SSリクエスト祭4 | ナノ


ドンキホーテファミリーの中に、ナマエという男がいた。ローにとってはもはや昔の話だ。
彼はローとまるで関わりのない他人だったくせに、ローを「お兄ちゃんって呼んでもいいぞ」と言って実の弟のように可愛がった。それは過去に彼が溺愛していた実の弟を流行り病で亡くしているからだ。
おれが治療法を探してくるからお前はその間に死ぬんじゃないぞ、絶対だめだぞ、約束だぞ、と無理矢理絡ませられた小指の感覚を、ローは大人になった今でも忘れられないでいる。彼はただ、ローを自分の弟と重ねて感傷に浸っているだけだ。かわいそうにと涙を流しておれが守ってあげると抱きしめて、それらは全て死んだ弟に向けた言葉に過ぎない。
それでも実際、彼は口だけの同情ではなくあちこちへ飛び回ってあれはどうだこれはどうだと懸命に医学書や薬を掻き集めるものだから、ローのささくれた心が絆されてしまったのだ。記憶の片隅に、ナマエの泣き顔や焦った顔、手のひらの温かさ、抱きしめてくる身体の厚みがこびりついて消えてはくれない。

思い出は美化されるものだと知っている。きっと自分の都合のいいように事実を改竄して理想のナマエを作り出してしまったからいつまで経っても忘れられないだけだ。
そう自分に言い聞かせても、年々記憶の中のナマエは美しく磨かれて聖人のような微笑みでローを見つめるようになってくる。珀鉛病を自ら治療したローに、よくやった、つらかったな、と涙ながらに慰めてくれる夢を見る。

だが、そんな現実はありえない。なぜならローは、コラソンを殺したドフラミンゴを討とうとしているからだ。ドフラミンゴに拾われ、恩義を感じているナマエがその目論見を知ってあの時と同じようにローを慈しむわけもない。恩も忘れてよくも、と罵るナマエを想像しては自分の都合のいい妄想を打ち消そうとするのに、もしかしたらそれでもあいつは、と思ってしまうのは、あの日、ノースブルーのスワロー島で、裏切ったコラソンを目の前にしても何も責めず、ただ「なあ、それよりローは?病気は?治療法は?治ったのか?なあ、なあ!!」と問いただす声を聞いてしまったせいだ。
ナマエの中では、コラソンの裏切りも、ドフラミンゴが渇望していた悪魔の実が奪われてしまったことも「それより」で済ませてしまう程度のものだったらしい。周りから窘められても、声が枯れるほどローの名前を叫んでいたのは、正直言って異常だ。死んだ弟と重ねて、恐慌状態に陥っていたのかもしれない。気味が悪いと思ってもおかしくはないはずだ。
けれど、その声を思い出すたび、ローの中には仄暗いよろこびが生まれる。あの男の心は、確かにあの時おれのものだったのだと馬鹿みたいに幼稚な優越感に浸るのだ。そうして結局、もしかしたら今でも、なんて都合のいい妄想を消しきれずにいるのだから馬鹿げた話だ。わかっている。現実はそう上手くは行かない。ドフラミンゴの敵として彼の前に立った時、ナマエはローを裏切り者として見るだろう。どうしてと戸惑い、考え直せと説得し、馬鹿なやつだと罵って、せっかく命拾いしたのにと呆れ、ドフラミンゴに楯突くなんてと怒り狂い、そして命を狙ってくる。色んな反応を想定して、けれど最後に浮かぶのはやはり優しく笑って頭を撫でてくるあの顔なのだ。打ち消そうとしているのに、いつまで経っても消えてくれない妄想が現実と乖離していることなどローが一番わかっている。いっそ会ってしまったら楽だろうに、実際に否定的な態度を取られてしまったらどうすればいいのかわからない。いや、殺すだけだ。敵なのだから。ドフラミンゴの部下なのだから、彼は敵なのだ。だが、敵だとしても、ローが大人になった姿を喜んでくれたら?その時は、奪ってしまおうか。今でも大事に思ってくれるというなら、心のついでに体も貰っても、許してくれるんじゃないか。手足を切り取って、他のことを忘れるまで側において。普通なら憎まれるようなことでも、あるいは、彼なら。

なんて、馬鹿なことを。

都合のいい偶像を作り上げて、現実的ではないと打ち消し、それでももしかしたらと救われる妄想を繰り返すのには疲れてしまった。早く答え合わせをしてしまおうと、一人で任務をこなしているというナマエの所在を掴んで単身やってきたのはドフラミンゴとの決着の前に余計な懸念を潰しておきたかったからだ。会いたかったわけではなくて、けれど会っておかなくてはならなくて、それでもあれだけ都合のいい妄想を繰り返していたというのに実際に彼らしき人を遠目に見つけてしまうと得体の知れない恐怖に押しつぶされてしまいそうだった。
否定されたら殺せばいい。
睨みつけてきた瞬間に口をきけないようにしてしまえばいい。
いやいっそ、こちらを認識する前に目を見えなくしてしまえばいい。

ばくばくと落ち着きなく高鳴る心臓の音が聞こえたわけでもあるまいに、ふと振り向いた彼は記憶の中の顔よりも老けてはいたが、やはり彼だ。ナマエだ。
喉が詰まったように何も言えなくなってしまったローに、ナマエも予想外の人間が目の前に立っていた驚きに目を丸くして静止した。アホみたいに気の抜けた顔も、あまり身なりを気にしないせいでぼさぼさの頭も、ローを見つめる毒気のない瞳も、何も変わっていない。あの時の、ローのことばかり考えていた、ナマエだ。

「……ロー?」

先に動いたのはナマエの方だった。掠れた声でローの名前を呼んで、ゆっくりと足を踏み出し、天からの恵みを受け取るようにうやうやしく両手でローの頬を包んだ。親指でなぞる頬は、かつて忌々しい白い痣のあった場所だ。
目尻、唇の端、首筋に、鎖骨の下。それらが普通の人の肌であることを確認した瞳から、ぶわりと涙が湧き出てきた。
今までどうしていた、とナマエは言わない。ドフラミンゴの下に戻るのか、とも聞かない。ただ一言。


「病気、治ったんだな…!よかった…!」

記憶の中と同じ。妄想の中と同じ。あの時と同じように、優しい顔で、ローを見て。嬉しいと、無事で良かったと、喜んでくれるから。ローは。


    ”ROOM”」

これはもう、おれのものということで、貰ってしまってもいいだろう、と。

彼の手足目掛けて鬼哭を振るった。

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