スモーカー長編 | ナノ



(………イテェ)

腰の痛みで目を覚ましたスモーカーは、上半身をむくりと起き上がらせて暫し呆然としてしまった。腰だけではない。レイプのように喰い荒らされた全身が痛い。噛み跡やキスマークはいつもと変わりないが、今日はそれに加えて強く体を掴まれた跡と、首を締められた跡がある。戸惑ったままろくな抵抗もせず強いられた行為自体、普段よりも格段に乱暴だった。無理矢理ねじこまれた尻が、少し動かすだけで悲鳴をあげている。

    覇気、使えたのか。

全身に残る指の形の痣を見て、スモーカーはぼんやりと思った。海楼石の枷を使わなかったエンヴィは、ロギアの肉体でも容易にその手で掴んでいた。これは覇気を扱える者にしか出来ない所業のはずだ。つい最近まで覇気の存在すら知らなかったスモーカーには、知っていたどころか既に習得していたエンヴィに驚いて、少し悔しくなって、それから不可解だった。覇気が使えるのなら、セックスに海楼石など使わなくたって良かったはずだ。けれどエンヴィは毎回必ずスモーカーを拘束した。何の抵抗も出来ないスモーカーを、八つ当たりのように蹂躙した。
元からそういう加虐趣味だったのかもしれない。覇気を扱えないスモーカーに気を遣って黙っていたのかもしれない。今この瞬間に、覇気を扱えるようになったのかもしれない。それとも何か、別の理由が。
しっくりくる正解が見当たらないスモーカーには、急にエンヴィという男が何を考えていたのか解らなくなってしまった。海軍入隊時からの長い付き合いだ。裏も表もない、温厚な人柄だ。心が広くて、全てを許して、何事にも動じない。    そう思っていたのは、もしかしたら、スモーカーだけだったのだろうか。

「…………スモーカーくん」

沈黙の中にぽつりと落ちた静かな声に、スモーカーは肩を揺らした。視線を隣にやれば、エンヴィがうっすらと瞼を開けてスモーカーを見上げている。いつの間に起きていたのだろう。真っ暗な瞳だ。奥が見えない。名前を呼んでから何も言わないエンヴィをスモーカーもじっと見つめ返して反応を待っていると、瞳はやがて水分を孕み、ぼろりと涙が零れた。「ごめんね」。弱々しい声の謝罪は、何のことを謝ったのかわからない。スモーカーは黙って聞いた。

「ごめんね」

「ごめん」

「ごめんね、スモーカーくん」

「ごめんね」としかエンヴィは言わない。ほろほろと零れてシーツに染みを作る光景に胸が痛んで、スモーカーは指先でエンヴィの目元を拭ってやった。謝る必要なんかない。ここまでエンヴィを追い詰めたのは、きっとスモーカーだ。原因は未だよくわかっていないのだけれど、このエンヴィが本当にエンヴィなら、何の理由もなくスモーカーを痛め付けたりはしない。

「スモーカー、くん、ごめん」
「…怒ってねェ」
「………ごめん」
「うるせェ」
「………………ごめん」
「……全部、言え。おれに隠してることと、黙ってたこと、全部だ」
「…言ったら君は、おれを嫌いになるよ」
「ならねェ」
「…さっき、おれと別れるって」
「忘れろ。勘違いだった」
「…強引だなァ」
「うるせェ」

止めどなく溢れてくる涙の全てを拭いながら「いいから言え」と責付けば、観念したようにエンヴィは瞼を閉じた。
「…君のことが好きだよ」、から始まった告白を、スモーカーは相槌もせずただ黙って聞く。涙は溢れることを諦めたように止まって、もう指を濡らさなかった。

「君の不器用な優しさや、誰にも穢されない正義が好きだ」。「好きすぎて怖いんだ」。「おれがどんなことをしているのか知らないでしょう」。「本当のおれは、君が思うような優しい人間じゃないんだよ」。「君が女と親しげに話している姿が嫌だ」。「男に慕われている姿も嫌だ」。「優しい気持ちでいたいのに、君を思えば思うほど自分勝手な人間になっていく」。「君と親しくなった部下を左遷させたよ」。「君に悪態をついた男を辺鄙な場所の任務につかせた」。「君の身体に触ったいつかの上司、性犯罪の噂を立てて辞職に追いやったのおれなんだ」。「君の優しさに気付いた事務の女の子に、親切のふりして見合いを押し付けた」。「それだけじゃない、おれはヒナちゃんや、たしぎちゃんも、憎くて憎くてたまらない時がある」。「麦わらを追う君の背中に手を伸ばして、引き留めたくなることだって」。「G5に異動することも、決めてしまう前に相談してほしかった」。「君が一人で全部決めてしまえると分かっているのに」。「そのままの君が好きだけど、そのままの君に傷付いて、泣きたくなって、どうしようもなくなっていく」。「怖いんだ。どうして海賊はあんな風に悪いことが出来るんだろうって不思議だったのに、今は自分が海賊みたいに当たり前の顔で酷いことをしてる」。「それでもおれは、君が好きなんだ」。「君の優しさと正義が好きだ」。「嫌われてしまうのが怖くて、ずっと黙ってた」。「おれは卑怯で、最低で、なのに君に触れることを許されたがってる」。「拒絶されるのが怖くて、受け入れられることで救われてる」。「今だって、救われたくて君にひどいことをした」。「首を絞めて、痛め付けて、殺してしまったら、君はおれのものになるんじゃないかって思った」。「でも出来なかった」。「おれは、生きて、自分の思うままに動いてる君が好きなんだ」。

