エンヴィがクザンの執務室にコーヒーを持って戻ってきたのは、通常掛かる時間よりも随分と遅れていた。何も今すぐ早くどうしても飲みたいということでもないのだから多少の遅れは構わないのだが、仕事は討伐でも使いっ走りでも手早くこなすエンヴィにしては珍しいことだ。首を傾げて理由を問うと、この察しのいい部下はそれだけでクザンの言いたいことを理解したらしい。申し訳ない顔でコーヒーを差し出したが、そのコーヒーの湯気から鼻をくすぐる匂いが漂ってきて、エンヴィが遅くなったことはどうでもよくなってしまった。
いい匂いだ。いつもとは違う豆なのかもしれない、匂いが違うが、クザンにとってはどうでもいい。彼の淹れるコーヒーは総じて美味いからだ。
「遅くなってすいません。給湯室で同期と会ったもので話し込んでしまいました」
「ああ、スモーカー?」
「いえ、ヒナ大佐です」
「ああ〜そういえば同期だってな。今度また会ったらおれのことよろしく言っといて」
「お断りします」
冗談ぽくにっこりと笑って自分の席へと戻っていってしまう。その背中に軽いブーイングを飛ばしたが、クザンとて真剣にヒナを紹介してほしいわけではない。エンヴィがヒナを大事にしていることは端から見ていても明白だ。美人を見れば誰でも口説くクザンを、彼女に勧めるはずがない。
エンヴィは博愛主義の見本のような男である。『誰にだって公平で、優しく親切に接する正義の人』。周囲からの評は道徳の教科書に載っていそうなほど美しい言葉だったが、だからこそ嘘臭く、クザンとて彼が部下として配属になる前は信じてはいなかった。
実際、確かに博愛の男である。仲良くなった人間は当然のように慈しみ、苦手なタイプの人間がいても嫌うことはない。立場や性別で態度を変えることもなく、憎むべき海賊にすら向ける視線は悪戯好きの子供を叱りつけるようなものだ。
人を愛する性格は、海兵より神父にでも向いているのだろう。人間らしさがなくて、時折クザンはゾッとする。彼の中身が空虚に感じてしまうのだ。もちろんサカズキのような非情とは正反対ではあったが、感情ではなく規律や理想で生きる人間は時としてひどく残酷になることをクザンは嫌というほど知っていた。
だからクザンは、エンヴィが楽しそうに談笑していた相手を実は苦手に思っていたり、仲の良い同期にはさりげなく割りの良い仕事を回してやったり、人間らしい一面を知るととても安心するのだ。
誰でもいいから彼の感情を波立たせて、人間らしくしてやってほしい。その点ではヒナとエンヴィがくっつけばいいのにとクザンは密かに願っていた。冗談でも成り行きでも、エンヴィはクザンより彼女を優先した。その気持ちが恋になればいいと、お節介なおじさんは思うのである。
まだかしら青い春