ペル続々編 | ナノ


うまのみみにねんぶつ  




「ペルと何かあったのか?」
「う゛っ」

思わず口に含んでいた茶を吹き出しそうになって、耐える代わりに気管に入り盛大に噎せた。ゲホゲホと咳をするおれに、国王様は溜息を吐く。呆れているようだ。いや待て、なんでペルのことが。おれは誰にも何も言ってないぞ。

「お前のことなぞ全部お見通しだ…と言いたいところだがな。ペルを見たか?あんな顔をしていればすぐに分かる」
「ああ…」

鮮明に思い出すのは、今にも死にそうなペルの顔。青褪めて、色を無くし、引き攣った表情はすぐにでも「結婚なんて冗談だよ」と言わなくては泣き崩れてしまいそうで怖かった。言ってしまいそうだった。言ってやりたかった。
何も気づかない振りで笑って誤魔化したが、あの様子を見るにペルがおれの結婚を喜んでくれていないことなど容易に分かってしまう。あの子は、おれを好きなのだ。おれが誰かの伴侶になることを知ってあんな表情を浮かべるくらいには。

「急に結婚などと言い出したことに関係があるのか?」
「んん…いえ…それは…別に…」
「わかりやすいな!お前は!」

ペルは関係ないと嘘をつくべきか、それとも正直に言ってしまった方が後押しを受けるかと逡巡している間に、国王様はおれの真意を悟ってしまったようだ。「お前は昔から何を考えているかわからんが、拒絶する態度はわざとらしいほどわかりやすい」と言われてしまえば返す言葉もなく、黙り込んでいる間にカップへ茶を継ぎ足された。まだ部屋には帰さんぞという意味だろう。

アラバスタが平和になって以来、恐れ多くも時折こうして二人で夜を過ごすようになった。酒を酌み交わすこともあるが、今は気丈に振る舞うこの人の身体が近い未来病床に伏せることを知っているだけに、おれからは酒よりも茶を勧めることが多い。「おれは下戸なので」「明日も忙しいですから」「全てが終わったらとっておきを開けましょう」とそれらしい理由でアルコールを避けるおれに、「今度は何を懸念している?」とジト目で睨まれたことを思えば、おれはおれが思う以上に分かりやすい男なのだろう。とはいえ言い訳の全てが全て嘘なわけでもない。「あんなことがあった直後なのですから、御身は大事にして頂かないと」と白々しいほどの進言に騙されてくれたのかはわからないが、おれ達の晩酌はもっぱら紅茶だ。一杯か二杯、カップを空けるまでの少しの時間、他愛もない話をする。この国の話や、おれが今まで旅した海の話、好きなもの、嫌いなもの、おれ達を産んだ父と母の話。きっと兄弟ならばとっくに話し終えていて当たり前のことを、今更になって少しずつ。

結婚の話が思いのほか騒動になってしまった際、あの場にやってきた国王様に「どういうことか後で詳しく聞かせてくれ」と命を受けたので、どちらにせよいつかは話すことを覚悟していたおれは見合い写真をいくつか持って国王様の部屋を訪ねた。本当は全て事が整ってから婚約者となってくれるひとを紹介しようと思っていたのだが、あんなにもビビが驚いて悲鳴のような大声をあげるとは予測しなかったのだ。先に「まだみんなには内緒だよ」とでも言っておけば良かったかもしれない。いや、思わずといった様子で叫んでいたのでどちらにせよ無理か。とはいえもうひとつ、墓場にもっていきたい秘密の方は話が逸らせたのでよしとしよう。結婚を考えていることがどの段階で知られようが、おれの意思に変わりはない。結婚自体は先延ばしになったとしても、婚約者を見つけておくだけでもいいのだ。おれに誰か相手がいると知らしめることが重要なのだから。

「なんだ、ペルに告白でもされたか?」
「いえ、されてませんよ。でも気付いてしまった」
「逃げるために結婚を?」
「まさか、それだけが理由ではありません。アラバスタが落ち着いてきた今でこそ、横の繋がりを強くしておこうと考えたまでです」
「…もう、その身体では海に出られんからか」

いくつかの質問にあながち嘘でもない答えを返していると、急に国王様は声のトーンを落とした。見えづらくなってしまった視力を補うため、キツイ度のレンズをはめた眼鏡の先には、深刻そうな顔でこちらを見据える目がある。
その身体、とは、このボロ雑巾のような身体のことだろう。全身に傷を負い、片目を潰し、腕は一本だけ。確かに五体満足だった頃と比べると不便には変わりないが、昔のように海に出れないかというとそうでもない。むしろ見聞色の覇気を身につけた分、危険な気配は避けやすくなったというものだ。

