ペル続編 | ナノ


報復と救済  




クロコダイルでかすぎ…こわ…ひく…。


常人より頭一つどころか子供一人分は抜きん出た身の丈と、その縦の長さにふさわしい立派な恰幅。本性を現すかのように目つきはひどく冷えていて、顔に走る大きな傷跡が暴力を当然として生きてきた証のように見えた。
一番初めにあの男の実物を見た印象が、鮮烈な恐怖の象徴として脳裏に焼き付いている。この世界に生まれ自分の立場を把握し、逃げることばかりを考えていたけれど、この歳になるまでの長い年月の間にあの男がことを起こす前に何とか食い止めることは出来ないかと画策した時期も無かったわけではない。特に、ペルの残酷なおねだりによりアラバスタに滞在することが多くなってからは尚更だ。だが目の前のもの全てを支配するかのような威圧感に、おれの繊細で脆弱な心は「あっこれムリ」と判断を下したのだ。遠目で見ただけだったというのにほんと怖かった…いよいよこの時が来たのかという進退極まった状態も合わさってションベンちびるかと思うほどのパニックに陥ったことはよくよく覚えている。

あの男がアラバスタにやってきたタイミングも良くなかった。ちょうどその時おれは、以前仲良くなった国の第4王子様がおれ宛に堅苦しい文書の手紙を送ってきていて、要約すると『遊びに来いよ!飲みにいこうぜ!』というお誘いだったので呼び出されたのをいいことに意気揚々とアラバスタを留守にしていたのである。『外交官』として『国家間の友好を保ちに』なんてもっともらしい大義名分はあったが、実際は偶然仲良くなった男が偶然近隣諸国の王子で偶然おれの正体を知って「王位継がない中途半端な立場同士仲良くしようぜ!」という軽いノリの男と遊びにいくという、仕事上の付き合いを言い訳にキャバクラへ行く妻子持ちの会社員のような行いなのである。
国民の血税を使っての所業に罰が下ったのか、それなりに時間のかかる船旅の後に帰ってきたらクロコダイルがすでにアラバスタへ寄生していたので本当にションベンちびるかと思うほどビビった。
その後はさすがクロコダイルというべきか、おれが不在にしていた短い期間にさっさと自分の株を上げるような行為や事業を展開していて、元々が七武海という政府側の海賊であるという肩書きも後押ししあっという間にアラバスタの人気者になっていた。
そんな、完全に出遅れた状況の上に好感度マックスの英雄と、遊んで帰ってきたボンクラ放蕩息子のどちらが信頼に値するかなんて考えなくても答えはひとつだ。

案の定、おれの警告は誰にも届かなかった。

まだ悪事が明るみに出ていない、今は準備段階であろうという時期に「あいつ国家転覆狙ってんだぜ!」と主張しても信じてもらえるわけがないので遠回しにクロコダイルが危険人物であるということを主張してはみたのだが、誰もまともに取り合ってくれないどころか『お前みたいな放蕩息子でも国を憂いたりするんだな』という反応しか得られず、自業自得ながらものすごい傷ついた。もぅマヂ無理。リスカ…はしないけどやっぱ今のうちに逃げ出そうかな…と思っているうちに第二の天罰。クロコダイルがこの国の転覆を狙ってダンスパウダーを利用した罠が発動し、それがいつの間にかおれのせいになっていた。

宮殿内では国王の座を狙った次兄のマムシによる企みではないかと噂され、ただの友人だったはずの近隣諸国の重鎮からは「うちの雨まで奪うつもりで近付いてきていたのか」となじられた。いくら言葉で否定をしたって証明が出来なければなんの信憑性もない。ましておれは国王の弟として生まれてきてしまったのだ。国王と仲がいいわけでもないおれが王座を狙って失脚を企てたなんてよくありそうな話で、その反面、諸外国から見れば法をおかしてでも天恵を得ようとする愚かな王族の一端だ。疑われても、なじられても仕方のない立場である。
おれは未来を知っていたのに、その凄惨な未来から逃げようと足掻いていたのに、気付いた時にはもはやどこにも味方などいなくなっていた。いや、最初から味方などいなかったのかもしれない。所詮は救うつもりのない人々と、逃げたくて足を向けた先で知り合っただけの人々が相手なのだ。自己保身の末がこの結果ならば自業自得というものだろう。

