スモーカー長編 | ナノ



スモーカーは誤解を受けやすい男だ。それは愛想が悪くて相手を威嚇するような強面と、妥協を知らない信念が原因だった。
自分を曲げないと言えば聞こえは良いのだろうが、周囲を省みない真っ直ぐな態度は傲岸と見なされて反感を生む。間違っていることを間違っていると言うだけで、生意気だと敵視されるのだ。
もう少し言い方というものがあるでしょう、と海軍に入ったばかりの頃から口煩く指摘していたのはヒナだった。自分の頭の中で出した結論を、柔らかく噛み砕いて伝えれば相手も受け止めやすいのだと。辛く当たれば辛く返される。そんなことはスモーカーも知ってはいたが、自分が他人に辛く当たっている自覚も、そして相手に自分を理解してもらいたいという願望もなかったため、スモーカーはいつまで経っても誤解を受けやすいままだった。

組織に属していながら個人を失わないスモーカーを周囲が疎み、怯み、時には排除しようとする中で、エンヴィは一番スモーカーを誤解しない人間だった。根っからの善良な性格が、他人の言動を全て良いように捉えるのだ。皮肉や嫌味は通じない。理不尽な仕打ちを受けても、自分の中で納得のいく理由を勝手に付け足してしまう。だから腹も立たないのだと彼はいつも笑っていた。
戦場でスモーカーが「邪魔だ、引っ込んでろ」と怒鳴っても「心配してくれてありがとう」。
上司に楯突いたスモーカーと同じ隊というだけで理不尽に罰せられても「君の顔は損だなァ、迫力があるせいで何を言っても攻撃的になってしまうんだね」。
どれだけ迷惑を被っても終始そんな調子で笑っているものだから、周囲からはおめでたい男だと馬鹿にされることも少なくはない。けれどスモーカーは、スモーカーに関しては、エンヴィの考えは決して間違ってはいなかった。
スモーカーがエンヴィを怒鳴ったのは心配から来る感情のせいだったし、上司を怒らせたくてわざと楯突いたわけでもない。迷惑を掛けて悪いとは思っているけれど、口下手な性格が災いして謝罪も感謝も上手く伝えられなかった。そうしてスモーカーが黙り込んでいるうちに、エンヴィはスモーカーの良いところだけを受けとめて許容して全て笑い事にしてしまうものだから、いよいよスモーカーはエンヴィに何も伝えなくて良いようになってしまった。何をしても何をやっても、エンヴィなら大丈夫、エンヴィなら許してくれる。そんな傲慢を無意識に育てていたスモーカーは、要するにエンヴィに甘えていたのだ。甘えているという自覚を多少は持っていたとしても、治そうとはしなかった。
優しいだけでは辛い思いをすることも、そのせいで鬱憤が溜まることだってあることも、あの八つ当たりのようなセックスで察していたはずなのに、察していただけだった。エンヴィの愛情に胡座をかいて、解ろうとはしなかった。

その結果が、これだ。


    スモーカーくん、おれは、君にとって、なに?」

聞いたこともないような冷たい声で、エンヴィはスモーカーに問い掛ける。
なに、とは何だ。スモーカーにとってエンヴィは、仕事仲間で、同期で、恋人だ。エンヴィに告白されて、スモーカーがそれを了承して、付き合い始めてから今日までそれは変わらない関係である。だからスモーカーは、エンヴィがそのせいで苦しんでいると思い当たったのだ。
クザンからエンヴィの『彼女』の話を聞いた時、スモーカーはエンヴィに好きな奴が出来たのだと思った。それはスモーカーとは別の人間で、エンヴィはとうとうスモーカーに愛想を尽かせてしまい、他に心を奪われてしまったのだと。
しかし優しいエンヴィは、一度心を通わせた相手を切り捨てることが出来ない。スモーカーに別れを切り出すことが出来ない。だからクザン曰くの『上手くいかない』、『振り回されちゃって大変』というわけだ。

それならば、とスモーカーは腹を括った。彼が言い出せないのなら、最後だけはこちらから終わらせてやろうと。実際、潮時だと思っていた。まだ決定はしていないものの、スモーカーはG5へ異動になる。ローグタウンに勤務していた頃と同じように、易々とは会えなくなるのだ。ならば形だけの付き合いを持続させたとて何も生産性はない。新しいものを手にいれるためには古いものを捨てる必要がある。エンヴィにとってスモーカーが古いものとなるなら、彼のために捨てることも捨てられることもやぶさかではなかった。
だから別れを告げたスモーカーは、しかしエンヴィを見て己の失敗を悟る。見たことのない顔をしていた。暗くて、冷たくて、何を思っているのかわからない無表情だ。

