ペル続々編 | ナノ


よわりめにたたりめ  




なにが悪かったのだろうか。なにを間違えたのだろうか。計画、タイミング、伝え方、選択肢、あるいは発想からして全て。最善だと思えた政略結婚は、なにもかもが上手くいっていない。


当初話を持ちかけようとした件の友人には、打診の手紙を送ってすぐに電話がかかってきた。「あんたのよくわからない自己犠牲に私を巻き込まないで」。辛辣な言葉で却下されてしまったが、相手が気乗りしない可能性とて考慮していたのでさほどダメージはない。不愉快な思いをさせてしまったのはまた今度の機会に謝るとして、断られたのならば仕方ないと他の女性を探していたのだが、「うちの娘はどうですか」と代わる代わる話しかけてきたのは望んでいた諸外国の権力者ではなく、よく見知ったアラバスタの人間たちだ。政略結婚をするというのにそれでは意味がないと何度同じ断りを繰り返したことか。それでも執務机の隅へ積んでいた見合い写真の中へ勝手に各々の娘の写真を入れていくものだから、素性を確認して選別をしなくてはならず、おかげで手を付けるべき仕事も遅れてしまい、事情を知らない末端のものからは「復興のために割く時間を削られるのでは」などと要らぬ疑いすらかけられてしまう始末だ。そんなつもりじゃなかった、と弁明したところで結果的にはそうなってしまっているのだから説得力などない。仕方なく睡眠時間を利用しベッドの中でこそこそと仕事を進めていたが、ただでさえ視力の下がっている目に薄暗い場所での書類仕事は負担が強かったようで、ここ数日頭痛がひどくなっていく一方である。せっかくの見聞色の覇気も、その痛みが邪魔して安定せず、むしろ頭に響くいくつもの『声』が雑音になって悪化していった。

頭痛の種はそれだけではない。
国王様は二人きりになる度「ちゃんとペルと話したのか」「ペルの様子は見たのか」と幾度となくつついてくる。加えて、皆の前でははっきりと口にこそ出さないものの結婚に反対である様子を隠そうとしないので、他の臣下もその意図を汲んでか「あなたがそこまでせずともいいのでは」「アラバスタを捨てるおつもりか」「誰かにそうしろとふきこまれたのですか?」と自分も反対だと訴えんばかりの物言いをしてくる。責められているような気分だ。滅入ってしまう。

話が広まる原因となってしまったビビはビビで、おれが結婚しない自分の代わりになろうとしているのではないかと心配なようだ。そんなことないと言い聞かせても聞く耳持たず、「マムシくんを大事にしてくれる人でないと嫌よ」の一点張りである。大事にだなんて、そんなことおれは求めていないのに。ただおれの妻という立場に収まって、アラバスタに権力の繋がりをもたらしてくれたら、それで充分、過ぎたるほどの願いだろう。これ以上望んでは誰も相手にしてくれないというのに、ビビはそれではいけないという。美しくて人を惹きつける王女様。生きているだけで価値のある君には、きっと一生おれのような人間を理解できないだろう。

なにもかもがうまくいかない。やはり、全てが決まってから伝えれば良かったのだ。後悔ばかり。一時しのぎで打ち明けてしまったおれが迂闊だった。

自分一人で密やかに相手を決めて、国王様やビビが絶対にこの宮殿内でと譲らなかった顔合わせも外で済ませて、手頃な相手が承諾してくれたらそこで初めて国王様に紹介して、その場で婚姻契約を結んでしまって。
そうすれば、今よりもずっとスムーズだったはずだ。

    少なくとも、こんなことにはならなかった、はずだ。




「あなたには、自由でいてほしかった」

ボロボロと大粒の涙を零し、しゃくりあげながらもはっきりとそう言った女のつむじをぼんやりと眺める。頭がぼんやりとして、まるで白昼夢を見ているような気分だった。

「誰のものにもなってほしくなかった」

鼻をすする音。顔を拭う給仕服の袖は濡れて化粧の肌色や赤色も移ってしまっていて、汚いな、と思った。これでは何事もなかったかのように人前へ出せなくなってしまう。誤魔化しがきかなくなってしまう。

「お慕い、して、…おりました、ずっと、あなたのことが、好きでした……だ、だから、わたし…」

だから、なんだ。好きならば何をしてもいいというのか。好意というのは、免罪符にでもなるのか。

じくじくと腹が痛む。柄まで深く突き刺さったナイフが、霧散しようとする意識を繋ぎ止めていた。額から脂汗が浮かんで、手足が冷えていく。どうしてこんな目に、と思う反面、傷ついたのがおれで良かったとも思う。この凶刃の矛先は、本来おれではなかった。あの年端もいかない無防備な令嬢に向けられていた悪意だ。

何度目かの航海で知り合った政府高官の男に見合いの話を打診したところ、「君にならうちの娘をくれてやってもいい」と嬉しい言葉をくれたが、今日実際に連れてきたのは少女と表すのが正しいほど幼い年頃の女の子だった。確かに顔はいい。躾もよく行き届いていて、一端のレディと言ってもいいだろう。だが少女だ。「年は?」と聞けば「12歳」と返ってくる。小学生じゃねぇか。おれの中の児ポ法も警報を鳴らすわ。もうちょい年頃で未婚の娘さんもいたよね?なんで幼女連れてきた?

