浮かれていたのだ。油断していた。スモーカーがエンヴィと会いたいという理由などで食事に誘うことなどありえないと分かっていたはずなのに、エンヴィはまんまと勘違いしてしまった。
「
テーブルの上に置かれたのは、スモーカーが存在すら忘れていたはずの合鍵だった。一度宿舎に帰って、わざわざ探してきたのだろうか。灰皿のキーホルダーを付けた合鍵は、エンヴィが渡した新品同様のまま、鍍金一欠片剥がれることもなくエンヴィの手元に戻ってきた。「…別に、持ってていいのに」。持っていて欲しかった。使っても使わなくても、持っているだけでそれはエンヴィと親密であるという証になる。しかしスモーカーは簡単に切り捨てるのだ。使わないものは疎ましいと。
潔さは美徳だろうか。どんな思いでエンヴィが合鍵を渡したのか考えもしないスモーカーは、ただただ残酷だ。
「いらねェ」
「…そう?まァ、もうすぐ異動だしね」
「……そうだな」
気のせいであればいいのだけれど
エンヴィが全力で仕事を終わらせ、急いで帰宅して、ソファーの上で寛いでいるスモーカーに「おう」と迎えられた時にはまだ細やかな幸せを感じていた。けれどそれも長くは続かなかったのだ。
食事をしている時も、晩酌に切り替わった後も、スモーカーは何かを考え込んでいるようで元より少ない口数が更に減ってしまっていた。黙り込んでいるだけならまだいい。なにか考え事をしているのであれば、エンヴィは邪魔にならないようそっと近くに控えてスモーカーが結論を出すまで見守るだけだ。
しかし今のスモーカーは、その鋭い眼光でエンヴィを探るように見つめている。明らかにエンヴィのことで何か考えているのだろう。しかしエンヴィに何を言うというわけでもないのだから、無言のまま強い視線に射抜かれては居心地が悪くなってしまう。いよいよ耐えきれなくなって「どうかした?」と聞いたら、合鍵を返却されるという何とも不吉なイベントが起きてしまったのだ。まさかこれだけであんなに見つめていたわけではないだろう。この続きに何か嫌な展開が待っていそうで、エンヴィは気が気でない。そしてこういった類いの予感は、いつだって決して外れてはくれないのだ。
「…エンヴィ」
「……うん、なに?」
「お前、何かおれに言いたいことがあるんじゃねェのか」
唐突な言葉は、気遣いではない。尋問に近い雰囲気を孕んでいる。
咄嗟のことに開いた口は直ぐさま閉じて、にこりと笑みを象る。「…どうして?何もないよ?」。しかしスモーカーはその答えに納得しなかったようだ。むしろ不機嫌そうに眉をひそめて頭を掻き、舌打ちをひとつ。この仕草をエンヴィは知っている。上手くいかなくて苛々している時のスモーカーの癖だ。エンヴィの心臓はどんどん冷えていく。スモーカーが何を言いたいのか。エンヴィに何を言わせたいのか。全く解らないのに、良いことではないというのだけは解るのだ。
「…お前が、」
「……おれが?」
「いや、…潮時かもしれねェな」
「……なにが?」
「おれはここを離れる」
「……うん、しってるよ」
「しばらくは戻ってこねェ」
「……だろうね」
「別れるか」
キィン、と耳鳴りがした。いやにその言葉だけが鮮明に聞こえる。エンヴィは自分の作り笑顔が、引き攣って無表情に戻っていくのを感じていた。
別れるか、別れるかって?誰と?誰が?
決まっている。ここにはエンヴィとスモーカーしかいない。エンヴィとスモーカーの話だ。
「……どうして?」
ようよう聞き返した声は、震えない代わりにひどく冷たくなった。スモーカーが少しだけ目を丸くしてエンヴィを見る。
どうして?どうして別れるの?君はいつもそうやって、自分一人で結論を出して。おれなんかいたって、いなくたって、君にはどうだって
エンヴィは浮かれていたのだ。油断していた。スモーカーがエンヴィと会いたいという理由などで食事に誘うことなどありえないと分かっていたはずなのに、エンヴィはまんまと勘違いしてしまった。最初だけは訝しんだものの、帰ってくる頃までにはとんと忘れてスモーカーと久々に二人きりで過ごせることを喜んでしまった。少し考えれば解ることなのに。スモーカーが、エンヴィを必要としていないことなんて。
「
いっそ全てを捨ててしまえたら、楽になれるのだろうか。
最後には何も残らないと、わかっているけど。
やわらかいぜつぼうをきみに