ペル続々編 | ナノ


三十六計逃げるに如かず  




「マムシくん!おやつの時間よ!」

ノックを2回。返事を待たずにマムシの執務室へ入ったビビに、机に齧り付くようにして何かをしたためていたマムシは顔を上げ、笑顔で迎えてくれた。

「ああビビ…、もうそんな時間か」

書きかけの紙とペンを机の隅に寄せて、おやつの用意を出来るようスペースを空ける。そこへビビに連れ立ってきた侍女が焼きたてのブルーベリーパイと紅茶を並べてお茶会の用意は完成だ。「ごゆっくり」とにこやかに頭を下げて出て行った侍女を見送った後で、ビビは改めてマムシに向き合った。

「今日は何のお仕事をしていたの?」
「手紙を書いていたんだ。先週うちにも遊びに来ただろう?南の方の国の大臣と、その妹さん」
「ああ、あのすごく明るい…」

とても豪快に笑う男と、その後ろでひっそりと佇む婦人が確かに先週マムシを訪ねてきた。ビビが言葉を交わしたのは挨拶だけだったのであまり話せはしなかったが、マムシと親しげにしていたところを見るにどちらも大切な友人なのだろう。
マムシが若い頃から繰り返してきた海の外の旅で得てきたというその友好は、マムシにとってだけではなくアラバスタにとっても重要なものだ。国で貿易を管理しているというその人は復興の支援として沢山の資材と特産品を贈ってくれた。「友人として出来る限りの援助を行ないたい」と、豪快に笑う男が瞳にいっぱいの涙を浮かべて、ぼろぼろになってしまったマムシを力強く抱きしめている様を見た。きっと、後悔しているのだろう。大事な友人が危険な目に遭っていて、それを助けることが出来なかった。あるいは疑ってしまったのかもしれない。ダンスパウダーを使い雨を奪った王族の一端だと、非難したのかもしれない。きっとビビが聞いたところで、マムシは誰かの悪い部分など教えてくれないけれど。

「いいやつなんだ、すごく心配してくれて」
「心配するわよ…友達に久しぶりに会って、そんなにボロボロだったら」

額から頬にかけて走る大きな傷で左目は潰れ、腕は片方無く、争いが沈静化した今でもまだ以前よりも痩せて骨が目立つ身体。「私だって、驚いた」。あの日、宮殿で二年ぶりに姿を現したときのことを思い出した途端泣き出してしまいそうに目の奥が痛んで、ビビは奥歯を噛みしめながら言った。泣いてはいけない。マムシは笑っている。帰ってきてからもずっと、彼は誰のことも責めない。

ビビはずっと、マムシに謝りたかった。言い訳をしたかった。
ダンスパウダーの一件を、まるでマムシのせいだと疑っているような物言いをしてしまったこと。この国の全てがマムシを疑っていたとしても、ビビは絶対にマムシを疑わなかったこと。伝え方ひとつを間違えたせいで、無実の罪に苛まれていたマムシをさらに追い詰めたこと。
それだけじゃない。ビビがイガラムとバロックワークスに潜んで内乱の黒幕を探っていたとき、クロコダイルの名が浮かんだ瞬間にイガラムが絶望的な声で呟いたのをビビは今でも覚えている。「マムシ様が忠告していた。クロコダイルには気をつけろと…!」。七武海といえど、国益をもたらしているといえど、あれは海賊なのだと。気を許してはいけないと、普段国政には一切口を出さないマムシがそれだけは複数の人間にぼやいていたらしい。ビビも聞いた。「あれは海賊だ。気を許してはいけないよ」と。いつもの冒険のお話の延長として受け取ってしまったビビは、その言葉に頷きはしたものの理解してはいなかったのだ。結局はその態度が、マムシを追いやって、長い不在の原因を作ってしまった。
そんな扱いばかりを受けたのだからこの国を見捨てて逃げてもおかしくはないのに、マムシはずっと独りで戦ってくれていたのだ。クロコダイルに立ち向かって、抗って、何度も命を狙われながらも、あの激しい争乱の場に戻ってきてくれた。片腕を失い、砕けたかと思うほど強く頭を殴られる姿を見て、ビビはとても恐ろしかった。クロコダイルが勝ってこの国が好きなようにされてしまうことだけではない。マムシがこれ以上傷ついてしまうのが怖かった。

