「ベッドで眠ればいいのに」
カタクリがぱちりと瞼を開くと、テーブルを挟んだ向こう側にその人はいた。小さめで形の良い唇。整った歯並び。傷ひとつない綺麗な肌に、誰もが親しみを抱く穏やかな顔立ち。
美しく、中性的な容貌は見慣れたものだ。子供の頃からもう何十年と見続けた不自然なほど変化のない顔は、彼の『能力』によって老いることもないらしい。
夢を操る『能力』。眠る人間に良い夢を見せることも、悪い夢を見せることも、あるいは夢から醒めさせないことも出来る。それが彼の力だ。幻想的な『能力』のせいなのか、母であるリンリンと出会った頃からその顔立ちは現実離れして美しいまま、損なわれていないと聞く。長い睫毛に縁どられた瞳が柔らかく緩んでいるのを見ながら、浅い眠りから覚めたカタクリは何故彼がここにいるのかと首を傾げた。ここはカタクリの私室。有事の際には飛び出していけるようにと鍵こそかけていないが、用が無ければ誰かが入ってくることもない、テーブルと椅子以外には何も無い部屋だ。
「…オーレ兄、どうした?」
「明かりが漏れてたから、まだ起きてるのかと思って」
そしたらまた座ったまま寝てるんだもんな、と苦笑するのは、ベッドで寝ろと言われるのが初めてではないせいだ。眠りに関する『能力』を持つせいか、睡眠の質についてこだわりがあるらしく昔からずっと「ちゃんとベッドで寝なさい」と言い聞かせられてきた。いや、ただ単にカタクリを子供扱いしているだけだろうか。幼い頃から卓越した力を持ち、成人をとうに過ぎた今ではシャーロット家の最高傑作と呼ばれるカタクリを子供扱いする人など、もはや彼しかいない。結局は、その気遣いを幾度も無駄にしたまま成長してきてしまったのだけれど。
「もう癖なんだ。すまねェな」
「いいや、いいさ。お前が無理をしていないならね」
「…それより、能力を使って近付くのはやめてくれ」
「ふ、ビックリしたか?」
イタズラっ子のような顔をする。彼が危害を加えてくることはないと知っているが、本来ならすぐさま気付いてもおかしくないほどの接近を可能にされては相手が誰かを確認出来るまで身構えてしまうのは当然だ。
いくら浅い睡眠だとしても眠っている人間に対して、彼の能力は無敵ともいえる。夢に存在を紛れさせるという力において、どんな相手でも至近距離の接近を可能にさせてしまうのだ。
「夢を見ていたんだろ?どんな夢?」と幼い子供に問いかけるような声で聞いた彼に、確かに今夢を見ていたカタクリは内容を反芻する。あれはオーレにマフラーをもらったときの夢だ。ブリュレがカタクリのせいで傷付く前の夢。あのとき素直にオーレや長兄の言うことを聞いておけば良かったと、悔いることになる、前の。
「……オーレ兄が」
「うん?」
「オーレ兄が、化物のような顔をしている夢だった」
「はは、またそれかあ。カタクリは好きだなあ」
眠っている人間にとっての良い夢を見せる。その能力を使ったとしても、オーレが夢の内容を知ることはない。一部分だけを切り取って伝えたカタクリに、オーレは気を悪くした様子もなく声を上げて笑った。自分が化物になることが、カタクリにとって『良い夢』だと聞いても怒ったりはしない。もはや何度も見ている夢だ。最初はひどく驚いてしまって、起きた瞬間にオーレの顔をぺたぺたと触って確認したこともある。オーレの美しい顔が化物のように醜く変わることが自分にとって『良い夢』なのだと知ったとき、自己嫌悪にも陥った。けれどオーレは笑うのだ。「おれの顔が醜くなってもカタクリは喜んでくれるんでしょう」と好意的に受け取って。
「…!オーレ兄、連絡がくる」
「うん?…ああ、ほんとだ。誰か夜泣きでも始めたかな?」
見聞色の覇気で察知した通り、オーレの懐にいた小さな電伝虫が声をあげる。繋げた通話の向こうで、阿鼻叫喚ともいえる小さな子供の泣き声と、オーレを求める悲鳴が聞こえた。
いつだってせわしなく、みんなの『オーレ兄』であるオーレとこうして二人きりになることは極端に少ない。好きなように独占出来るのは夢の中だけだ。だから、カタクリだけでなく彼を慕う子供達の中にオーレを夢に見るものは多かった。
「戻らなくちゃ、じゃあまたな、ゆっくりおやすみ」
「ああ」
わずか数分のおしゃべりを終えて去っていくオーレには、もうひとつの『よく見る夢』について伝えたことはない。伝えるつもりもない。彼を化物にするよりも、よっぽど酷い『夢』なのだから。