例えば元の世界でいう中東の王族が娶るなら、その国では常識の範囲内の年齢なのかもしれない。だがかつて日本人として生きていたおれの常識の範囲では完全にアウトだ。こんな幼い子供が候補に挙げられるなど想定すらしていなかった。仮面夫婦としての婚姻だとしても、親の言うことを聞くしかない年頃に一回りどころか二回り以上の、しかも傷だらけで王族の生まれという以外に取り柄もない男と結婚しろとはあまりにも残酷すぎる。案の定顔を合わせた途端に怯えが伝わってきてしまい、おれは彼女にどう気にいってもらうかよりも、どう穏便に破談にするかばかりを考えていた。選べるような立場ではないとわかってはいるが、さすがに12歳は、無理。

上機嫌におれたち二人を残して国王様のもとへ行ってしまったあの父親にどう断りを入れようかと、そして他にまた結婚してくれそうな権力者を探さなければと痛む頭へも容赦なく雑音を響かせるたくさんの『声』の中で、唐突に頭の中へ割り込んできたのは憎しみと緊張、それから強い執着だった。

『この見合いさえぶち壊しにしてしまえば、このひとはずっと誰のものにもならずに済む』。

至近距離で喉の奥から搾り出すようにして聞こえた『声』の主が、すぐそばにいる給仕のものだと確信したのは客人に紅茶を差し出す瞬間にその『声』が一際鮮明になったからだ。咄嗟に少女を庇うよう身体を割り込ませてみれば、受け止めることになったのはどすんとぶつかる女の身体の重みと衣服にかかった紅茶の熱さ、それから鋭く食い込んだ、刃物の痛み。

    刺すつもりだったのだ。この女は、よりにもよって国の客人として招いた、いたいけなあの少女を。


はァ〜〜〜〜〜〜〜???正気ですかァ〜〜〜〜〜〜???国際問題待ったなしなんですけど???刺された腹より頭がいてぇわ!!

全く想定外のハプニングに胃すらきりきりと悲鳴をあげてきたが、不幸中の幸いは他の人間に悟られなかったという点だ。差し出したティーカップの影でナイフを握っていたようで、庇ったおれすら刺されるまで目視では確認できなかった。
これが護衛していた人間に、ましてあの少女にでも見られでもしていたら、今頃上から下への大騒ぎ、暗殺者かテロリストかと尋問されて、その動機がおれへの好意だなどと知られたら一気に責任はおれに降り掛かり、相手方への謝罪と信頼回復のための対応と悪い噂が広まらないよう対策と    とにかく処理しなくてはならない案件が爆発的に増える。これ以上余計な仕事と責任を抱えるのはなんとしてでも避けたくて、痛みを増した頭をぐるぐると回し刺さったままのナイフを隠してどうにか誰にも気づかれないよう部屋まで避難することには成功した。だが問題はここからだ。この女の処分。腹の傷の手当て。血で汚れた衣類とナイフの証拠隠滅。どれも大事にならないよう進めなくてはならない。


「好きなだけで、良かったのに…、あなたが幸せになってくれるなら、納得も、できたのに」

愛情のない結婚をするというから我慢がならなくて相手を脅そうとした。脅かすだけで刺そうとは思ってなかった。なのにあなたが急に割り込んできたから刺してしまった。
ぐずぐずと泣きなから聞かされた弁明は、おれのせいだと責められているような気がした。おれが悪いのか?子供じゃあるまいし、考えればわかるだろう。その目論見が成功していれば、おれとこの女だけの問題ではなくなってしまう。アラバスタという一国家の問題だ。国王様にまで頭を下げさせるような事態にまで発展していたかもしれない。そんな大事件の原因がくだらない恋情だったなどと、どんな顔で説明すればいいのか。近所の子供を招いてお茶会していたわけではないのだ。どこにでもいそうな少女といえど、相手は政府高官の娘。親を怒らせれば政府から厳しい目で見られる可能性すらある。元も子もない。おれはアラバスタに後ろ盾を作るためにも結婚という手段を選んだというのに。

「この気持ちは、墓まで持っていくつもりでした…身分不相応だと、わかっています、でも、わたしは、わたしがどうなろうとも、どうしても、あなたに幸せになってほしくて…」

言わなくてもおれの見合い相手を刺せば大体の動機なんかばれるだろうに。単純に頭が足りないのか考える余裕がないほど昂っていたのかは知らないが、とかくもう、どうでもいい。聞くことすら臆劫だ。自己犠牲のつもりなのがなおのこと腹立たしい。

