時が止まったような感覚は一瞬で、それから先は早かった。
空気が震える。腹の奥にまで響く重たい破裂音は、ジャブラの体から鳴らされたものだ。喋っている間の一瞬の油断を突いた攻撃は、確実に急所を捉えて貫いた。倒れ伏してしまったジャブラに意識はないようだ。
黄色に黒の斑が混じった毛皮は、見覚えがあるようで半分別のものである。二足で立つ獣。ジャブラを貫くように突き出された両拳。ろくおうがん、だかなんだかと聞こえたが、随分物騒な攻撃である。身内のはずのジャブラにさえ容赦の欠片もない。
「………………ミケ」
たっぷりとした沈黙を纏って、イツキはそこに立つ獣の名前を呟いた。正確に言えば、ミケではない。ミケはもっと小さくて、細くて、四足歩行の動物だ。けれど確かにそれはミケであった。
これ以上隠し通すのは何が何でも無理があると踏んだルッチは、ジャブラを黙らせる代わりにジャブラと同じように人獣化した。大きな背中越しに、獰猛な肉食獣の瞳がゆっくりと振り返る。毛皮に覆われた顔は何を考えているのかわからない。「ミケ」。イツキはもう一度呼んで、肩に乗ったハットリと共に近付いていった。
正直、なんと言葉を掛けたらいいのかわからない。それはお互い様だろう。ルッチはイツキに背中を向けたまま、何も喋らずに様子を伺っている。ジャブラと喧嘩していた時よりも余程張り詰めた空気のこの場をルッチが去ろうとしないのは、まだイツキに関わる気があるからかもしれない。これが終わりでいいのなら、無言のまま立ち去って、それからもうずっと関わらなければいい。イツキには秘密を言い触らせる友人もいなければ、人間に興味もない。普通に過ごしていればルッチと関わることなど皆無に等しい。この二年間で彼はそれをよく知っているだろう。
このままお互い何も言わず、何もなかったかのように立ち去れば、ルッチが秘密としておきたい部分は守られたまま、日常に戻っていくのだ。ジャブラが知っていたとして、なんら大した問題ではない。ルッチが否定さえすれば、彼の性格上を考えると誰もがジャブラの真実を否定する。言うはずだ。ルッチがそんなことをするわけがない、と。
しかしルッチは逃げもしなければ、イツキを殺そうともしなかった。ひたすら重たくなる空気の中、じっと立って、何かを待っている。
「ミケ」
三度目に呼んだ名前で、ルッチはようやく反応した。能力を解き、しゅるしゅると小さくなって人間の姿に戻ったルッチは、やはりまだ背中を向けたままだ。「……驚いたか」。風に紛れて呟いた声は、言葉選びを迷いに迷って、結局は無難になった一言だった。
確かに、驚いたと言えば驚いた。暴露は予想していたより随分と簡単で唐突だ。けれどイツキには、ルッチがどこかでそれを望んでいるようにも思えた。ルッチがわざわざ人間の姿で会いに来たりせず、ジャブラが来るまでに去っていれば、今だって二人の嘘は秘密として成立したままだったはずだ。
イツキにはルッチが何を考えているのかわからない。ルッチ自身、無意識の行動なのかもしれない。けれどもし、ルッチがイツキと同じように、イツキの撫でる手だけではない、イツキ自身に興味を持ったのだとしたなら、じっとイツキを見詰める瞳にも説明がついた。
さて、なんと答えようか。イツキはまだ考えあぐねている。驚いたふりをしようか。それとも本当のことを言おうか。何が正解なのか、他人の心理など読もうともしてこなかったイツキにはわからない。
何も答えないイツキに、ゆっくりとルッチの瞳が逸れていく。諦めの気配がした。
「……君がミケだと、知ってたよ」
つるりと、気がついたら真実を零していた。咄嗟に嘘なんかつけない。ただ、このまま終わっていくのは嫌だと、ルッチは「ミケ」でもないのにそう思った。
「
一瞬の間を置いて、ばっ、と風を裂く速度で体ごとこちらに向いたルッチが、丸い目でイツキを凝視した。驚いている。殺戮兵器が。この狭い島で、本当に隠し通せると思っていたのか。いくらイツキが人間に興味はないと言っても、それは無理があるだろう。
イツキの背中に、言いようのないぞくぞくしたものが駆け上がった。本当は知っていたのだと知られてしまったが、不思議と後悔も焦りもない。イツキはずっと見てみたかった。ロブ・ルッチの、表情が崩れるところ。
「…知って、いたのか」
ルッチは聞いた。小さな声。バツが悪そうな、戸惑ったような、怒っているような、複雑な声。
それを耳にして、イツキはどうしようもなく胸が疼いた。殺戮兵器と呼ばれる彼を、ひどくかわいく思えてしまった。