クザンがトイレから執務室に戻ると、室内を異様に寒く感じた。あらら?と思ってエンヴィを見ても、何かの書類作成に夢中になっているようでクザンの帰還にすら気づいていない様子である。やたら周囲に気を遣う性質の彼が上司の姿にも気付かないなんて珍しいことだ。周囲を見回すと、他の部下達は一様にクザンとエンヴィを交互に見て困惑の表情を浮かべていた。何かがあったようだが、何かはわからない。
「
とにかく声でも掛けてみようか、とクザンが彼の名前を呼べば、その一声であっさりと彼はクザンの方を向いた。しかしどこか目の焦点が合っていない。「…エンヴィ?」。二度目の名前は、ようやく彼の頭に届いたようである。幼い仕草でぱちぱちと瞼を瞬かせると、それからいつもの表情に戻って困ったようにクザンへ笑い掛けた。
「…すいません、ちょっとボーッとしてました」
「珍しいじゃないの。なんかあった?」
「いえ、少し人事のことで思うことがありまして」
「ああ、人員補充願いがあちこちから出てるんだっけ?」
「まったく、どこも人手不足なようで困りますね」
すっかりいつもの調子に戻ったエンヴィに、周囲もホッと胸を撫で下ろした様子で次々と声を掛けてくる。
もう!話し掛けても無視だから何事かと思ったじゃないですか!いやいやごめん、考え込みすぎちゃったよ。無表情で仕事に取り掛かるから、何かおれ達やらかしたんじゃないかと!まさかァ、優秀な君らに怒ることなんか何もないよ。
一気に和やかな空気に変わった室内に、先程までの寒気は感じなかった。あれはエンヴィのただならぬ雰囲気から発されていたのだろうか。働かせすぎかな。休みやった方がいいかな。
クザンがぼんやりエンヴィを観察していると、エンヴィはさりげない手付きで先程まで作成していた書類をびりびり破き始めた。
クザンは首を傾げる。『異動届』と書かれた書類に記入された名前。見間違いでなければあれは
スモーカーの部下の名前では、なかっただろうか。
君の幸せを願う悪魔