ルッチ長編 | ナノ


しくじった、とジャブラは頭を抱える。フクロウとルッチの件だ。二年間も守り続けていた秘密がこんなにもあっさりと露見した挙げ句言い触らされたことと、何故かとても機嫌が悪かったルッチの不意打ちに対応出来ずにまんまとやられてしまったこと。どちらもとんだ失態である。
誰かに会う度に妙な顔をされ、怪我のせいで今日行く予定だった任務も外れた。苛々しているところへスパンダムに「あの変人に懐くとか、お前精神的に大丈夫か」と本気で心配されたのには、堪忍袋の緒が切れてもおかしくなかったはずだ。よく耐えた、と褒めてくれたのはカクとカリファで、しかしその二人にも本気の心配をされた。いや、あれは心配ではない。ドン引きしていたのだ。

そもそも、あの男が悪い。
イツキが人並みの性格をしていたら、ジャブラは馬鹿にされることも無用な心配を受けることもなかった。腹いせに殴ってやろうかと企んだ瞬間、ジャブラの部屋をノックもなしに開く男がいる。イツキだ。なんてタイミングだと振り返ったジャブラは、しかし殴ろうとしたことも忘れて目を奪われた。

「…なんだァ、そりゃ」
「ジャブラ様こそ」

片や右肩に包帯が巻かれ、片や額と胸元に大きなガーゼ。怪我を負うような任務も仕事もなかったはずだというのに、示し合わせたかのように傷をつけている。はて、と首を傾げる二人のうち、口火を切ったのはイツキの方だった。

「今日から任務だったんじゃなかったの。おれ芝刈りに来たのに」
「おいおい傷にゃノーコメントか」
「寝ぼけて木にでもぶつけた?」
「ンなアホな真似しねェよ!」

CP9にもなって怪我の心配をされたいわけではないが、ジャブラは一応イツキの肩が気になっただけに腹が立つ。
芝刈りの為の道具を持つ腕が少し動く度に、イツキからは他の匂いを掻き消すほど血の匂いが強く香っていた。
当たり前といえば当たり前だ。白かったはずの包帯は、剥ぎ取るまでもなく赤く染まって痛ましい。明らかに乱雑な巻き方を見るに、おおかた自分でやったのだろう。止血もきちんと出来ていなかった。他の使用人との交流を持たないイツキは、エニエス・ロビーに常駐している医師や看護婦にも「頼む」ことを知らない。
仕方ねぇなと腕を掴んだ人間のジャブラを、イツキは胡乱に見た。

「…なに?」
「おいやめろその目」
「いや、仕事の邪魔…芝刈りしたい…」
「てめェこのやろう」

人間の姿ではまともな会話にもならない。苛々して真っ赤な包帯の上を軽く叩いたが、一層嫌そうな顔をされて、血の匂いが濃くなるだけだった。フクロウにからかわれた件もあって獣化したくはなかったものの、仕方なく狼の姿になれば毛皮に巻き込まれたガーゼが剥がれる。大きな爪痕。皮膚を強く削られたような傷。それを見て、イツキはようやく心配の顔を見せた。

「可哀相に…寝ぼけて自分で引っ掻いて…」
「おいてめェ馬鹿にしてんのか?」
「違うの?痛そう…」

優しい手つきで毛を掻き分けて、今にも泣きそうな目で見詰めてくる顔付きに調子が狂ってしまう。諦めを含んだ舌打ちをひとつ、ジャブラは「化け猫にやられたんだよ」と白状した。

「化け猫?」
「お前は知らねェか。CP9のロブ・ルッチだ」

あいついきなり襲ってきやがって、最初の不意打ちなんてなきゃァ返り討ちにしてやったものを…。
ぶつくさと罵る口を、イツキはただ見詰めている。しばらく黙って聞いていたのは、「ロブ・ルッチ」の名前から顔が浮かんでこないからだろう。イツキはおそらくCP9のメンバーですら全員は覚えていない。ルッチの能力を教えてやれば興味津々に近付いていきかねないが、下手に近付かせて死にかねないのはイツキの方だ。気安いとはとても言い難いあの男が、いくら気持ちいいといっても黙って撫でられてやるとは思えない。あえて教えてやらないのはジャブラの優しさだった。言葉を変えるなら、わざわざ教えてやる義理もない。

ジャブラの愚痴とも負け惜しみともつかない独り言をただ聞いていたイツキは、やがて別の部分で納得したのか「そうか、怪我で任務がなくなったんだ」と呟いた。その声はどこか別のことを考えているように聞こえて、ジャブラは口を閉ざす。イツキが狼のジャブラを目の前にしておいて他に気を取られることは滅多にない。「どうした?」と聞いても曖昧に笑って首を振るだけで答えは出なかった。

「…おい、それより肩見せてみろ。優しいおれが巻き直してやっから」
「いいよ別に」
「生意気な。いいから見せろ」
「いーたーいー」
「さっきまでなんも言わなかったやつが!」
「っ…!」

強引に肩を引いて包帯を破ると、乾いて固まった血糊がべりべりと音を立てて剥がれた。より強くなる血の匂いに、ジャブラの背筋が興奮でざわめく。ようやく本気で痛そうな顔を見せたイツキにも昂揚を覚え、思わず舌なめずりをしそうになったが、目の当たりにした傷を見て何もかもが落ち着いた。

「…ん?」

ジャブラが想像していたのは、例えば脚立から落ちて岩にぶつけた痕。木の破片が刺さった痕。どちらにせよ仕事中に出来た傷だと思っていた。
しかし包帯の下から現れたのは、切り取り線がついたかのように丸く点々と窪んだ傷だ。特に両端の穴は、まだ今にも血が溢れ出そうなほど深くなっている。その傷痕にジャブラは見覚えがあった。
例えばジャブラが肉に噛み付いたら、こういう痕が残る。犬歯も小さく、顎の力も弱い人間には真似出来ない。まるで肉食獣に噛まれた傷痕に、ジャブラは心当たりが三つしかなかった。

ひとつは自分。これは記憶が確かな限り有り得ない。
ふたつは法の番犬部隊の犬たち。あれは味方を噛まないように躾られているし、イツキが動物を怒らせるようなことをするとは思えない。

みっつは、一番考えにくい男。いや、もしかしたら既にジャブラが懸念していたことが起こっていたのかもしれない。

「化け猫にでも、ちょっかい出したか」

冗談まじりに問い掛けたジャブラに、イツキはただ曖昧に笑うだけだった。


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