「…マムシくんが生きていてくれて、嬉しいの、みんな」
「うん、ありがとう」

マムシは穏やかに笑っている。そう言ってくれるだけで満足だというように。
帰ってきてからずっと、誰が謝っても、悔やんで泣いても、責めてくれと縋り付いても、「おれの力不足だった、申し訳ない」と、逆に頭を垂れて自分を責めるだけで、その言葉の通り罪滅ぼしをするように働き始めた。傷が癒えないうちから休もうとすらせず復興の手立てを整えて、まずは休養をとるべきだと止められないうちに彼抜きでは立ち行かないことも増えてきてしまった。だからビビは、せめてとばかりに彼と約束を取り付けた。例え仕事の最中だとしても、一区切りつくまでもなく作業を止めて休息を入れること。毎日決まった時間に仕事を中断し、少なくとも週に半日は休暇を取ること。そうもしなくては次から次へと仕事を抱え込んでしまうマムシが休む時間など、真夜中のたった数時間だけなのだ。そのたった数時間ですらも迅速な対応が必要な案件が出てきてしまえば潰してしまうというのだから、いくらなんでも働きすぎだとビビは思う。だからこそ毎日時報代わりにお茶とお菓子を用意してマムシの仕事の手を止めさせに行くのだ。もちろんそこには、マムシへの心配だけではなくて、ビビ自身の仕事の息抜きと、大好きな叔父とおはなしをする楽しみという下心も多分に含まれているのだけれど。

「そうだ、聞いて!今日のおやつはね、テラコッタさんが用意してくれたの。最近書き物が多いみたいだから、目が疲れてるだろうってブルーベリーのお菓子」
「ああ、嬉しいな。ありがとう」

大きな傷跡で左目は潰れ、右目も随分と視力が落ちてしまっているせいで、マムシの目は文字を読むにも書くにも分厚い眼鏡が必要になってしまった。ビビが掛ければ度がきつすぎて目眩すらするほどのそれを外したマムシは、疲れをほぐすように目頭を押さえている。そんなにも負担が掛かるなら他に代筆を頼めばいいというのに、仕事に関して手を抜くことをしないマムシはそんなところまで抱え込んでしまう。もちろん、マムシの直筆だからこそ心を動かされて支援の声を上げてくれる人もいただろうことを考えると、まるきり無駄とは言えないのが悩みどころではあるのだが。

「ビビは今日は何を?」
「午前中にはいつもの勉強と習い事をして…昼前からユバに行ってきたわ。リーダーとトトおじさんに会って、状況とか、必要なものとか聞いてきた…」
「そうか、みんなビビが顔を出して喜んだろう」
「うん、歓迎してくれた」
「また折を見て行ってあげるといい。君が顔を見せるだけでも活気付く」
「そうかしら」
「そうだとも」
「私、話を聞いてきただけだわ」
「それでいいんだ。君は王女様で、昔馴染みで、この国を救った英雄なんだから、顔を見せるだけで勇気づけられる」
「そんな言い方、やめて…」

英雄だなんて面映ゆい。そんな大層なものではないのだ。ビビはただ、自分の大切なものを守りたかっただけで行動していた。きっとこの国の全員がそうだったのだ。反乱軍として敵対してしまったコーザも、王宮を守ろうと民に武器を向けてしまった護衛兵も、父である王もずっとついてきてくれたイガラムもチャカもペルも勿論マムシもみんな、国を思って戦って、傷ついた。ビビが英雄だというのなら、武器をとって戦った全ての人々がそう呼ばれるべきだ。

「私の力じゃない。本当にこの国を救ってくれたのは、海で出会ったあの人達よ」
「うん、本当に彼らには感謝してもしきれないな。また会えた時のために今度こそちゃんとした御礼を用意しとかないと」
「……ねえ、マムシくん、本当にルフィさん達とはあの時が初対面だったのよね?」
「う?うん?」
「ルフィさん達を見て、ずっと待ってたって、マムシくん言ってたわ。それに一目見た瞬間すぐに味方だって認識した。それから、彼らが海に出る前ルフィさんに何か吹き込んでなかった?私に内緒で、ナミさんにも何か渡してたみたいだったし…ねえ、もう隠し事は嫌よ?ちゃんと話して!?」
「わあ、なんだなんだ、落ち着いてくれよ」