「…おれが今この国に留まっているのは、ここで出来ることがあるからで、今は外に出る必要がないからです」

『外交官』だなんて大層な肩書きをつけて、放蕩息子でしかないおれの名誉を守ってくれていたが、おれがアラバスタを出たがっていたのはただ逃げたかったからだ。未来でアラバスタが戦火に包まれることを知っていたからこそ、巻き込まれたくなくて逃げて、それでも全てを見放すことも出来ずに戻ってしまうのを繰り返していただけ。何をするにも中途半端だったくせ、全てが終わった今では、むしろおれで役に立つことがあるなら許される限り留まっていたいと思う。幸いにも前世で社会人として働いていた頃の知識や、現実逃避に海を渡り歩いていた頃に築いた人脈は再建の力になっているようだ。海の外に居てくれた方が有益だと言われればもちろんすぐさま出航するのもやぶさかではないが、今のところは頼りにされているようなので精一杯その期待に応えたいと思う。

「好きで海に出ていたわけでもありませんし、今アラバスタを追い出されたとて自力で近くの島まで渡ることは出来ますよ」

だから兄でもあるあなたが不出来ゆえに傷を負った弟のことなどそんなにも心配しなくてもいいのだと伝えるための言葉は、しかし余計に国王様の何かを刺激してしまったようで後悔と懺悔の気持ちが色濃く伝わってくる。物言いを間違えただろうか。何も気に掛けなくていいと言い募ろうと開いた口の前に、それを塞ぐよう掌が差し出された。

「お前には、随分と苦労をかけた」
「…そんなことないですよ」
「生まれてからずっと、恐ろしい未来を抱えて生きるのは辛かったろう」
「せっかく未来を知って生まれてきたのに、おれは何も出来なかった」
「お前の忠告を踏みにじったのは私だ」
「もう終わったことです」
「そうだ、終わったことだ」

時折繰り返される、国王としてではなく兄としての懺悔かと思えば、きっぱりと「終わったことだ、何もかも」と繰り返し強調される。なんの意図があるのかと続く言葉を待てば、国王様は差し出した掌で縋るようにおれの手を握った。温かい手。力強く、分厚い手。もっと早くにおれがこの手を握って縋ることが出来たら、もしかしてもう少しマシな結果に、などと益体もないことを思う。終わったことだ。何もかも、過去の話だ。どうにもしようがない過ぎた話。

「恐ろしい未来はもうないのだろう?お前がいてくれたら助かることは山ほどあるが、お前にばかり頼らずともこの国は進んでいける」
「…ええ、ええ、知っています。この国は強い国だ。おれなんかがいなくとも、また元のように戻れる」
「そうじゃない!この馬鹿!どうしてそうも自分を軽く見るんだ!」

突然声を荒げられて瞠目する。目尻を吊り上げた国王様は、「いいか、お前がいなくてもいいなどと私は一度も思ったことがない」とやけに重苦しい声で言い聞かせた。まるで子供の我儘を叱りつける親のようだ。

「国王としては、お前の選択が全くの間違いではあるとは言わん。力を持つ組織との繋がりを強くしていくのは必要なことだ」
「…ええ、ですから、」
「黙れ!聞け!いいか?大事なのはここからだ。その結婚という選択で、お前は幸せになれるのか?相手の女性は、お前を大事にしてくれるひとを選ぼうとしているか?」

幸せ。大事にしてくれるひと。
唐突に投下された結婚の条件に、おれは「もちろんです」と答えることが出来なかった。だってただでさえ、こちらが提示出来る商品が『おれ』なのだ。もういい歳のおじさんで、今まで結婚もせずふらふらしていて、全身ボロボロの五体不満足な男。メリットなんて放浪している時に培った人脈と、王族の生まれであるということしかない。その程度の価値しかない商品を、横の繋がりがほしいというだけで売り込もうとしているのだから、こちらから提示する条件は少なくするべきなのは当然だろう。まして、幸せにしてくれなど。厚かましいにも程がある。

「…私とて、ティティとの結婚を決めたのはアラバスタのためだけではなかったぞ」

ふーー、と鼻から長い溜め息を吐きながら、呆れたように国王様が言い含めてくるが、それは国王様が第一王位継承者であり教養も品位も備わっていて、なにより立派な人格者だからだ。あなたが相手ならば誰だって、と考えていたのが分かったのか、さらに険しい顔で追い打ちをかけてくる。

「私達の父上と母上もだ」
「それは…」
「お前は興味がなかったかもしれんがな」
「う゛…」

その通り。おれはおれを産んでくれたあの男女を、実の父母として見たことなどない。まるで養子に出された気分でさえあった。気難しく何を考えているかわからない不気味な子供を彼らは最期まで愛してくれていたようだが、薄情なことにおれは今でも実感が湧かないのだ。今ここにまだ存命で、こうして国王様と夜を過ごすように言葉を交わせていたら少しは変わっていたのかもしれないがそれも今では叶わぬ話だ。