結局は四面楚歌とも言えるような状況になってしまったものだから、最終的に『主人公』が助けてくれるといっても、それまでこの国が枯れていく様子をただ眺めているだけというのは気が狂いそうだった。まして、この国は助かったとしても、おれが助かるなんて保証は一切ないのだ。原作に『おれ』がいなかったのは、描かれていない過去の部分で嫌疑をかけられて処刑されていたからでは?王族を恨んだ国民や反乱軍に殺されたからでは?
毎日そんな想像ばかりしていて、周りの全てが敵に見えていた。今だから言えることだが、その時のおれは精神的にかなり参っていたのだ。おそらくおれを信じてくれる臣下もいただろうし、よその国の友人は身を案じて「こちらの国に亡命してこないか」と提案をしてくれた。けれどその時のおれには、おれを疑い責める存在だけが全てで、どれだけ優しい言葉や気遣う声をかけられたとしても悪いようにしか受け取らなかった。どうせお前もおれを疑っているんだろう、優しく気遣うふりをして、おれを陥れて殺すつもりなんだろう。そんなことばかりを考えて、それが当たり前の状況なのだと思い混んでいた。気が狂っていたのだ。まともではなかった。あんなにも懐いてくれていたビビにさえ疑惑の問いを投げかけられて、まともではいられなかったのだ。

そんな風に追い詰められて、もはや死の恐怖よりも生きていく苦痛の方がまさっていたのだと思う。避け続けていたはずのクロコダイルにわざわざ会いにいくような真似をして、あんなにも恐れていた男を目の前にしながらもするりと口から出た「アラバスタから出て行ってくれないか」という言葉には我ながら馬鹿の所業と呆れてしまう。
あんなにも恐ろしかった男相手に、喧嘩を売るような言葉だ。実際、喧嘩を売ってしまった。案の定目をつけられたおれは、命を狙われて半死半生のままアラバスタから逃げ出すことになる。

そうしてそこから2年間、今日にいたるまで、おれは常に命の危機と隣合わせで暮らしてきたのだが、実を言うとクロコダイルによる危機というのはその2年間のうちのほんのちょっとだけである。
アラバスタを逃げ出すきっかけになったのは、確かにクロコダイルがけしかけてきたバロックワークスのエージェントによる暗殺行為だ。しかし間一髪のところで命は助かり、海に流され、漂流して辿り着いた先ではあの時殺されていた方が楽だったのではないかと思うほどロクな目に遭わず毎日のように死にかけていた記憶しかない。

海賊に拾われて奴隷のように扱われた日々もあれば、逃げ出した先の無人島で肉食獣に狙われながら過ごした日々もある。保護してくれた海軍の軍艦が交戦によって沈められ海を漂った日々もあるし、保護されたことによりおれがまだ生きていると知ったらしいクロコダイルが再び刺客を向けてきて命を狙われ続ける日々もあった。隠れ宿にしていた町でおれが王族だと知った商人に捕らえられて、毎日死なない程度に血を抜かれ続けた日々はさすがに終わりも見えなくて絶望した。最初は王族になんらかの恨みでもあるのかと思っていたが、高貴な血が高値で売れるからだと知った時にこの世はクソだと思った。なんの効能もないただの血液が、飲めば心が洗われるだとか来世は高貴な身分に生まれ変われるだなんて舌先三寸で飛ぶように売れていくのだ。気が狂っているとしか思えないが、貴族に支配されたその町では気休めになったのだろう。おれにとっては地獄でしかなかったが。

行く先々で酷い目に遭い、よくもまあこんな災難が続くものだと、どうしておれがこんな目にと、嘆いたことなど数えきれない。直接クロコダイルに手を下されていたのならまだ納得がいくものの、大半がクロコダイルと関係のない災難なのだ。

未来の惨劇を知っていてなお、なにも動こうとしなかった報いなのだろうか。無力を言い訳に目を背けていた罰なのだろうか。
いっそ自らの手で終わらせようかとナイフを腹に突き立てたこともあったけれど、結局は死にきれなくて化膿した傷による発熱でまた生死の境をさまようだけだった。

苦しむためだけに生きていた日々に、終わりを告げたのは唐突だ。


    本当におれが悪いのか?こんな目に遭うのはおれのせいなのか?


