1000000 | ナノ


※ネタのこれの設定



「ナマエ、腹が減った」
「…ミホークさん、今何時だと思ってんの…」
「知らん、腹が減った」

カーテンの外は真っ暗。静かで虫が鳴く声すら聞こえてくる。おれが布団に入って寝たのはもう12時を過ぎていたから    3時じゃねーか。ド深夜だよ。飯食う時間じゃねーよ。

時間を確認した携帯をまた枕元に置いて、おれの掛け布団と化しているミホークさんを転がして起き上がる。寝かせてくれ、とお願いしたところで『腹減った』攻撃がおさまるはずもない。眠い目をこすり、大きな口であくびをして、腹をぼりぼりと掻きながらキッチンへと向かった。


ミホークさんとおれは、わりと長い付き合いである。年数にすると10年以上。
おれは両親が夫婦経営で小料理屋を開いていて、夕方オープン、深夜にクローズという営業時間のせいで家族の生活サイクルはバラバラだった。幼心に親に負担をかけたくないと背伸びをして、小学校高学年になる頃には自炊を始め風呂掃除やゴミ出しという細かな家事はあらかた請け負うようになっていた。頼れる息子で助かるわ、と母もおれをよく褒めてくれたし、父もおれの知らないところではいつも自慢していたらしい。それが誇らしくて進んで家のことはやっていたけれど、大人になった今ふりかえって見れば、寂しかったのかな、と他人事のように思う。

一人分の食事。子供が考えたせいで偏りのある献立。寄せ箸をしても怒る人はいなかったが、美味しいものが作れても喜びを分かち合う人はいなかった。当時はそれが当たり前だったけれど、なんとなく、普通でないことは知っていた。普通の家族の食卓に憧れていたのかもしれない。せめて兄弟がいれば違っていたのかもしれない。面白くないテレビしかやっていなくても、決して消そうと思わなかったのは、静寂が怖かったのかもしれない。

まあ、しかし、でも、それは10年以上前の話である。おれの一人の食卓は、ある日唐突に終わりを迎えた。
学校から帰り、ランドセルをリビングに放り投げ、今日の飯は何にしようかと冷蔵庫を開けたところまではいつもどおりだった。中には父が店の仕込みのついでに調達してきてくれた食材がメニューに困らないほど詰まっていて、おれはその中から鶏肉と玉ねぎを見た瞬間に閃いた。    カレーが食いたい。上に唐揚げを乗せて。
今でもなんでこんなに鮮明に覚えているのかは、その後の出来事が衝撃的すぎたせいだろう。
ダイニングテーブルに置いてあるテレビをつけながら、玉ねぎ人参じゃがいも、それから豚肉を切り、しんなりするまで炒めてから煮込んでいた時のこと。大きく切った鶏肉も父秘伝の唐揚げのタレに漬け込んで、あとは味が染み込んだら揚げるだけだからと学校の宿題をやりながら時間が過ぎるのを待っていた。

    すると、突如として、本当に、なんの前触れもなく、ダイニングテーブルの真上にどすんと音を立てて人が降ってきたのだ。
あんぐりと口を開けて見上げたおれに、向けられる眼球はまるで肉食獣みたいにするどくて恐ろしい。けれど宝石みたいに美しく輝いても見えて、一瞬状況を把握するのも忘れて見入ってしまった。

しかし、我にかえってからは阿鼻叫喚。主におれが。おれだけが。
知らない人間が家にいるというだけでも驚くのに、玄関から入ってきた様子もない、壁をぶちやぶったわけでもない、天井に穴を開けたということもなく姿を現した人間はつまりお化けにも等しい恐怖の塊である。きいきい喚いてダイニングを逃げ惑い、壁に立てかけてあった竹刀をひっつかんで脅したのだが、その人間はひるむどころか「腹が減った」と言っておれをころんと転がし、きょろきょろと周囲を見回して、そうして煮込んでいたカレー鍋の前まで土足のまま歩いていって、あろうことか、勝手に食ってそのまま消えていったのだ。
あとで聞いた話によると一番最初の時はミホークさんも自分の夢の中だと思って好き勝手したようだが、そういう不思議な状況が一度や二度ではない、何度も続けば徐々にそれが現実だと理解してきて、そして同時に慣れも出てくる。
おれの警戒心は薄れ、土足を注意する余裕も生まれて、いつしか彼が自分の知らない世界からやってくる不思議な存在であることも理解した。