「ごめん、ごめんね、スモーカーくん」

ひとつひとつ、言葉を区切りながら心の内を晒したエンヴィは、最後にもう一度スモーカーに謝って瞼を開いた。
硝子玉のように透き通った瞳から、またほろほろと音もなく溢れていく涙をスモーカーは武骨な指で拭って、静かに深呼吸をした。こんなにも我慢をさせていたなんて。鈍いスモーカーには初めて理解することで、戸惑いもあり、何故言わなかったと憤りさえ感じた。
驚いたのは確かだ。エンヴィらしくないとも思った。それでもスモーカーは、嫌悪を抱かなかった。エンヴィの感情は、スモーカーを思うゆえの嫉妬だ。それを無理に抑え込んだら歪んでしまっただけで、人間の感情としては理解できる範疇である。

「今更お前がどう変わろうと、大したことじゃねェ」
「…うそだよ」
「おれがお前に嘘ついたことがあったか」
「………ない」
「もっとねェのか、おれに言いたいことは」
「…ある、けど」
「全部言えって言ったろ。途中でやめてんじゃねェよ」
「…きっと君は面倒臭くなるよ」
「ならねェ」
「また、そうやって安請け合いして…」
「うるせェ」

ようやく少しだけ笑ったエンヴィは緩慢にベッドから起き上がると、母親に抱擁をねだる子供のような仕草でスモーカーに腕を伸ばした。スモーカーは痛む腰を屈めて、その腕の中に頭を預ける。ぎゅう、と胸に抱き込んだスモーカーの頭を優しく撫でて、エンヴィは言う。「何にも言わなくていい。嫌だったら、首を振って」。スモーカーはエンヴィの背中に手を回しながら、こくんと小さく頷いた。

「…君がG5に行ったら、とても寂しいんだ。非番の日はそっちに行ってもいいかな」

移動時間だけで休みが終わってしまいそうだが、こくん、スモーカーは頷いた。

「三日に一回は声が聞きたい。連絡したら面倒臭がらないで電話に出てくれる?」

気の利いた会話など出来ないけれど。こくん。スモーカーはまた頷く。

「浮気は許せそうにもないから、絶対にしないでね」

当たり前だ。元より一度に二人の人間を愛せるほど、スモーカーは器用に出来ていない。大きくこくんと首を振った。

「G5に行く前に、沢山えっちしようね」

こく、と頷きかけて、スモーカーの頭は俯いたまま止まった。徐々に熱くなっていく顔の体温と耳の赤さに、エンヴィは微かに笑う。けれど冗談だよとは言わなかった。「君が忘れてしまわないよう、体におれの存在を刻み付けておきたいんだ」。忘れるわけがない。けれどエンヴィがそうしたいと言うならそうさせてやるくらいにはスモーカーとてエンヴィを想っていたから、微かに首を縦に振った。

「…ああ、やだな、離れたくないな。心配で心配でたまらない。G5って、まともじゃないんだよ。視察に行ったことがあるから知ってるんだ。まともなのは基地長くらい。たしぎちゃんと二人、支え合って仕事してるうちに恋なんか芽生えたら、おれはもう、どうしたらいいのか」
「あんな小娘相手に何を心配してんだテメェは」
「心配だよ。不安なんだ。君が魅力的なのはおれが一番知っているから、誰かに取られてしまう可能性を否定出来ない」
「…そんなに言うなら、着いてくりゃいいじゃねェか」

これは意地の悪い言葉だったかと、スモーカーは口に出した後で気がついた。スモーカーにはスモーカーの意志があるのと同じように、エンヴィにはエンヴィの意志がある。私情を挟んで蔑ろにするような意志ならば、そんなものは大したものではない。ましてエンヴィ本来の正義は、海賊をも憎まない正義だ。クザンのような上司の下でないと、その正義すら貫けなくなってしまうだろう。反対にクザンのような上司をコントロールするのに、エンヴィは最適な部下である。だからこその副官なのだ。そう易々と異動出来る立場でもない。
エンヴィの腕の隙間から顔をそっと伺ってみると、案の定困ったように眉を寄せていた。「君の為に自分の仕事放棄するおれを、君は好きなままでいられる?」。スモーカーはまた腕の中に潜って、小さく首を横に振った。嫉妬してもいい。歪んでいたって構わない。けれどエンヴィがスモーカーの為にエンヴィの全てを捨ててしまうような自主性のない人間ならば、好意どころかたちまち興味までなくしてしまうだろう。

「…会いに行く。電話もする。浮気はしないって、信じてる。それでいいよ。おれはここで頑張ってるから」
「…ああ」

エンヴィの手は優しくスモーカーを引き離して、まだ涙で濡れた瞳が真っ直ぐにスモーカーの瞳を見据えた。熱の籠った声と柔らかい表情で、「好きだよ」と言う。「スモーカーくん、おれは君のことが、好きだよ」。心の底から愛しいと思っていそうなその言葉に、スモーカーの重い口もするりと開いた。

「…おれも、お前が好きだ」

ストレートで青臭い言葉を口にすることに抵抗がないわけではない。それでもこんな陳腐な一言で、エンヴィはとても幸せそうに笑うものだから。
もっと言ってやれば良かったのだと、スモーカーはエンヴィと付き合って初めて、後悔をしたのだった。


でも、僕にとっては甘い恋でした


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