 | ナノ


    今夜2時、行くからな。

がつんと殴られたような気分で目を覚ました。暗い。胃の中に氷を放り込まれたように胸の中が引き攣って、ひぐ、だか、ふぐ、だかの小さな悲鳴が出た。何時だ。今、何時だ。いつの間にか寝転んでいたベッドを軋ませながら起き上がり、脚を床につけようとした途端。「いてっ」。踵が何かに当たる。自分のものではない声。聞き覚えがある。約束をした。今夜2時に、と。

サーッ、と血の気が引いていく音を、マルコは自分の体に聞いた。

「…おはよう、マルコ」
「……………おは、よう」
「もう少し寝とけば?まだ朝には早いぜ」

ベッドに背中を預けて、床に座り込んでいたのはなまえだ。マルコの恋人。武骨で消極的なものだからあまり恋人らしいことはしないけれど、時折来るお誘いは年甲斐もなくドキドキしてしまうほど熱が籠っている。
通りすがりに「行くからな」と囁かれたのは昼の1時。彼の足りない言葉を補うのであれば、『今夜お前を抱きたい、皆が寝静まった2時頃に行くから、部屋で待っていてくれ』ということになる。久しぶりだった。最後に肌を合わせたのいつだったろうか。いい年してこの程度で動揺するのもみっともないとは思ったが、そわそわしてしまうものは仕方がない。部屋に戻って深呼吸をし、きちんとベッドメイクされて乱れのないシーツや枕をわざとずらした。マルコが几帳面な性格だとはなまえも知っているが、あまりに整っていると期待しているようではないか。    いや、実際、待ち遠しくはあるが。
マルコはその他にも部屋を少しだけ散らかしてからブランデーを一杯呷ると、あとの13時間をどうやって過ごしていいのか解らなくなってしまった。やがて一人でそわそわしているのにも限界が来て、一番隊員の訓練を見に行ったり、酒を飲んだり、飯を食べたり、酒を飲んだり、サッチと話したり、酒を飲んだり。    要するに、飲み過ぎたのだ。

暗がりの中、時計の針がこちこちと響く。「…何時」。問う声は震えていたかもしれない。酒の入ったグラスを噛む音の後、静かに返されたのは「5時半」だった。    なんということ。

「その、わるい、飲み過ぎちまって…」
「ああ、一番隊長は人気者のようでなによりだ」
「ぐ…っ」

サッチと飲んでいるうちにあれよあれよと周囲が集まってきてしまい、最終的にどんちゃん騒ぎの飲み会になった。12時にはその場を離れて部屋で酒気を抜きながら約束の時間を待つつもりだったが、12時は1時になり、つい飲み過ぎてしまった頭はベッドへ辿り着いた途端あっという間に意識を手放した。

その結果が、これだ。

なまえは約束通り、2時に来たのだろう。明かりの消えた部屋と、ベッドで寝こける酔っぱらいを見て何を思ったのか。
自分だったら、とりあえず苛つく。確かに約束は一方的であったが、耳に届いて、否定をしなければ、それは立派な約束だ。まして恋人との夜の約束を、とんでもなく酷い形でマルコは破ってしまった。蚊の鳴くような声で罪悪感たっぷりに伝えた「わるい」は、しかしなまえの気が済むまでには至らなかったようだ。ぐび。酒を呷る音が聞こえる。暗闇に慣れてきて見えたなまえの姿は、マルコに背を向けたまま微動だにしない。

「勝手に誘って、返事を聞いていなかったな。嫌なら嫌だと、はっきり言ってくれればよかったのに」
「ちげェよい…ただ、少し、飲み過ぎちまって…」
「疲れてたんだろ。昼間も訓練に付き合ってやってたみたいだしな」
「それは、お前が…」
「おれは今夜が待ち遠しかったから、昼寝をしたよ。おかげでお前の寝顔をじっくり眺められた」

ちくちく刺さる嫌味が辛い。これは相当怒っている時の責め方だ。なまえが喋る度に小さくなっていくマルコの声は、とうとう消えて、何も言えずになまえの服を掴んだ。控えめに引っ張る。せめて、こちらを向いてほしい。悪いのはマルコだ。それは認める。けれど、じゃあ、なまえだって。たまにしか誘わないから、こんな風に期待値が上がって、らしくもなく羽目を外してしまうんじゃないか。

「………」
「マルコ、服が伸びる。離してくれ」
「………」
「マルコ」
「………わるい」
「別に怒ってない」
「………嘘だろい」

ぐい。一際強く引っ張ると、なまえはようやく振り向いた。無表情だ。グラスをサイドテーブルに置いて、ベッドの上に二人分の体重が乗る。マルコは覆い被さられるままに、再び体を横たえた。

「…楽しみにしてた、って言ったら、笑うか?」
「笑うわけねェよい…」
「おれはこんな性格だから、お前を誘うのは、これでも結構苦労してる」
「ん…」
「……まァ、寝てるお前見て、正直少し、いらっとした」
「……少し?」
「……………かなり」
「…わるい」
「うん」
「おれも、楽しみにしてた」
「…うん」
「楽しみにしすぎて、どうやって待ってりゃいいのか、わかんなくなった、…っつったら、笑うか?」
「…笑わねェよ」

そんなとこだと思った
にやっと、ようやくなまえは笑って、マルコの唇にキスをした。触れるだけのキスは、行為にまでは繋がらないのだとわかる。「お前、心配事とかあると悪酔いしやすいもんな」。柔らかい声は、もう怒っていないようだった。ホッと一息。酒臭くて、自分にうんざりだ。

「今度から、夜中にいきなり襲いにいった方がいいかもな」
「襲う、って…」
「それが嫌なら、約束した後はずっとお前の側にいる」

どっちがいい?と笑ったなまえも、ほんの少し酒臭い。苛立ちを紛らわせるために飲んで、酔ったんだな。ああ、悪いことをした。    とは、思うのだけれど。

「…どっちも」

と誘う甘ったるい声は、きっと素面では到底出せないだろうから。マルコはちょっとだけ、頭を回るアルコールに感謝した。


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