「責めるつもりはない。ただ、あの二人もお前の幸せを祈っているはずだということは知っておいてくれ」
「…私には過ぎた両親でした、こんな息子に目をかけて頂いたのに、何も返すことが出来なかったのは申し訳ないと…」
「だから!そんなことは誰も望んじゃいないというに!」
「うっ」

ばしんと強く肩を叩かれて、持ったままのカップが揺れる。そのまま容赦なくぐらぐら揺らされるので、茶をこぼさないようカップをおいて乱暴してくる国王様の手を取ったが、反対に握り返されて緊張してしまう。おれよりも腕力は弱いはずだというのに、抗えない力強さが恐ろしいのだ。

「そろそろお前自身の幸せを探せ、マムシ」
「…おれ自身の?」
「そうだ。急いて結婚を進めずとも、好きになれる相手を探してみるのもいいのではないか。お前が選んだ相手なら、私は何も言わんぞ」

もう立場など考えるな、とまた肩を叩いてくる国王様に、曖昧に微笑むことしか出来ない。立場など、最初から考えてなんかいなかった。むしろアラバスタ王家の次兄として生まれながら、立場も弁えず放浪していたのだから責められてしかるべきだろうに、この優しい王様は幸せになれという。幸せなど。今更。おれは、この国の肥やしにでもなれたらそれでいいのに。

「あー…、なんだ、例えばお前がペルの気持ちを受け入れると言うのなら、私は反対などせんぞ」
「何を言うんですか。いけませんよ。私がよくても、あの子は国の宝です。国のために命を賭してでも戦ってくれるような忠臣の未来を潰す気ですか?」
「確かに立場を考えれば公には出来んがな。そもそも結婚する素振りすらなかったお前が死ぬまで嫁を取らずとも今更みんな文句も言わんだろうよ。結婚の話は保留にして少し付き合ってみたらどうだ?」
「ダメです、ダメ!ばかなことを言わないでください!ペルにはちゃんと愛情深くて優しくて清楚な女性と結婚して幸せになってもらわなくては」
「それはお前のエゴだろう!叶うかどうかは別にしても、好きになる相手や自分の幸せくらい選ばせてやれ」
「…きっと、おれが変に優しくしてしまったから何か別の感情と錯覚してしまっているだけなんですよ。おれが他人のものになれば、目が覚めるはずです」
「いつまで子供扱いするんだ。ペルとてもういい歳した大人だぞ?錯覚なんて言葉で片付けずに、しっかり向き合ってやれ」
「…向き合ったら、断れる気がしない。おれはあの子に弱いんです…」
「なんだそれが本音か」

向き合うなんて出来たら苦労もしないのに、「あれだけ甘やかしたら好かれても仕様がないだろうに、ダメだというなら責任とってきっぱり断ってやるのら筋だろう」というもっともな言葉がおれにさらに追い打ちをかけてくる。そうだ、おれが悪いのだ。将来は国を救う英雄になるからと、かつて見た漫画の中のかっこいいヒーローだからと、後先考えず可愛がった結果がこれだ。どうせおれが関わったところで何も変わらないのだから、最初から関わらなければ良かった。それがなにより、ペルの為になることだったのに。

「……ペルとのことが解決するまでは結婚は先延ばしだな」
「いえそれとこれとは別問題です」
「なぜだ!またおにいちゃんの言うことを聞かんのか!この頑固者!」
「頑固者で結構ですおれは結婚するんです国の為になるはずなんですから国王様でも邪魔はさせませんからね!ほらほらもう寝ないと夜も遅いですよ!」
「ああこら!逃げる気か!?ちゃんとお前を大事にしてくれるような人間でないと私は認めんからな!?」
「それはおれが決めます!おやすみなさい!」
「言うことを聞かんやつめ!おやすみ!」

わあわあ喚く国王様を椅子から立たせて無理やりベッドの中へ押し込むと、力ではおれに勝てない国王様は従うしかないのだ。普段ならばこんな不敬極まりない強硬手段に出たりなどしないが、これ以上話しているとおれが間違っているかのように洗脳されそうで怖かった。間違えていないはずだ。ペルのことを思えば、国のことを思えば、おれが結婚を決めたことは一番正しいことのはずだ。例え過程や手段が間違っていたとしても。

「…マムシ、私はな、お前に幸せになってほしいだけなんだ。ペルもこの国も関係なく、お前の兄として」

灯していたランプを消し、暗くなった部屋の中で国王様の柔らかい声だけが響く。返事は出来なかった。おやすみなさい、とだけもう一度伝えて、静かに部屋の戸を閉める。
厚い扉の外側にいた見張り番には今の会話の内容など聞こえてはいないだろうが、なんだかいたたまれなくなり目礼だけして足早にその場を去った。

    幸せなど、そんなもの。
この国がアラバスタでおれが王族として生まれてきてしまった時から、考えたこともなかった。


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