マルコ長編 | ナノ


イサキは何も言わない。ただ黙り込んでおれの後についてきて、埃っぽい納戸に入っても、内鍵を掛けて二人きりになっても、なにか言い出す気配もなかった。掛けてやったタオルを頭に被ったまま、木偶のように突っ立っている。床を服や髪からぽたぽたと海水が滴る音だけが、静かな空間に響いては溶けるように消えていった。

「…拭かねェのかよい」

返事はない。動きもしない。仕方なく手を伸ばすと拒むように足が一歩下がったが、気付かなかったふりをしてイサキの頭をタオル越しに両手で掴んだ。がしがし、乱暴に拭いても、イサキは大人しくされるがままだ。けれどタオルを取ろうとした瞬間、それだけは阻止をされる。痛いくらいに手首を掴まれて、イサキの冷えた体温が染み入ってきた。心臓が跳ねる。喉が渇いて声が上手く出て来ない。けれど黙したままでは、状況は何も変わらないだろう。聞きたいことは沢山ある。おれはその全てに、答えが欲しい。

「……諦めたって、なんだよい」

ベッドの上で投げたまま返ってこなかった問いを繰り返すと、イサキの体が強張るのがタオル越しにも伝わってきた。イサキが逃げた理由がおれの予想通りだとしたなら、この反応も理解が出来る。イサキは昨晩のことを覚えているのだ。
キスをした。キスを返した。好きだと言われて、驚いているうちにイサキは寝てしまった。こんなにも取り乱しているのは、諦めたという言葉通り、言うつもりなどなかったのだろう。イサキは大層酔っていたようだから、知らないふりをしてやればまたいつものように戻れたのかもしれない。それでもおれは知らないふりなんてしてやるつもりもなかった。欲しくて堪らなかった答えが、イサキの中にあるかもしれないことを知ってしまったのだ。おれはそれが欲しい。言葉にして、態度にして、過去のものではなく今の感情として明け渡して欲しい。

覚悟を決めたようなイサキが、ゆっくりと息を吸う。吐く。「その前に、」とひり出された声は低く掠れていて、怒っているようにも聞こえた。

「…おれ、マルコにどこまで言った?何をした?」
「…覚えてねェのか?」
「夢、だと思って…酒も、入ってたし」
「…キスしたのは」
「覚えて、る」
「ずっと好きだった、って言ったのは」
「…うん」
「もう、諦めた、こんなことさせて、ごめん、って」
「……うん」
「諦めたって、なんだよい」

強い口調で問い質して、顔を寄せると困ったような気配。「その言葉の通りだよ」。蚊の鳴くような答えには納得が出来ない。いつ、どうして、本当に諦めて、今はもう、好きではないというのか、だからあんな態度になったのか。

「マルコのこと、ずっと好きだった。だけど叶うはずなんてないから、何度も自分に期待しないように言い聞かせて、家族のままでいいんだって思い込んで、お前の側にいられたらそれで幸せだって錯覚して、でも実際、苦しくてたまらない。嫌なんだ。ずるずる引きずった感情がどんどん重くなっていくのが自分でもわかって、お前にそれがばれて嫌われる前に諦めようって、ようやく最近諦められたのに、お前を見てると簡単に気持ちが揺らぐ。ごめん。ごめんなマルコ。でもおれは、今更なにも望まないから」
「…もう、キスもしねェって?」
「…………ああ、そうだよ。お前が望むなら、除隊したって、この船を降りたっていい」
「そりゃ、困る」
    え?」

ようやく顔をあげたイサキを、すかさず押し倒して馬乗りになった。タオルが落ちる。見えたイサキの顔はひどく情けなく歪んでいて、背筋がざわめいた。こんな表情は初めて見る。そうか、そんなに、泣きそうなほど。

    おれのことが、好きなのか。


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