50000 | ナノ


食堂に入った途端、シャチの目には薔薇が咲くような錯覚が見えた。甘ったるくてピンク色の空気。思わず悲鳴に近い引きつった声を出してしまったシャチは、次いでその空気の元凶を確認して今度は息を止める。そっと目を逸らした先にいたのはペンギンだ。息をひそめて海図をテーブルに広げていた。出てけばいい話だというのに、おそらくは出ていくタイミングも失ってしまったのだろう。二の舞にはなるまいとシャチが極力不自然ではない動きで食堂を出ていこうとした時、しかし運悪くもばっちり目が合ってしまった。ローをがっちり抱き締めたなまえと。

「シャチ、悪いんだけどそこの本取ってくれないか?キャプテン離れてくれなくて…」
「…あ、はい…」
「なんで敬語なんだ」

ふ、と笑った顔は爽やかだというのに、胸元に引っ付いているもののせいで事後のような色気を孕んでしまう。
場所は食堂。食事を終えた後の人も疎らな空間で、本を読む行為は全くおかしくない。広間のような扱いも受けるここでは、普段から船員が暇潰しにカードゲームをしたり談笑したりと自由な時間を過ごしている。なまえは腰掛け、いくつかの本をテーブルの上に積んで読書を楽しんでいるようだ。それはいい。それは普通だ。
しかし、胸元にはロー。ローがいる。
小さな子供が母親に抱かれて眠っているように、なまえの膝の上に乗ったローはすやすやと寝息を立てていた。シャチは声を大にして問いたい。なぜここで寝る。頼むから、いちゃつくなら部屋へ行って二人きりでやってくれと懇願したい。しかし出来ない。ド天然のなまえには「どうして?静かにしてるじゃないか」と純粋な瞳で聞かれてしまうだろうし、ローにはニヤニヤとした顔で無言の『こいつはおれのもの』アピールをされるに違いない。そんなアピールをしなくとも、なまえがローのものだということならばここの船員は皆解っている。この件に関してはなまえの人権など知ったことではない。なまえはローのもの。それが暗黙の了解だ。

「…船長、眠いならベッドで寝かせた方がいいんじゃないか?」
「んー、おれもそう思うんだけど、飯食った後に本読んでたらここで寝始めちゃって。動こうとすると怒るんだよなァ」
「…うるせ……みみもとで、しゃべんな…」
「ん、キャプテンくすぐったい」

もぞもぞと身動ぎをするローの髪の毛がなまえの顎を擽る。なまえは甘やかすような声色で苦く笑うだけで、ローを退かそうとも悪態をつくこともしなかった。
シャチは再びそっと目を逸らすと、なまえに言われた本を手渡してその場から離れようとするが、ふと不思議な気分になる。「昨日はなまえが寝かし付けてやんなかったのか?」。こんな時間に眠たくなるなんて、まるで徹夜したみたいだ。浮かんだ疑問をそのまま口に出して、しかしすぐに後悔した。これは、聞くべきではない疑問だと気づいたのだ。

「あ、…あー、いや、うん」

ほのかに赤く染まる頬と、恥ずかしそうに濁した言葉。一緒に寝たとも、寝てないとも言わない。シャチの目にはまた薔薇が咲くような錯覚が見えた。

船医としての仕事以外、唯一と言っても過言ではないなまえの役目がローを寝かし付け人間らしい生活をさせることだ。なまえは仕事を放棄するような男ではないし、ましてや昨晩まだ眠くないとぐずるローを連れて部屋に行った姿も見ている。寝てるのに寝てない。    つまりそれは    ひとつしかないだろう。

「…腰負担かかるからさァ、やっぱりベッドで寝かせれば?」
「そ、そうだよな、うん…そうする…」

真っ赤な顔で頷いて、ローを抱き上げさっさと撤収。なまえの肩口から顔を出したローは、不機嫌そうに瞼を擦りながらもそもそと何か耳打ちしていた。わずかに見えるなまえの耳が更に赤く染まる。何を言ったのかはわからないが、シャチは二人を見て思う。きっとペンギンも思ったはずだ。

バカップル、爆発しろ。


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