『彼』ことミホークさんは、どうやら腹がとても減った状態のまま眠りにつくとこちらにやってくるらしい。らしい、というのはミホークさん自身から聞いたことである。通りでいつも「腹が減った」と言ってやってくるはずだ。幼いおれは柔軟にその奇妙な現象を受け入れてしまったし、当時まだ若くて食うも食えない日々を送っていたミホークさんは寝ている間に飯が食えるというのであれば拒むはずもない。
そうしてその関係性で何年も経過し、おれもミホークさんも年を食って、おれが独り暮らしをするようになっても続いた。というか、独り暮らしをするようになってますますミホークさんはおれの方にやってくる頻度が増えたような気がする。
あんたもう世界一の大剣豪なんでしょ、自分の城とか持ってんでしょ、飯食う金くらいいくらでもあるでしょ。とミホークさん自身から聞いた話を指摘したところで知らんぷりされるのはもう慣れっこなのでおれも何も言わないが、実際のところこうやって夜中にたたき起こすのをやめてほしいだけで本当にミホークさんが来なくなったらおれはとても寂しい。なにせ10年以上もの付き合いで、親よりも食事を共にしてきた人なのだ。それを言ってしまえば調子に乗って今以上におれの言うことを聞いてくれそうにないので、絶対に口にすることはないが、ミホークさんは気付いててこのワガママな振る舞いをしているのか、それとも元から傍若無人な性格なのか。
いや絶対傍若無人な方だわ。この人最初から夢だと思ってたとはいえおれの夕飯強奪していったもんな。


「なにたべたいのぉ…」
「何でもいい」
「なんでもいいがいちばんこまる…」

寝ぼけながら一人暮らし用にしては大きめの冷蔵庫を開け、中の食材を確認しながらメニューを決める。どうせこのあとミホークさんも寝るんだろうし軽いものでいいか。眠いし。鮭焼いて出汁茶漬けと浅漬けでなんとか満足してもらおう。

「手抜きは許さんぞ」
「はあ〜〜〜…?こんなド深夜に叩き起してそんな注文ある…?」

冷蔵庫から鮭と作り置きの出し汁、そして冷凍保存していた白米を出しただけという食材の少なさに簡素な食事を察したらしい。ベッドで転がっていたはずのミホークさんが背中にのしかかってきた。おれが幼い頃は当然ミホークさんの方が段違いに大きかったためこんな接触などなかったが、おれが成長期を迎え成人男性の平均身長を優に超えてからというもの、ベッドに寝ていれば腹に跨り、椅子に座れば膝に上り、立って食事の準備をしていれば背中にのしかかってくるようになった。小さい頃から無遠慮に触ってくる人ではあったが、おれが成長したとはいえまだミホークさんの方がでかいのだから乗られたら重いに決まっている。「じゃま…」と呻きながら出し汁を温めるためにコンロまでミホークさんを引きずって移動したが、ミホークさんは献立に納得がいかないのか低い声で耳元に囁いてくる。「お前は何を食べたんだ」。耳の奥がこそばゆい。ひひひ、と思わず笑ってしまうと、機嫌を損ねたのか今度は直接耳にかじりつかれた。空腹のミホークさんは雛鳥みたいだ。ぴぃぴぃ鳴いて嘴でつつくみたいにおれにちょっかいを出してくる。

「もぉ〜さぁ〜…火とか包丁使おうとしてる時に噛んだり揉んだりないでって言ってんじゃん…」
「お前が食べたものと同じものがいい」
「昨日は豚肉の梅しそ巻とアジフライだったけどもう豚肉もアジも無いしこんなド深夜に揚げ物したくないわ…お茶漬けで我慢してよ。明日作ってあげるからまた来て」
「ふん…仕方ない」
「作ってあげてんのおれだよォ?」

居丈高な振る舞いは昔からでもはや苛立ちもしないが、こんなに注文をつけたりおれを困らせて楽しそうに笑うことは無かったように思う。おれが大人になったからだろうか。ワガママを言えるくらい対等だと認めてくれたなら嬉しいが、おれはミホークさんが他の人に対して普段どんな言動をしているのか知らないので判断しようがない。突然湧いてくるのが当たり前の日常になってしまったので忘れがちだが、ミホークさんはこの世の人ではないのだ。どこかおれの知らない、本当にあるかもわからないファンタジーな世界の大剣豪らしい。大きな刀を背負っているので剣士というのはわかるが、その世界での一番の剣豪というのは、ミホークさんからの情報なのだから事実かどうかはおれには確かめようがない。別にそこを疑っているわけではないが、おれは本当にミホークさんにまつわることをミホークさん自身からしか聞きようがないので知らないこともたくさんあるんだろうということだ。