そもそも、彼女がおれに好意を抱いていることは、なんとなくわかっていた。
まだ内乱が起こる前からおれによくついてくれていた給仕のこの女性が、いつからおれを好きなのかは知らない。気付いたら淡く色付く感情がおれに向いていたのだ。
だからといって何も対応をしなかったのは、気付かないふりをしようとしたわけでも、王族と使用人という立場の違いからどうせ何もしてこないだろうとタカをくくっていたわけでもない。ただ本当に、どうでもよかった。
改めて考えればひどい話だが、おれは彼女のことを単なる給仕としてしか考えたことはなく、言ってしまえば個の人間として見たことすらない。彼女の好意を察しておきながら、その好意を嬉しいとも迷惑だとも何とか諦めさせなくてはいけないとも思わなかった。ペルがおれに好意を抱いていると察したときには大いに狼狽えて解決策すら立てたというのに、なぜ彼女には同じように思わなかったのかといえば、それすら今考えてみないと理由をつけられない。意識していなかった、が一番正しいだろうか。どうでもよかった。放っておいても大事になるとは思っていなかった。彼女の好意は、腐っても王族という立場にうまれたものへの憧れと混同しているのだと思いこんでいた。考え直して意識することすら考えつかないほど、どうでもよかった。どうでもいいと思うことすらないほどどうでもよかった。

人の気持ちを軽んじた罰がこれだというなら甘んじて受けよう。だが周囲に、まして国に被害を及ぼすような真似は本当にやめてほしい。おれを苦しめたいのなら効果は覿面だが、この女はおれに「自由でいてほしかった」などという。自由なものか。この世界に生まれて、おれは本当に自由を得たことなど一度もない。常に罪悪感と恐怖に怯えてきた。なにも知らないくせに、一番の悪手を選択したくせに、どうしてさも『おれのため』かのような態度をとれるのか。

例えばペルなら、おれが困ることなんかしないはずだ。ペルなら絶対にこんなことはしない。こんな、おれやアラバスタを窮地に陥れるようなことは、自分の感情を殺してでもしないと確信が出来る。そういう子だから、どうにか解放してあげないといけないと思ったのだ。なんの間違いか芽生えてしまった感情を、いつの日にか「気の迷いだった」と笑って済ませられるように。

そうだ、おれは結婚しなくてはいけない。ペルのために。アラバスタのために。そのためには、なにもなかったかのようにまたあの席へ戻らなくてはならない。


まずは傷をどうにかしよう。ナイフを抜いて、血が衣類に滲まない程度に塞いで、それから不自然でない程度の時間で引き返して…この給仕の処理はどうしようか。さすがに国賓に対して悪意を持った存在を放置するわけにもいかない。だが拘束しておくにしても、追放するにしても、殺すにしても、この宮殿内では隠しきれない。夜ならまだしも、今はこの給仕と二人で部屋へ戻るのを目撃されてしまっている。だとしたらなんと説明すればいい?おれに惚れていたから見合い相手を脅そうとしましたと?そんなもの、おれのせいになってしまうじゃないか。興味すら抱けなかった一方的な好意のせいで、痴情のもつれだと糾弾されるのだ。この女を捨てるために結婚へ走ったのだと誤解すら生むかもしれない。ただでさえ結婚の話を出してからろくな評価を受けていないというのに、これ以上悪い噂を広げてたまるか。
いっそ誰にも言わないことを条件に無罪にするか?緊張してしまうようだからという建前で今後客人には近づかせないようにして、顔合わせも出来るだけ相手のもとへ訪問するようにして、ああその前にあの少女と穏やかに破談にするための文言を考えないと、あの父親はやけに乗り気になってしまっているし、怒らせないようにおれの落ち度にして、次の候補も考えなくてはいけないし、それから通常の業務もこなさないと、港の修繕は予定より遅れてしまっているし、ユバの水道工事も人手が足りていないようだし、あとは一時より少なくなったとはいえ海賊が上陸してきたときの対策も     

……めんどくさいな。


抜くに抜けないナイフが刺さった腹が痛い。腹だけじゃない。頭も胃も目も耳も喉も手足も、あちこちが痛い。こんなに痛くて、どうしておれは生きているんだろう。腹を刺されて、呑気に人の話を聞いて、これからのことを考えて、今日も明日も明後日も働こうとしている。
普通、腹を刺されたら休んだっておかしくないだろう。おかしくないはずだ。安静にしていなければいけないはずだ。そうだ、いっそこのまま倒れてしまったら、なにも考えずに済む。国のことも結婚のこともペルのことも。

     それはとても、楽だろうな。

「、う゛っ…」
「…マムシさま…?あ、ああ、血、血が…っ」

腹に突き刺さっていたナイフを抜くと、当然のように堰を切ってどぷりと溢れ出る血液の感覚が気持ち悪い。紅茶の染みた衣服に上塗りされていく鮮やかな赤は、穴の空いた部分を押さえなければ自然と範囲を広げていくだろう。大量に血液を失った身体は動けなくなってもおかしくはない。動かなくてもいい。そのまま意識を失ってしまってもいい。永遠に、目覚めなくてもいい。

「い、医者、呼んできます、わたし…っ!」
「だめだよ」
「え、」
「だめだよ、じゃまをしないでくれ」


このまま死ねたら、明日から何も考えずに済むんだから。


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