スモーカー長編 | ナノ



戦争の後始末で猫の手も借りたいほど忙しい中、さすがに定時でとはいかないものの比較的早い時間に二人は本部を出た。めぼしい飲み屋は戦争の影響でまだ休業しているところが多く、結局エンヴィの家で飲むことになったのだが、クザンにしたらこれは正解だ。エンヴィが作ってくれた飯もツマミも美味いし、他人の目がない自宅ならばある程度の惨事が起きても揉み消せる。
「最近どうよ」から始まったエンヴィの胸の内を探る作業は、しかし実際容易ではなかった。すっかり普通に戻ってしまったエンヴィは戦争の被害報告やこれからの改善策、活気付く犯罪者達への抑止の相談などといった仕事の話ばかりで、自分のことはちっとも明かそうとはしないのだ。
「悩みある?」と聞いても「人手不足がさらに深刻で参ります」。
「心配事は?」と聞いても「市民への被害がこれからどんどん増えるのではないかと…」。
「気になる事は?」と聞いても「なんだか最近海軍内部の士気がオーバーヒート気味で…そのうち暴発するんじゃないかでしょうか」。
そういうことじゃないんだけどなァ、とクザンは焦れったくなるが、エンヴィが嘘や誤魔化しでそう言っているのではないと解っているから、最初から質問はジャブ程度のつもりだ。
まァまァ飲みなさいとハイペースでグラスに注ぐアルコールがエンヴィの頭まで回り、徐々に理性が剥がれていくのをクザンは待っている。買い込んだ日本酒や焼酎、ウィスキー、カクテル、ジンにウォッカ、ワインシャンパンビール。ちゃんぽんにした酒の瓶がいくつも空になった頃、ようやくエンヴィは虚ろな目で体をふらつかせ始めた。

「…なァ、昼間のさ、指名書突き刺してたアレ。なんかあったの」

ここが好機だと一石投じたクザンを、エンヴィは据わった目で見る。しめいしょ、しめいしょ?と呟きながら記憶の中を探っているようだ。やがて思い当たったのか、長い長い溜め息を吐く。「……たいしたことじゃないんです。ほんとうに」。アルコールにとけた声でぽつりぽつりと打ち明け始めたエンヴィに、クザンは内心ガッツポーズをした。

「…つきあっているひと、が、」
「えっ、エンヴィそんなコいんの」
「います…」
「知らなかった」
「ずっとすきで、もう、ながいことつきあってて、でも、うまくいかないんです」

エンヴィの透明な瞳から、ぽろりと涙が零れる。「海兵?」と聞けば、小さな頷きで答えが返ってきた。それは確かに、上手く行かないかもしれない。いくら強くても、職業が軍人である限り命の危険はつきものだ。それが女性なら尚更、家族や恋人は心配が尽きない。エンヴィは彼女に海軍をやめてほしいのかもしれない。彼女は自分の矜持に懸けても海軍にいたいのかもしれない。二人の齟齬はずっと存在し続けて、どんなに愛し合っていても、愛し合っているからこそ、解り合うことが出来ないのだ。
エンヴィの口から全てを聞かなくてもわかる。軍内の恋愛では在り来たりの展開で、それが理由になって別れたカップルをクザンは何組も見てきた。エンヴィとその彼女もその壁にぶつかって苦しんでいるのだろう。

「おれにはなにも、いってくれないんです」
「うん」
「じぶんでぜんぶきめて、それは、いいんですけど」
「うん」
「きめたことすら、おしえてくれないんです」
「うん」
「いつのまにか、どこかへいこうとしているんです」
「うん」
「いまも、つかまえたいかいぞくをおって、おれのそばから、はなれていこうと」
「…それが、昼間の指名書の海賊だったんだ?」

こくりと頷いたエンヴィの瞳から、また一滴涙が零れる。ぐず。鼻を啜る音が静かな部屋に響いた。「その海賊が、憎い?」。クザンがそっと問いかけるが、エンヴィは肯定をしなかった。

「…わからない、です」
「わからない?」
「かいぞくだけじゃなくて、ぜんぶにくくおもうときが、あるんです」
「…あららら、過激だね」
「じぶんでも、やなんですけど、どうしようも、なくて」

    青春だ。
聞いてるだけで照れ臭くてむず痒い。けれどクザンは、今のエンヴィが嫌いではなかった。若くて感情に振り回されていて、黒い感情に戸惑いながら抗おうとしている。人間らしくてなによりじゃないか。万人を大事にする感情よりも、誰か一人を愛する気持ちの方が抑えられない分、強い力になる。エンヴィはほんの少し、人よりその感情が生まれるのが遅かった。だから心に馴染まなくて振り回されてしまうだけだ。

「…エンヴィは本当にそのコが好きなんだな」

いいことだよ、とクザンがエンヴィの頭を撫でて宥めると、エンヴィは顔を上げて少しだけ笑った。優しい顔だ。潤んだ瞳がさらにエンヴィをいとけなく見せる。「…すきです、だいすき」。偽りのない真っ直ぐな言葉に、クザンはまたむず痒くなった。

    手足を切り落として、閉じ込めてしまいたいくらい、好きなんです」

酒にとけてボンヤリしていたはずの声が、そこだけやけにはっきりと聞こえる。「…あ、そう」。頷きながら、クザンはエンヴィの手からアルコールの入ったグラスをそっと取り上げた。こりゃ、だめだ。


とっくのとうに病んでいた


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