ふと、雨が降ってきたかのように頭に湧いた疑問だった。

クロコダイルが国家転覆を企てなければ、おれはこの世界に生まれてからずっと未来に怯えなくても済んだ。自分の家族や国の人々に申し訳ない気持ちを抱いて肩身の狭い思いをしなくても済んだ。国王の失脚を狙っていると思われて臣下から疑念の目で見られずに済んだ。国民から恨まれ、近隣の国の友人になじられずに済んだ。命を狙われ、逃げ出した先でさらに悲惨な目に遭わずに済んだ。

全てはクロコダイルの企みひとつによるものなのだ。
おれが犯した罪ではない。おれは、『主人公』が救ってくれる未来が変わってしまうことが何より恐ろしくて下手に動けなかっただけだ。クロコダイルを確実に倒す未来を待っていただけだ!!

陰が転じて陽を成すがごとく、急激に全ての責任をクロコダイルに押し付けてからは早かった。あいつ一発殴ってやんねェと気がすまねェと殺意の波動に目覚めたおれは、様々な困難に立ち向かいながらまっしぐらにアラバスタへ戻ってきたのだ。
幸い、この2年間で数え切れないほどの災難を切り抜けてきたおかげか、いつの間にやら身体能力が上がっていたのも追い風になったのだろう。そこらへんの海王類やバロックワークスの下っ端など敵ではなく、あっという間にアルバーナまでたどり着くことができた。幸か不幸か内乱真っ只中、まさに原作軸と言わんばかりのアラバスタに突っ込んでいけばもちろんクロコダイルだけに構っていることは出来なかったが、なんとか宮殿に辿り着き、夢にまで見た恐ろしい男の背中を捉えることが出来た。

久々にその姿を見た感想は、「こんなものだったっけ」の一言だ。極限まで高まっていた怒りは霧散し、蓄積された恨みもどうでもよくなってしまった。もしかしたら、あまりにも散々な目に遭いすぎて頭のネジが一本外れてしまったのかもしれない。

常人より頭一つどころか子供一人分は抜きん出た身の丈と、その縦の長さにふさわしい立派な恰幅。本性を現すかのように目つきはひどく冷えていて、顔に走る大きな傷跡が暴力を当然として生きてきた人種の証のように見える。
この凄惨な2年間で左目は潰れてしまい、残った右目も多少視力が落ちているが、見えているものが変わってしまったわけではない。けれど今のおれにはその男が、鮮烈な恐怖の象徴などではなく、まるで長年の知人のようにも見えた。この世に生まれてからずっと、おれの心に巣食ってきた男。おれの二度目の人生全てに影響を及ぼしてきた男。おれの世界の中心だった男。そう思うといっそ親しみさえ湧いてくるのは、ストックホルムなんちゃらと言った精神衛生上の安定をはかるための自己洗脳と考えることもできる。となると実際にはおれの精神は崩壊寸前、パニックで吐きそうになっているのかもしれないが、この緊迫した場を前にしても他のことを考える余裕があるほど頭は冷静なのでそう悪い状況でもない。なによりおれは、ここでクロコダイルに一発入れることを人生の目標として、達成出来ても出来なくとも死ぬのだ。おれを殺し損ねた詰めの甘い男でも、よもやこの距離のこの状況で、おれのような格下にトドメをさせないはずがない。
奇妙なほど冷静な今は、死ぬことも怖くはなかった。死ぬよりも酷い目に遭った今では、この男の容赦なく命を刈り取りにくる性根は好ましいとさえ思える。彼に殺されることで、ようやくおれはこの長い悪夢から解放されるのだ。もう思い悩むこともない。苦しむこともない。それはとても素晴らしいことに思えた。どうせこの調子に乗った悪党は、『主人公』の力により目的を果たせない運命なのだ。笑えてくる。これだけ調子に乗っといてボコボコにされるのだから。

「ははは」
「何がおかしい」

思わず口をついて出た笑い声は、相当気に障ったようだ。額に青筋を浮かべて睨みつける凶悪な目つきがおかしくて、もっと怒らせてやりたくなった。

「予言してみせようか」

お前は負けるよ、という煽りをまともに受けて、クロコダイルの殺意が膨れ上がっていく。不愉快を顕にした顔。その顔を殴りつけて、さらに怒らせてやりたい。そうだ、おれはこの男を殴りにきたのだ。理由などもはやどうでもいい。思いつく全てのことを、この男にぶつけてやりたい。そうしておれは殺されるのだ。この男に、この世からの救済を受けるのだ!


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