イツキがロブ・ルッチの顔をはっきりと見たのは、この二年間で三度だけだ。そのうち二度は司法の塔の廊下で。あとの一度は本島で。
底冷えのする声色と瞳に興味を持った。初めて見た時から、忘れたことなど一度もない。それは恐怖という感情なのかもしれなかったが、イツキにはわからなかった。ルッチを怖いと思ったことはない。近付きたくないと思ったことも。
ミケは好きだ。無条件に愛しいと思う。
傷痕を残してもなお美しいあの毛皮を撫でて、鼻先にキスをして、硬い頭を腹に押し付けられると幸せになる。いつまでも幸せなままでいられたら、と思うから、イツキは何も言わなかった。
それでも時折言いたくなってしまうのは、ミケではない、ロブ・ルッチに興味があるからだ。
巣箱からポッポ、もといハットリという名だったらしい鳩が飛び立って、柔らかくルッチの肩に降り立った。ルッチは自分のペットと戯れていた庭師を訝しげに見ている、「ふり」をしている。本当にルッチのこともミケのことも知らなかったら、その射抜くような鋭い視線に竦み上がっていたかもしれない。けれどイツキは知っている。知っていたからこそ動揺はしたが、何も知らないふりも出来た。努めていつものように「こんにちは」と低く暗い棒読みの声で挨拶をしたイツキに、ルッチは応えない。片眉を上げるだけで済ませ、代わりに肩のハットリがひとつ鳴いた。
イツキは聞く気はない。ルッチも言う気はないのだと思っていた。だがしかし、ルッチはイツキの前に姿を現した。
今までだって、近くを通り過ぎたことはある。遠目で見掛けたこともある。しかしこうして対峙するのは初めてだ。イツキには、ルッチが何を考えているのかわからない。真っ暗な瞳、冷めた表情、溢れる威圧感を目の当たりにして、実際の時間にしたらたったの数秒がひどく長く思えた。傍から見れば一触即発の雰囲気なのだろう、ルッチのペットに近付いていた庭師に、悪意があるのかないのかルッチは見極めようとした数秒間。そして悪意がないと判断したルッチは、庭師に興味を失ったかのようにコートを翻してその場を後にしようとする。
第三者の見解はそんなところだ。なんの不自然もない行動でルッチはイツキに会って、そして去っていく。ルッチの真意を知らないイツキは内心首を傾げるばかりだった。何しに来たの、と問い掛けたい口をつぐんで、結局は再び木に向き合う。
と、その時。
狼の吠える声が遠くから響いて、じりじりとした空気に皹が入る。苛立ったようなそれは確かに、ジャブラの声だった。