どちらかが繊細な心の持ち主ならばきっとこうもこじれなかった。20年。20年だ。20年前、まだ青臭い若造だった頃にナマエに恋をしたマルコは20年間ずっとナマエを好きでいるほど執念深く、そして想いを伝えて「おれゲイじゃないから無理」と直裁的に断られてもなお家族として過ごし、ことあるごとに告白しなおすほどには図太かった。
その想い人であるナマエはナマエで、「ゲイじゃないから恋人になるのは無理だけどマルコのことは普通に好きだから」とマルコの気持ちを知ってもそのまま態度を変えることなく家族としての付き合いを続けられるほど無神経な男だったので、マルコも関係の破綻を気にすることなく幾度も告白を続け、そうして断られる度に傷付き、それでも好きでいられた。
それが良いことなのか悪いことなのかはわからない。一途だとも言えようが、望みのない恋にいつまでもしがみつくのは無様で無駄な感情だとも言えよう。けれどマルコは、20年ナマエを好きでいた。自由な海賊らしく、自分の気持ちの赴くままにナマエを好きでいた。20年という長い年月の間、その感情が惰性ではないとは言い切れない。けれど彼がなんの意図もなくマルコに触れるだけで色めき立ち、性欲を催せば自分を慰めるのは彼の姿を使っての妄想だ。20年の執着は、彼を好きでいるということを許されるだけで落ち着いた。落ち着いていたのだ。散々『ゲイじゃないから』という理由で同性のマルコの告白を断っていた彼が、同性のエースに恋慕の情を抱くまでは。
「どういうことだよい」
マルコが胸倉を掴んで凄むと、ナマエは気まずそうに視線を背けた。いくら無神経な男といえど、これはあまりにもマルコに顔向けが出来ない感情だと察しているのだろう。その態度が余計にマルコを苛立たせる。惨めな気持ちにさせられる。
ナマエのエースへと向ける視線が単なる家族愛ではないことを、マルコはすぐにわかってしまった。20年だ。20年間ずっとナマエを見てきた。好きだったから興味があった。好きだったからナマエのことを知りたかった。好きだったから好きになってほしくてナマエの好きになるものを理解したかった。だからこそすぐにわかってしまったのだ。マルコがナマエへ向けるものと同じ感情を、ナマエがエースへと向けるようになったことを。
「ゲイじゃねェっておれに散々言ってたよな」
「ゲイじゃない、ほんとに。おれだって想定外だったんだ」
「そうかい。おれも同じことをお前に言ったような気がするな」
「…ただ、エースが同じ男だったってだけで」
「おれもそう言った。お前が同じ男だっただけだって」
「気付いたら、なんか、気になってて」
「それも言った」
「何回も気のせいだって思うようにしたんだけど」
「気のせいに出来なかったんだろい。知ってる。おれもよーーーくわかる」
「……好きになっちゃったんだ」
「このクソ野郎!!!」
「う゛っ」
掴んだ胸倉をそのまま引っ張って床に薙ぎ倒せば、ナマエは抵抗なくバランスを崩し強かに頭を打ち付けた。抗おうと想えば抗えたはずの暴力を避けなかったのは償いのつもりなのか。いっそ堂々と、お前は単に好みじゃなかったんだと言ってくれたら今度こそずたずたに傷ついて二度と立ち直れずいられただろうに、この期に及んでマルコを気遣うようなその態度が付け入る隙を窺わせる。まだ希望があるのではないかと往生際の悪さが顔を出してしまう。希望があったことなど、今まで一度も、一欠片もなかったというのに。
恋をしない男だと思っていた。性欲も薄く、家族全員を愛してはいるがオヤジ以外の特別は作らない。誰になびくこともなく深入りもしない、そういう男だから好きなままで安心していられたのだ。それが今更になって、20歳そこそこの若造に心を奪われたという。ふざけるな。
「20年」
「……」
「20年だぞ。あいつが生まれるよりも早くおれはお前が好きだった」
「…うん」
「今更、どうしてくれるんだ」
責任をとれだなんて言えない。マルコはただ、勝手にナマエを好きだっただけだ。何度も同じ告白をして、何度も同じ断りを受けてきた。お前の気持ちには応えられないと、すげなく。
まだ相手が女であれば、「ゲイではないから」というナマエの言い分通りの結末に納得が出来ただろう。だがナマエが好きになったエースは男だ。マルコと同じく、ナマエと同性で、女のような柔らかさも、子供を生む器官も、守ってやりたくなるか弱さもない、男だ。それで誰が納得出来ようか。いや、わかっている。納得できる感情ではないのが恋なのだ。20年間、告白した回数と同じだけ諦めようとして、数え切れないほど諦められなかったマルコはよくわかっている。それでも納得が出来ない。したくない。おれとあいつの何が違う。何がよかった。何が悪かった。何を変えればあいつに向ける視線と同じものを得られる?他の男にその心を奪われてなお、そんな風に考えてしまう。
「…別に、告白するつもりもない。あいつだってこんなオッサンに迫られても困るだけだろうしな」
「だから気にするなとでも言いてェのか」
「……そうじゃない、おれは、今まで通りだ。何も変わらない」
「だがエースのことは好きなんだろうよい」
「……」
沈黙に腹が立つ。大事なところが変わってしまったくせに、何も変わらないなどと嘯ける図太さも。変わらなかったとしたらなんだ。変わらないから好きでいて構わないとでも言うつもりか。やめてくれ。解放されるチャンスだろう。不毛で救いがなく進展も見込めない長年の片想いが、喜劇のような最悪の悲劇で終焉を迎えられる最大の好機だ。それを、この男はまだ続けさせようとでもいうのか。好かれることに優越感を抱いているわけでもないくせに。マルコに好かれていても、何も感じていなかったくせに。いや、何も感じていないから、こんなことが言えるのか。腹が立って床に転がっている頭を蹴り飛ばしたが、それにも無抵抗だった。何もかもマルコの思うようにならない男は、「お前も、こんな気持ちだったんだな、マルコ」と呟いて更にマルコの心を踏みにじってくる。
「…お前と一緒にするな」
20年間ずっと振られてきた男の気持ちを、20年間ずっとすげなく断ってきたくせに他の男を好きになった男に理解されて堪るか。こういうところが無神経だというのだ。不愉快で腹立たしく受け入れがたい。20年ずっとマルコを苦しめてきた、最低な男。
それでも未だに、ナマエのこともエースのことも、嫌いにはなれない心が一番苦しい。20年緩やかに続いてきた地獄は、この先さらに続いていくのだ。このクソ野郎。殺してやりてェ。殺せないことはわかっているくせに。