ペル続々編 | ナノ


霜を履んで堅氷至る  




「ここ数日、マムシ様とお話されたか」

ドア一枚程度離れた位置に立つペルにだけ聞こえるような声量で低く呟くと、チャカの言葉に一瞬動揺したように肩が揺れた。心なしか青褪めて見える顔が恨みがましくチャカの方を向き、すぐさままた前を見る。「なぜ」と低く漏れた声は虚ろだ。どうしてそんなことを聞かれるのか分からないととぼけるにはあまりにも心情を雄弁に語ってしまっている。

「『なぜ』?内乱が終わってからは毎日のように侍っていただろう」
「…しばらくはデスクワークが続くから、護衛は必要ないと…」
「昨日も一昨日も外に出ていたようだが?」
「…元より護衛など疎ましく思ってらっしゃる方だ。激務の今は、供を呼ぶ時間も惜しいのだろう」
「ビビ様かお前の言葉しか聞き入れぬのだ、窘めなくてどうする」
「おれの言葉など、聞き入れてくれた試しなどない」
「おれよりは余程、お前の言葉を尊重してくださるだろう」

「今は避けられているとしても」。付け加えた言葉に、ペルはひどく傷付いた表情で目を見開き、そうして耐えるように顔を顰めて奥歯を噛んだ。チャカは何も、追い詰めたいわけではない。ただ、他に術がないのだ。マムシを止めるための術などチャカにはわからない。せいぜいペルをけしかけることくらいしか。

「…職務中だぞ、私語は慎め」

もう話したくないとばかりに硬質な声色でたしなめられて、チャカもそれ以上の追求は諦めた。ペルの言うとおり、確かに職務中だ。本来なら今話すべきことではないが、今だからこそ話しておきたいことでもあった。

ペルとチャカを始め、幾人かの護衛隊が武器を携え宮殿内で各々定められた配置についているのは、外の国から賓客を迎えているからだ。
鼻の下に見事な髭をたくわえた老年の男性と、まだ若い    いや、いっそ幼いと形容した方が正しい年頃の女性。確かな齢など知らされていないが、明らかにビビよりもいとけなく見えるその少女こそがマムシの婚約者となるかもしれないひとだ。


「自慢の娘を連れてきた!」と腹から声を出し豪快に笑った老年の男性は、世界政府に名を連ねる要人だ。孫とも見紛うようなそのご息女と婚姻関係を結べば、その男との繋がりも強くなり、有事の際には多少の融通もきかせてくれるようになるのかもしれない。まだ内乱の傷跡も残るアラバスタにとって、それは願ってもないことだろう。味方は当然、多い方がいい。それが政府の要人という立場ならなおさらだ。

だがチャカにとっては、喜ばしいと思えはしなかった。チャカだけではない。少なくとも、マムシに近しい人々はみな、マムシの結婚に難色を示している。

王族として生まれたからには、国に尽くすのが当然。その道理に従うのならこの見合いとて反対されるようなものではない。ネフェルタリ家の次男坊として生まれ、『外交官』の肩書きで供もつけずに独りふらふらと海を渡り歩いていた今までの方がおかしいのだ。
それでも、それが彼の性格に合っているというのなら今まで通りに生きてほしい。そう願ってしまうのは、マムシがあまりにも国の犠牲になってしまったからだ。国を救うための戦いで手を無くし、目を潰し、それでもなお毎日身を削るようにして復興に尽力した上で、今度は国のために権力と身を結ぼうとしている。
そこにはマムシ自身の幸福や安寧など眼中にないように見えた。必要ならばいくらでも身を売ると言わんばかりの迅速な行動に、慌てるのはついていけていない周囲だ。なにもそこまでしなくても、と思ってしまうのは当然だろう。この数年、あまりにも彼は不遇が過ぎた。臣下には国王失脚を企んでいると疑われ、その罪を被せたクロコダイルには命を狙われ続け、ようやく帰ってこれても五体不満足の姿だというのだからあまりにも哀れだ。
幸せになってほしいと願うのは仕えるものとして当然だというのに、彼は国への利益ばかりを追い続けている。自分を代償にしているのは、もしかしたら独り海へ出ていた頃も同じだったのかもしれない。ただ、アラバスタのためにはこうするべきだと、自分が行える最善を突き進んでいただけで。独りでずっと、いつだってアラバスタのために。もしもそうだとしたなら尚更、マムシにはこの結婚を考え直してほしいのだ。

