ペル続編 | ナノ


やわらかな無罪  




「死に損なったなあ…」
「縁起でもないことを言うな」

長い長い溜息を吐いたあと、まるで死ぬつもりだったかのような口振りの弟に、コブラはぴしゃりときつい口調で窘めた。
思わず漏れた独り言だったのだろう、マムシはちらりとコブラを見て唇をもごもごと動かし、結局何も言わずにまた窓の方を向く。外は雨が降っていて、小さな声でさえ拾えるほど静かだ。

クロコダイルとの一戦で重傷を負い、それこそ命を落としてもおかしくはなかった状態のマムシは、しばらくの絶対安静を医師に言い渡されているというのに少し目を離すと寝室を抜け出してちょろちょろ動き回ろうとする。どうにかしてほしいと医師に泣きつかれ様子を見にやってきたが、医師に言われなくともコブラは様子を見にやってくるつもりではあった。なにせ、伝えたいことがたくさんある。聞きたいことも、知りたいことも、そうでなくとも、顔を見れるだけでも、それで。

「…辛い思いをさせて、すまなかった」

喉から引き絞るような声で謝罪を漏らすと、再びマムシはコブラの方を向き、目を細めた。「あなたが、謝るようなことは、なにも」。優しい声で宥めるように言われたとて、気持ちがおさまるわけもない。過ぎてしまったことを悔やんでも遅く、前を向くしかないことは自らが国民に伝えたように理解している。けれどマムシは、弟なのだ。王としてではなく、一人の兄として、悔やみきれない想いは抑えられない。

「お前が、生きていてくれて…本当に良かった」
「………」
「本当だ、本当に…お前には、辛い思いをさせた。許してくれ…私は、悪い兄だ」

うなだれるコブラの手に、マムシの傷だらけの手が重ねられた。触れた手のひらは熱い。熱があるのだ。寝かし付けてやった方がいいことはわかっている。けれど、この時を逃せばマムシの心に触れられる機会は二度とないような気がした。コブラをしっかりと見据えた瞳が、気持ちを明け渡す覚悟を示している。いつもは逃げるように遠ざかっていってしまっていた弟と、こんなふうに向き合うのは初めてではないだろうか。皮肉なものだ。国の危機に遭って初めて、マムシはコブラに本音で話そうとしている。

「悪いのは、おれです。全てを知っていたのに、役に立つことが出来なかった」
「お前の言葉をちゃんと聞いてやらなかった私の責だ。海賊を、クロコダイルを警戒しろと、言った通りにしていれば…」
「違う、違うんです…おれは、あの男が来る前から、ずっと前から、こうなることを、知ってた…」
「…なんだと?」

じっとコブラを見つめていた瞳から、ぼろりと大粒の涙がこぼれた。重ねられていた手はいつの間にか縋るように掴まれており、許しを乞う姿にさえ見える。

「この世に生まれる前に、おれは、この国の未来を見た。あの男の策略で罪のない人々が傷ついて死ぬことも、だけどあの海賊たちに救われることも、全部、知ってた」

にわかには信じ難い、未来予知の力を持っていたとも言える告白に、コブラは言葉を失った。十ほども歳が離れて生まれてきたこの弟のことを、コブラは当然小さな頃から知っている。父母や臣下と同じく、成長をずっと見守ってきた。それでもただの一度も、マムシがそんな力を持っているとは欠片も思わなかった。当然だ。そんな片鱗を、マムシは欠片も匂わせなかった。

「たくさんの人々が死ぬことも知ってた。取り返しのつかない事態が起きることも知ってた。でも、最終的に国が救われるならと、おれはアラバスタから目を背けたんだ。見た未来の中におれの姿はなかった。おれは生まれてくるべき存在ではなかったんだ。何も出来なかった。王族のくせに、国を見捨てた。おれは、おれが余計な手出しをすることで、救われる未来が変わってしまうことが、何より怖かった」

ぼろぼろと涙を流しながらも伝えようとする言葉に、嘘があるとは思えない。けれど一言一句聞き逃すまいと耳を傾けた言葉の中の、「生まれてくるべき存在ではなかった」という主張。それがマムシをずっと苦しめていた正体だと知った。
何も言えなくなったコブラに、マムシはベッドから起き上がり詰め寄った。吐く息も、触れている手も、何もかもが熱い。

「断罪してくれ…何の役にも立たない、生まれた価値もない男だと責めて、裁いてくれ。あなたには、その権利がある」
「できるわけないだろう…お前はもう充分苦しんだ」
「でも、何も出来なかった!」
「悔やむな!お前が懸命に戦ってくれたのをこの目で見ている!」
「国のためじゃない!自分のためなんだ!」
「それでも!それでも、私にお前を裁くことなど出来ない…!大事な弟なんだ!生きていてくれて、それだけで嬉しいと、それの何がいけない!?」
「でもおれはあなたを兄と思ったことはない!」
「あァ!?なんだとコラァ!」
「だって!だって!!」
「だっても何もあるか!血が繋がってるんだぞこちとら!」
「あなたは兄にするには立派すぎるんだ!おれの気持ちなんかわかるわけない!」
「それを言うなら!『大きくなったらマムシくんと結婚するの』とビビに言われた私の気持ちがお前にわかるのか!?」
「小さい頃でしょ!?こどもによくある世迷言じゃんかァ!!」
「今も本気で思っていたらどうする!?ビビの窮地に颯爽と登場しおって!私なんぞ磔だ!」
「国王様は磔になってたって威厳があってか゛っ゛こ゛い゛い゛も゛ん゛ん゛ん゛」

緊迫した空気から一転、びゃあびゃあと泣き喚くマムシと、つられて声を荒げるコブラの生まれて初めてのくだらない兄弟喧嘩は、騒がしさに気付いてやってきたイガラムが止めにくるまで続いた。
「いい年して大泣きしたことを皆にばらされたくなければもう自分を責めるのはやめろ」「ぐぬぬ」「そして私のことはおにいちゃんと呼べ」「ここぞとばかりに足元見やがるこの国王」という取引でまた馬鹿げた言い争いは再開するのだが、それが笑い話として二人の酒の席に度々登場するようになるのは、マムシも知り得なかったすぐ先の未来のことである。


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