突然いきり立ったビビに、マムシは目を丸くしている。だがビビは、ずっと聞きたかったのだ。それに何度も聞いてきた。けれどその度にのらりくらりと話題をそらされて、気付いた時には何も聞き出せないまま目の前からマムシはいなくなっているのだから、ビビは何度も同じ質問をするハメになっている。今日こそは答えを聞くまで逃がさないと傷だらけの右手を握ったビビに、マムシは情けない声で「おかしたべれない…」と嘆いているが、騙されてはいけない。そうやって今度はお菓子の話題に持って行って、またはぐらかすつもりなのだ。

「お菓子は話が終わってからよ」
「そんなに怖い顔をしないで。悪いことはしてないよ」
「マムシくんが悪いことをしてないなんて知ってるわ。ただ私が、マムシくんのことを知りたいの」

確証はないけれど、ビビはなんとなく、こうなることをマムシは予知していたのではないかと考えている。国が危機に陥ることを、そしてあの海賊たちに救われることを、知っていたのではないかと。
そう考えれば様々な辻褄が合うのだ。王族でありながら若いころから護衛兵に混ざって身体を鍛えていたというのも、周りの反対を押し切って海の外へ出ていたのも、全てはこの国の危機を事前に救うためだったのではないかと。そして未来を知っていたなら、ビビが連れてきたあの海賊たちのことを知っていたとしてもおかしくはないはずだ。
突飛な考えだとはわかっている。未来が見えるなんて、本の中のファンタジーでしか聞いたことがない。もちろんマムシからもそんな能力があるだなんて教えてもらったことはなかった。匂わせることすら、一度だって。
けれどこの海に不思議が溢れていることは、ビビはもう知ってしまっている。何が起きたって嘘や幻だとは思わない。もしも本当に未来を知っていたなら教えてくれたら良かったのにとは思ってしまうが、はっきりと口に出さなかったということは彼にも確証がなかったのかもしれない。だからこそ、誰にも頼らず、たった一人で現実になるかどうかもわからない危機に備えて動き、そしてこんな風にぼろぼろになるまで戦い、知っているくせに止められなかったと自分を責めて懸命に働いている。
ビビが幾度となく同じ問いを繰り返してでも聞き出したいのは、不可解な部分を解き明かしたいと思うのはもちろん、マムシのことを知りたいという気持ちも強い。もしも本当にマムシが未来を知っていて、その通りの結末になってしまうのだとしたら、例えそれが変えられない運命だとしてもマムシ一人で苦しむような真似は二度とさせたくないのだ。どんなに突飛な秘密を持っていたとしても驚きはしない。元々なんでも見透かしてしまうかのような叔父なのだ。否定なんかしない。ただ知りたいと思う。苦しむなら一緒に苦しみたい。二度と彼の言葉を疑ったり流したりしたくない。握った手にぎゅっと力をこめてマムシを見つめると、ビビの勢いに観念したかのようにマムシは大きく息を吐いた。

「やれやれ…うちの王女様の前で隠し事は出来ないな。すぐに暴かれてしまいそうだ」
「なんでも暴いちゃうのはマムシくんの方でしょう?マムシくんは私達のこと何でも知ってるのに、私達はマムシくんのことを知らないなんて不公平だと思わない?」
「…そうだね、じゃあ、白状しよう。おれの隠し事を教えてあげる」
「本当!?」
「うん…ほら、そこの書きかけの手紙、読んでごらん」
「手紙?」

先ほどマムシが端に寄せた書きかけの手紙を、手にとって上から下へ内容を眺めていく。先日遊びに来た外の国の大臣へ宛てたそれは、挨拶から始まり、復興支援に対する礼と、また会って話がしたいという誘いと、それから    


「……けっ、こん?」
「うん、実はね、あの時一緒にいた妹さんと、結婚しようかなと思って」

人生においての重大な選択を、さも『ちょっとした隠し事』のようにしれっと暴露した叔父に、「ええええええ!!????」とここ最近で一番の大声を出してしまったビビがまた話をはぐらかされたことに気付いたのは、この騒動が落ち着いてからずっとずっと後のことになる。


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