「…スモーカーくん、君、おれに言いたいことがあるんじゃないかって言ったよね」
「…ああ」
「おれは、君の言いたいことが、わからない」

絶望を滲ませた声でエンヴィが言う。スモーカーには急に、彼が知らない人間に見えた。
スモーカーが知っているエンヴィは、穏やかでにこやかで、誰にだって公平で、優しく親切な男だ。今やその影はどこにも見えず、ただただ陰鬱な空気を垂れ流している。彼は一体誰なのだろうか。スモーカーの知らない男だ。

「おれは、君のそうやって一人で全てを決めてしまうところがたまらなく嫌だったよ。君にはおれは必要ないんだと思い知らされて、いつも惨めだった。君に必要とされる全てが憎くてたまらなかった。知らないだろう、おれは君が思うようなまともな人間じゃないんだ。自分のために平気で他人を陥れるような卑劣で矮小な人間だ。それを君に知られるのが怖くて、わざと優しいふりをしてた。自分のことしか考えてないんだ。…ああ、だからかな、君がわからなくなった。わかっていたつもりだったから、まだ耐えられたのに、もうわからないんだ。聞かせてくれ。君が別れたいと思うほど、面倒だったのかな、おれは」

淡々と羅列された卑屈は、誰のことを言っているのかわからなくてスモーカーは「…あ?」と間抜けな返事をしてしまった。それがまたエンヴィの神経に障ったらしい。眉を寄せ、唇を戦慄かせる。泣くのか。泣かれても困る。スモーカーは今、混乱の極みに置かれていた。今のエンヴィに、どう言葉を返せばいいのかわからない。元々口が上手い方ではないのだ。
スモーカーがただ黙り込んでいると、エンヴィの掌がひたりとスモーカーの首筋に宛がわれた。「スモーカーくん」。指が気道を締めるように伸ばされる。「スモーカーくん」。脅すような声。「スモーカーくん」。乞われているようにも思えて、スモーカーはエンヴィから目が離せなかった。「スモーカーくん」。何度もスモーカーを呼ぶエンヴィは、据わった目で指先に力を籠めていった。「スモーカーくん」。締まる喉が苦しい。しかし煙になって逃げることは叶わなかった。エンヴィの手がまるで海楼石のように、スモーカーの体に食い込んでいく。

「スモーカーくん」
「……なんだ」

掠れる声でようやく返事をしたスモーカーを、エンヴィは据わった目のまま見つめて、口許だけでにこりと笑った。ゾッとするような歪んだ笑顔だ。エンヴィのこんな顔を、スモーカーは知らない。見たことがない。

「君は、覚えているかな。君に触っていいのは、おれだけだって言ってくれたこと」
「………」
「いいんだ。覚えてなくたって、いいんだ。でもおれは、ずっとその言葉に救われていたんだよ」

泥のように精彩を欠いた瞳から、ぼろりと涙が零れた。泣いた。とうとう。それでもスモーカーには、何をしてやればいいのかわからない。涙を拭いてやれば正解なのか。泣くなと言えば正解なのか。エンヴィはおろか、他人を慰めた経験などないスモーカーには、どれが正解なのかわからない。

「スモーカーくん」
「…………」
「逃げないでね」
「……逃げねェ、よ」
「嘘だ、今、煙になって逃げようとしただろう」
「……お前が、首、締めるから」
「おれ以外に、触らせないで。嫌だよ。絶対に、許したくても、許せないから」
「……エンヴィ」
「逃げないでね。逃げたらおれ、もう、君にだって、何をする、か、わからないんだ」


    スモーカー君、あなた最低よ。ヒナ失望。

何度も反芻したヒナの罵倒が頭の中に響いて、スモーカーは唐突に思い出した。ヒナはあの後、こうも言っていたはずだ。『エンヴィがどういう気持ちで』。

    そうか。
スモーカーは理解する。

エンヴィの澱んだ瞳。低く冷たい声色。今にもスモーカーを殺しに掛かりそうな指先。会話は通じない。エンヴィがおかしくなっていく。

    あの時ヒナは、このことを言っていたのだ。

エンヴィがスモーカーのせいで傷付いていることを。

泣けないオトナの末路


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