「お茶漬け準備したげるから、大人しくしといて」

背中にひっついたままのミホークさんをずるずると引きずり、まだ温かみの残るベッドに転がした。あっさりと手を離してくれたが、代わりに首を引き寄せられて頬にちゅっとキスをされる。外人特有のスキンシップに最初はとても驚いたが、何度もされたらさすがに慣れたものだ。今のは多分『ご飯作ってくれてありがとう』のキス。言われたことないので実際は違うかもしれないが、まあ遠くもないだろう。ミホークさんが『おれにも』と言わんばかりに自分の頬も指差してくるので、おれは強制された「どういたしまして」のキスをして、ようやく軽くなった身体で夜食の準備を始めた。
準備とはいえ出し汁と白米を温めて鮭を焼き浅漬を皿に盛るだけなのだからそう時間はかからないが、ミホークさんは何をするわけでもないのでテレビでもつけて見ていればいいのに、おれが料理をしているときはずっとこちらを眺めてくる。眼光鋭い目線には慣れているが、たまにおれを食いそうな目で見ているので心臓に悪い。その圧にビビって、おれは食いもんじゃないからね、と何度か口走っているが、おれをからかっているのかニヤリと笑うだけで否定も肯定もしないのだからタチの悪い人だ。きっと普段からこうやって人を弄んでいるに違いない。

「ミホークさんって女の人をその気にさせたまま振るのとか上手そう」
「なんだ急に」
「いやーボディタッチ多いし思わせぶりな態度多いしさ、惚れさせるのに実際告白されたら適度に好感度保ったまま振りそうで悪い男だなーって」
「ふん、なんだ、おれに惚れそうなのか」
「いやいやまさか!おれにするのはそういうのじゃないって分かってるって!でも今年入ってきた後輩の女の子にボディタッチ多い子がいてさ、あれは勘違いしちゃうよな〜って」
「…なんだと?」
「うわ何こわっ近っ」

直前までなんだか機嫌良さそうな声だったのに、急に地獄から這い出てきたみたいな声で威圧してきた挙句びっくりして後ろを向いたらくっつくほど近くに来ていたので握っていた包丁を振り上げてしまった。幸いミホークさんにもおれにも当たることはなかったが、何度言っても料理中に驚かせるのをやめてくれないのはミホークさんのダメなとこだ。
キツめに叱ろうと思って息を吸い込んだおれの声は、しかしミホークさんの更に威圧的な「どこだ」という一言によってかき消されてしまった。

「は?どこ?」
「どこを触られた」
「なに?」
「その女に、どこを触られたと聞いている」
「はえ…太腿とか、二の腕…」
「ここか」

ミホークさんの、剣士らしい大きくてごつごつした手がしなやかにおれの太腿を撫でる。「ふは、こそばい、やめて」と抗議しても受け入れられることはなく、太腿どころか足の付け根にまで指を伸ばしてくるのでそれ以上はよくないなと思い咄嗟にその手を掴んだが、この人めっちゃくちゃ力つえーんだよ。全然止まんねェよ。っていうかそんな際どいとこは流石に触られてねーーよ。

「ねー…さっき火ィ使ってる時に触んないでっていったばかりでしょ…」

コンロにかけた出し汁が、しゅんしゅんと音を立てて煮えてきている。ああ、風味が飛ぶ前に火を止めないと。伸ばした手を取られて、二の腕に噛み付かれる。痛い。こちらに集中しろと言わんばかりの視線が痛い。

「…驚かせたくて触っているだけだと思うか?」

まあここまでされたらね。なんとなく。なんとなーくだが、気付いてはいたというか、もしかしたらそうなのかもと思っては、いやいや外人の過剰なスキンシップだろうと気にしないでいたのだ。今の話題選びはちょっと失敗したのかなと反省はするがここまでされても知らん顔を突き通すつもりでいるし、おれはこの人と今の関係を崩すつもりも一切ない。ミホークさんの心情なんか知らんのだ。おれにとっては今日明日何を食うかの方が大事。女の子にボディタッチされたって、ムラっともしないどころかミホークさんのことを思い出すくらいなのだから性欲も枯れているに違いない。ミホークさんとおれは一緒に食事をする、家族みたいな人。それだけ。

「…お前はもう少し、賢いと思っていたがな。ナマエ」

ああ、その眼。いやだな。だってこの人、おれとは違う世界の人なんだもん。好きになったって、どうしようもないのにさァ、こうやって口説こうとしてくるわけですよ。ミホークさんってやっぱり、悪い男。

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