「ただいま戻りました」
クザンとその部下によって開かれた小さな緊急会議は、戻ってきたエンヴィの一言によってすぐさま解散になった。蜘蛛の子を散らすように全員が定位置についた光景を、エンヴィは不思議そうに首を傾げて見ている。手元のトレイには執務室にいる人数分のコーヒー。穏やかな表情。「ついでなので、みんなの分も」と笑う顔は、まるでいつも通りのエンヴィだったので全員が肩透かしを食らった。
「…エンヴィ?」
「はい?あ、コーヒーどうぞ」
「あ、うん、ありがと…」
「はい、みんなもどうぞ」
配られたコーヒーを、各々が少し怯みながら礼を言って受け取るが、一口飲んでみれば味はいたって普通だ。すこぶる美味い。いつも通りのエンヴィのコーヒーである。全員に配り終えたエンヴィは、最後に残った自分用のカップを持って席についた。机にはまだ、エンヴィが蜂の巣にした指名書と、そのちょうど脳天辺りを貫くペンが突き刺さっている。どうするのかと周囲がハラハラしながら見守るのを余所に、エンヴィはごく自然な仕種でその2つを足元のゴミ箱へ撤去すると、すぐさま仕事に取りかかった。まるでひとつの仕事を終えて、次の仕事に取り掛かるようにスムーズな流れで。
えええ、と心の中で不満を叫んだのはクザンだけではないだろう。部屋は異様に静かで、エンヴィの仕事をする物音だけが響いているのが何よりの証拠だ。皆が皆、エンヴィの一挙一動に注目している。
「……あの〜、エンヴィクン?」
「はい?」
見つめていても何も変わったらことがないので、クザンは先程の緊急会議で出た案の通り、とりあえずは本人に聞いてみることにした。「なんかあった?」。クザンは出来る限り、軽い調子で問う。しかしエンヴィは首を傾げて、問いの意味が全く掴めないといった様子だ。
「なにがですか?」
「いやァ〜、ほら、どうしたの?」
「どうしたんですか?」
まるで言葉遊びの問答は、誤魔化そうとしているのか本当に心当たりがないのかわからない。「ゴミ箱の、それ」。単刀直入に切り出せば、他の部下達の空気がぴりりと強張った。クザンが来る直前まで、懸賞金額が変更になったという理由で回覧になった指名書の中の一枚。見た途端なにかに取り憑かれたかのようにペンで突き刺し始めて、誰が止めても聞く耳すらもたなかったというのだからさぞ恐ろしい光景だったことだろう。
しかしエンヴィはあどけない顔でゴミ箱を見て、くすぐったそうに笑った。「取り乱しました、お恥ずかしいことです」。それだけを言って、また仕事に視線を戻す。どうやら、エンヴィの中では大したことではないようだ。そんな馬鹿な。決定的な瞬間を見逃したクザンでさえ、先程のエンヴィはおかしいとわかるほどの異変だったというのに。
「……エンヴィ、今日暇?」
「えっ、うーん、おれは大将次第になりますよ」
「うん、おれすごく頑張るからさ、今日、飲みに行こうか」
「ああ、いいですね。喜んで」
どこ行きましょうか、と笑う顔は虫さえ殺せそうにないのに、ゴミ箱の中の賞金首は彼の頭の中で幾度となく殺されているのだ。『規律や理想で生きる人間は時としてひどく残酷になる』。いつかの懸念が現実になってしまいそうで、クザンはエンヴィのようには笑えなかった。
君の笑顔が恐ろしかった