マムシが見初めたという女性が相手ならば、誰も反対はしないはずだ。例え身分の低いものだとしても、子をなせない男だとしても、子供でも老人でも。それでマムシが幸せになるならと、大半のものが賛成し、喜んで、祝福の声をあげていたはずだ。それでも公に出来ないというのなら、寂しいけれど隠していたってよかった。
しかしマムシは此度の結婚でアラバスタの利益しか眼中にない。
結婚を考えているという話が知れ渡って数日、たったの数日しか経ってはいないが、あちこちへ連絡をいれて見合いの打診をする相手全てが政府の高官や海軍将校の令嬢、あるいは有名貴族の血筋だというのだから、権力を狙っているのが嫌でもわかる。実際、臣下の幾人かが「うちの娘はどうですか」と手もみをしながら窺ったところ、困ったように笑いながら「アラバスタの人間じゃあ意味がないだろう」と断っていたと聞く。
マムシが目論んでいるのは、純粋な政略結婚のための見合いだ。マムシへと注がれる愛情も安寧も必要としていない。だからこそ反対の声が出てきている。
「あなたがそこまでせずともいいのでは」と誰かが言えば、「今まで結婚もせずにふらついていた方がおかしいだろう?」と答え、「アラバスタを捨てるおつもりか」と聞かれれば「どうしてアラバスタのためにする結婚がアラバスタを捨てることになるんだ?」と問い返し、「誰かにそうしろとふきこまれたのですか?」と心配されたところで「子供じゃあるまいし、自分で決めたんだ」と否定する。取り付く島もない。国王様でさえ、「言いだしたら聞かん」とお手上げなのだ。ビビはビビで「私が結婚したがらないから?だから代わりに結婚しようとしてくれてるの?でも私、マムシくんを大事にしてくれる人でないと嫌よ」とうろたえ、マムシ本人へも幾度となく直談判していたが、「そんなことないよ、だいじょうぶだいじょうぶ」と全く大丈夫でなさそうな返事で流していた。本当に、まったく、人の話も聞かないし自分を大事にもしない。自分がどれだけ周囲から愛されているのか、知ってはいるのかもしれないが受け止めてはいないのだ。だから誰のことも必要とせず、頼りにせず、そうして自らの身をドブに投げ捨てる勢いで生贄にしてしまう。まるで自分の価値はこうすることでしか生まれないと言わんばかりに。

だからこそチャカは、マムシに結婚を考え直してもらいたい。自分一人が犠牲になるような生き方を改めてもらえるように。


    と、ここまでが、護衛隊副官としての意見。
一個人としてチャカの意見は、実は少し違う。

チャカは、マムシがアラバスタのために結婚を決めたのではなく、逃げようとしているのではないかと思っている。この、チャカの隣で死にそうな顔をしながらマムシと令嬢が話している様子を眺めているペルという男から。

そう考えれば唐突な結婚の話でさえ説明がつくのだ。昔から可愛がっている子供に恋愛対象として見られているのではないかと、チャカに相談をしに来て数日も経たないうちに騒動が起きたのだから気付かない方がおかしい。まして、以前まで雛のようにマムシの後をついていたペルはあからさまに避けられているのだ。ずっとそばに侍っていたのに結婚という重大な決定も知らされもせず、傷付いて臆病になっているペルを好都合とばかりに遠ざけた。唐突に距離を置かれたという事実に、事情も知らないペルはすっかり気落ちしてしまっている。その様子は単なる従者としての感情だけには見えず、やはり好きだったのだろうと察してしまう。以前チャカが問い質した際に関係を否定していたが、好意まで否定はしなかった。だからこそ尚のこと、隠せないほどショックを受けている。すっかり憔悴した様子にマムシも気付いているはずなのに、仕事や見合いのセッティングに追われる振りをして気付いてませんと言わんばかりの姿がまた残酷だ。
そのくせ向けられた好意に直接断る気概もなく、だからと言って放置することも出来ず、自然と諦めさせるために結婚という、国家や世界的権力を巻き込んだ話を持ち出してくるあたり、マムシが本当に大事にしたいのはアラバスタではなくペルなのではないかとすら思ってしまう。

そう考えると怒りさえこみ上げてくるのだ。こんなにも傷つけておいて、大事にするもなにもないだろう。どうせならきちんと言ってやるべきだ。好かれても困ると。そうしてちゃんと、自分が幸せになるべきだ。本当にペルを大事に思うなら、ペルが大事に思っているマムシ自身を粗雑に扱うべきではないと、二人の関係をしっかり把握できているわけではないチャカにだってわかるのに。どうしてチャカよりよほど強くて頭もいいはずのマムシは、あそこで年端もいかない少女と隣り合って和気あいあいと話なんぞしているのか。
いっそあの少女が、わがままで分別もつけられずアラバスタに嫁いでも不利益しかもたらさないような存在であればこの見合いもうまくいかずに終わるだろうに、マムシの傷だらけの風貌に少し怯えたような顔を見せたものの、あとは緊張しているだけで悪い印象は見受けられないのが残念だ。父親が「あとは当人同士で」とそそくさ国王の元へ謁見に行ってしまってからも、心細いだろうに気丈に胸を張り、小さい身体で立派なレディの姿を披露している。
いや、マムシの妻となるのなら、よき女性に越したことはないのだが、感情ではどうしても納得がいかないのだ。あの子供よりも、ペルの方が、ずっと    

