ロー長編 | ナノ


「おい、出航するぞ」
「………はっ?」

寝耳に水だ。隣で大人しく本に目を奪われていたローが、最後のページをめくり終えたと思ったらこの一言。静かな図書館に間抜けな声が響いて鋭い視線をいくつか受けたが、ローは素知らぬふりで立ち上がってヤマイの手を引く。

「ま、待ってくれキャプテン、まだ読みきってない…」
「天気はいいし風の流れもまずまず。ログも溜まった。出航するなら今がいい」
「本は、もう読み終わったのか?」
「めぼしいものは全部な」

ローは歩みを止めない。ローの読み終えた本もヤマイの読み掛けの本も読書スペースのテーブルに置き去りにしたまま、図書館を出てしまった。なんて自由な。ヤマイがローと取引をして、寝食をしっかりととるようになってから本を読む時間は少なくなったはずだというのに、出航の予定は予定通りだ。本を奪っていくような様子もない。人様に迷惑を掛けないだけそれはまったく構わないが、ヤマイですら読み終えてない本がまだあるというのに、さらに色々なものを読みたがっていたローが満足したのか。それが不思議だ。
ヤマイが名残惜しく図書館を振り返ると、「欲しいものがあるなら奪ってきて構わないぞ」とニヤニヤした声でローは言った。やるわけがない。町医者から海賊に転職してまだ間もないヤマイが一人で略奪を行うには、相手が図書館だといえ、いや、相手が図書館だからこそ良心が邪魔をする。ローもそれをわかっているんだろう、声と同じようにニヤけた顔でヤマイを一瞥すると、一層早い足取りで船へと向かっていく。ヤマイはただもう、着いていくしかない。まだ短い付き合いではあるものの、ローの我が儘には慣れたつもりだ。ただ、せめてキリのいいところまで読ませて欲しかったなァと思うだけで。

ヤマイが読んでいた循環器系の医学書。ところどころ頁の端に雑学にも近いようなコラムが載せてあったそれは、心臓の項目に興味を引く記事があった。

    結婚指輪を左手薬指にはめる理由。
、古代エジプトでは左手薬指の血管が直接心臓と繋がっていると考えられていたから。ヨーロッパでは左手薬指に「服従と信頼」、そして「愛情」の意味があるから。

へェ、そうなんだ、という程度の豆知識だったが、ヤマイは思わず自分の左手薬指にはまっている指輪を見た。父の遺品。母からのお守り。ならばこれは、ここにはめるべきものではないのだろうか。

ヤマイは目の前を歩く堂々とした、しかし華奢にも感じる細い背中を見る。この人に着いていくと決めた日に、今思えば、ヤマイの心臓はとうに奪われていたのだ。服従も信頼も愛情も、今はただ、ローにだけ預けてある。

    ならば、この指には。


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