ペル続編 | ナノ


ころして  




「ああ、間に合った間に合った。やあクロコダイル、ちょっとばかりおれにも時間をくれないか?」

ボロボロの衣服にところどころ土と血で汚れた肌、ナイフで適当に切ったような髪や伸びた無精髭。一見して浮浪者といった様相だが、額から頬にかけて走る大きな傷跡とその腰に差された大振りのサーベルを見ればいかにも歴戦の剣士のような風体の男が現れたのは突然のことだった。
どこからやってきたのかは分からない。ひょこりと顔を出し、宮殿にて無体と横暴を働くクロコダイルを見るなりまるで旧知の仲であるかのように気さくに話しかけたのだ。
チャカは、その男が誰なのか一目で察することが出来なかった。あまりにも気の抜けた態度でクロコダイルに話しかけるので、クロコダイル側の人間だと思ったくらいだ。


「…誰だテメェは」

しかし、その推測が間違っていると知ったのはクロコダイルこそ胡乱げな眼差しでその男を見たからだ。
クロコダイルに対峙しているチャカ、チャカの背に庇われているビビ、そして口惜しくもクロコダイルの背後で磔にされているコブラ国王と、その隣に立つ謎の女。この場で意識を保っている誰もが、その男が何者かを判別出来ない。それぞれが警戒を顕にする様子を眺め、男は目を細めて笑った。腹の奥の見えない笑い方。その顔に、チャカは見覚えがある。よぎった既視感と記憶の中の存在が結びつくよりも先に、ハッと息を呑み、恐る恐るといった声色でその人の名前を呼んだのはビビだった。

「…もしかして…マムシくん…?」
「!!」

ぼんやりした輪郭の既視感に、その問いかけひとつが明確な正体を齎した。ボロボロの風体。小汚い様相。顔に走る大きな傷跡は左目を潰し、満身創痍のその姿は一見して王族には到底見えない。けれど確かにその笑い方、体躯、目の色には面影がある。信じがたくはあったが、その男は確かに2年前この王宮から姿を消したネフェルタリ・マムシその人だった。

「おいおいおい…なんてしぶてェ野郎だ」
「お前の詰めの甘さに感謝するよ。おかげさまでおれはこうやって戻ってくることが出来た」
「クハハハ!生意気な口をききやがる!」

彼が消えた2年間、ある人は謀略の疑念から逃げたのだと言い、ある人は自ら犯人を探しに行ったのだと言う。だが今の会話を聞くに、マムシはこの2年間ずっと、クロコダイルによって命を危険にさらされてきていたのだ。それがどれだけ凄惨だったかは彼の姿を見ればすぐにわかる。王族に仕える護衛隊として、彼を守れなかった悔しさに歯噛みするチャカ、クロコダイルと対峙する弟に憂慮の眼差しを向けるコブラ、戸惑いながらも叔父の生還に喜ぶビビ。誰もがマムシに視線を向けていたが、当のマムシはクロコダイル以外に視線を向けない。名を呼んでも応えない。ただじっとクロコダイルを見つめ、得体の知れない薄ら笑いを浮かべる様はこの緊迫した場において異様な光景にも見えた。

「あれだけの目に遭って生き延びたのは褒めてやるが、わざわざまたおれの前に姿を現すなんざ馬鹿な野郎だ。そのまま逃げ出しときゃあ良かったものを!」
「逃げるのはもう飽きてしまってね。なんせもうずっと、気が遠くなるくらい長い間、逃げ続けてたものだから」
「だから、なんだ?このおれに立ち向かおうってェのか?自殺行為としか思えねェが…それともお前も、そこの王女と同じく、この国を救えると勘違いでもしているのか」
「ははは」

朗らかな笑い声。あまりにも場違いな態度に、チャカは背筋に悪寒が走った。何故笑うのか。どうしてこの状況で笑えるのか。まるで滑稽な話を聞いたと言わんばかりの純粋な笑顔に、クロコダイルの額に青筋が浮かぶ。

「何がおかしい」
「予言してみせようか。多分、ここまできたらそうそう外れないんじゃないかな」

腰に差したサーベルの柄へ、マムシの右手がするりと絡む。抜いた刃と、重たそうな色合いの鞘を構えて交戦の意思を見せながら、それでも口元は柔らかく歪んだままだ。

「ビビはこの国を救うし、お前は目的のひとつも果たせない」

子供に道理を説くような、優しい声。

「無様に地面へ転がり、地獄の底へ送られる」

クロコダイルの顔が、不愉快そうに歪んでいく。

「おれがここに戻ってきた理由なんて、お前を倒すとか、この国を救うとか、そんな大層なもんじゃあないんだ」

ふ、と蝋燭の火を吹き消すように、マムシの顔から得体の知れない薄ら笑いが消えた。

    おれは、ただ単に、お前を殴りに来ただけだよ」

爬虫類のように鋭い輝きを放つ瞳が、コブラ国王のものと似ている。ずっとずっと、似てない兄弟だと思っていたのに、この時何故だかチャカは、彼をネフェルタリ家の人間だと、強く、そう想った。


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