そう思っているチャカの願いが通じてしまったのか、和やかな空気が壊れたのは直後のことだった。

    きゃっ!!」
「おっ…と、」

甲高い悲鳴と、床に陶器がぶつかって割れる耳障りな音。給仕の女性が手元を狂わせてしまったのを、咄嗟にマムシが受け止めたのだろう。客人にかかるかもしれなかった紅茶はマムシの真っ白な衣服を染め、滴るほど濡れたそこは惨事と化している。粗相をした給仕は己の罪に怯えたのか口を抑えガタガタと震えながらマムシを見上げているが、当の本人は駆けつけようとした数人の臣下を手で制止し、朗らかに客人へ笑い掛けて見せた。

「お見苦しいところを見せてしまいお恥ずかしい限りです。あまりに美しいご令嬢を前に緊張してしまったのかもしれません」
「まあ、そんなこと…」
「着替えて参りますので、その間うちの王女にお相手をさせて頂いてもよろしいですか?外の国に興味があるお転婆ですので、住んでいるところのお話などして下されば喜ぶでしょう」
「わたくしなどの話で、王女様が喜んでくださるかしら…」
「もちろんです。今日は外の国から客人がいらっしゃると聞いて、朝から落ち着きがなかったんですよ」

ビビの落ち着きがなかったのは外の国の客人に興味があったからではなく、マムシの婚約者となるかもしれないひとがマムシにふさわしいかどうか自分が見極めるべきと息巻いていたからだ。それを知ってか知らずかマムシは不安そうに上目遣いで窺ってくる令嬢ににっこりと笑いかけ、「少々お待ちを」と頭を下げた。一方、謝罪の声も出せないほど怯えてしまった給仕の顔色は青を通り越して土気色に代わり、まるで死刑宣告を受けたかのような反応だ。確かに客人を前にあるまじき粗相はしたが、受け止めたのがマムシなのだからそうきつく叱られるわけでもあるまい。もしやあの給仕も、マムシが悪魔に魂を売り渡した残忍な男だとでも思っているのか。彼が容赦ないのは、アラバスタへ仇なす害悪だけだというのに。

「君は着替えを手伝ってくれるかな?」
「わ、わた、わたし、わたし…っ!」
「…あの、どうか、あまり怒らないで差し上げて…」
「ああ、ご心配なく。私はこれでも、臣下を怒ったことも叱ったこともないんですよ」

あまりの怯えように、連れられたあとどうなってしまうのかと客人すら怯えて助け舟を出す。
困ったように笑ったマムシは「大丈夫、ね」と粗相をした給仕にも微笑みかけ、右手でその強ばった肩をそっと抱いて移動を促しながら席を離れた。ペルとチャカが脇を固めていた廊下へと繋がる扉を通る直前、給仕と同じくらい青褪めた顔色のマムシが二人へと話し掛けてくる。

「どっちかビビを呼んできてくれるか?おれの相手で緊張しているだろうし、しばらく女の子同士で話してて頂いて」
「かしこまりました…あの、顔色が悪いようですが」
「ああ、おれも緊張した…あの年頃の女の子と話すことなんてまずないから」
「あ、あの、ああ、わたし、マムシさま…!」
「…大丈夫、何も言わなくていい。休憩するのにちょうどいい言い訳になった」

少しの間よろしく、と震える給仕の女を連れ立って足早に部屋を出て行ったマムシの言葉を、いつもならそのまま何も疑わず従っていたはずだ。ゾオン系の能力により発達した嗅覚が、微かな異変を感じ取らなければ。

「…ペル、ビビ様をお呼び立てしてきてくれるか?」
「ああ、それは構わないが…どうした?」
「少し…気にかかることがあるだけだ」

扉を開け、吹き込んできた風向きがチャカの方を向いていたからだろうか。あるいはファルコンよりもジャッカルの嗅覚が優れているのか。ペルは気付いていないようだ。チャカとて半信半疑である。床に落ちた陶器のカップは割れているが足で踏んでしまったような形跡もなく、マムシ自身怪我をしたような素振りもなかった。

けれど、紅茶と香水の匂いに紛れて一瞬だけ鼻をくすぐったのだ。給仕が紅茶と茶菓子をカートに乗せてこの扉をくぐるときには感じなかった、生臭い鉄錆のにおい。

まだ記憶に新しい内乱で、嫌というほど神経に染み付いた    血のにおい、が。

マムシから微かに、漂ってきていた。


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