ペル長編 | ナノ


愛を食べて育つ化物  




子守唄みたいな柔らかい静かな声で名前を呼ばれた。ペル、ペル、と何度も繰り返す声は、おそらく自分を起こそうとしているのだろう。けれど頭を撫でる手は寝かしつけるみたいに優しくて、起きなければと思うのと同時に、起きたくないと思ってしまう。
触れてくる温かい手に擦り寄って、握りしめていたベッドリネンをとられてしまわないように引き寄せた。夢と現の間の意識の中で、困ったな、と呟く声を聞いたような気がする。困ってほしい、と思った。仕方ないなと言って、甘やかしてほしかった。昔みたいに。子供の頃みたいに。


「………マムシさん…?」

温かいベッドの中で瞼を開いたペルは、その手に握っているのがシーツではなく、くしゃくしゃに丸まったシャツだと気付いた。柔らかい素材と、微かに残る海の匂い。それが誰のものかなど、昨晩の記憶を辿ってみればすぐに結論が出る。ペルを寝かしつけてくれた、マムシのシャツだ。

「……!」

ハッと意識を覚醒させて、すぐさま辺りを見回してみるがそこにマムシの姿はない。手元にマムシがいたという証拠はあるのに、本体はこのどこにもないのだ。ペルが離さないから、脱いでその抜け殻を置いていったのだろうか。起きないペルを放って、そのままにして。

誰にも告げずに一人で旅に出ようとするマムシに、着いて行きたいとも、行かないでと言うことも出来ずに袖を掴んだ。傍に居たくて擦り寄った。そのまま寝てしまったペルを置いていなくなったということは、今頃彼はアラバスタを出てしまっているのだろうか。
出立しようとしていたところを、引き止めて、あまつさえ寝かしつけてもらったのはペルだ。これ以上我が儘を言ってはいけないとわかっているのに、目が覚めた時、彼が目の前にいないことがこんなにも辛い。
自分に対する憤りと手が届かないやるせなさに痛む胸を抑えながら、彼が残していったシャツに顔を埋めた。

    ペル?起きたのか?どうした、気分が悪いのか?」
「…えっ」

突如として掛けられた声に顔を上げれば、もうアラバスタを出たとばかり思っていたマムシが部屋のドアを開いてそこにいた。ペルがまだ寝ていると思い気遣ったのだろう、音もなく開けたドアを潜り、心配そうにペルの傍に膝をついて顔を覗き込んでくる。

「吐き気がするのか?頭が痛むのか?二日酔いか?もしかして、元から体調悪かったのか?ごめんなァ、やっぱりアルコール入れない方が良かったか」

ベッドの上で背中を丸めているペルを、どうやら具合が悪いと勘違いしたようだ。背中をさする手は優しく、矢継ぎ早にかけられる問いは全てペルを気遣うものだ。てっきり既にアラバスタを出ているものだと思っていたが、あっさりと姿を現したマムシに、逆に戸惑ってしまう。「あの、」と震える声で呼びかけたペルに対し、マムシは「どうした?」と応える。

「吐くか?いいぞ、全部出しちまえ。おれが片付けてやるから」
「そ、そんなことをあなたにさせるわけにはいきません!」
「そうか?じゃあトイレ連れてくか?」
「違います!吐きません!」
「…我慢しなくていいぞ?」

あまりにも簡単に、王族の出でありながら臣下のペルの世話をしようとするので、ペルの方が焦ってしまう。勢いよく首を振ればようやく吐き気がするほど体調が悪いわけではないと気付いてくれたのか、マムシも落ち着いてベッドの上に座った。きちんとシャツを着ていて、出立のための荷物も持っていない。宮殿内で過ごすための格好は、つまり出立の予定を延期したということだろう。それがもし、昨日ペルが引き止めてしまったせいだとしたなら申し訳なく思い、そしてその反面嬉しくもなってしまう。こんなことをしてはいけないと分かっているのに、今だって本気でペルの心配をしてくれるマムシを見て、心の内が満たされていくのを感じるのだ。

「起こしても起きないから、具合が悪いのかと思ったんだ」
「…すみません」
「チャカに朝の訓練は休ませてもらうように言っといたが、今日一日休んだ方が良さそうかな?」
「いえ、今すぐに準備して、訓練には通常通り参加します」
「そりゃあ今からでも間に合うだろうが…無理はするなよ、顔が熱っぽい。風邪をひいてるんじゃないか?」
「それは…」
「昨日も電池切れたみたいに眠っちゃったしな」
「でんち?」
「…ああ、いや、なんでもない」

聞きなれない言葉にペルが首をかしげると、マムシは目を細めて笑い、何かをごまかすように首を振った。「知らない間に疲れが溜まってたんだろう。ペルは頑張り屋さんだから」。断定して、だからもう少し休んでいた方がいいとペルの頭を撫でるマムシは、ペルがただ甘えていただけだとは考えもしていないのだろう。
眠れなかったのはマムシのことばかり考えてしまっていたから。ミルクやワインを飲んだらすぐに寝てしまったのは傍にマムシがいて安心したから。起こしても起きなかったのはマムシが名前を呼んでくれるのをもっと聞きたかったから。具合が悪そうに背中を丸めていたのはマムシがいなくて寂しかったから。顔が赤くなってしまうのは、マムシが優しくしてくれるから。
全部あなたのせいだ、と伝えたら、マムシは困ってしまうだろう。そんな身勝手な主張が正論として通るわけもない。それでも、ペルがこうしておかしくなってしまったのは、全てマムシが原因なのだ。マムシがペルに優しくするから、ペルの頭は熱をもって、ぐずぐずに溶かされて、立場も何も考えず、頑是無い子供のように我儘になってしまう。こんなことではいけないと、自分が一番分かっているのに。
「今日はもう少し寝てな」と頭を撫でる彼の声に抗えず、ペルは昨夜からずっと握っているシャツをそのままにもう一度ベッドに横たわった。

「…それ、昨晩もずっと握ってたな。手触りいいだろう?繊維産業が盛んな島で買ってきたんだ。今度、ペルにも買ってきてあげよう」
「……これ」
「ん?」
「これが、いいです」
「それ?サイズ合わないだろう」
「いいんです、ください」
「うーん、まあ、そんなもんでいいのなら」

物乞いのようなみっともない真似にも、彼は甘やかしてすぐに許容してしまうから。
ペルはどんどんおかしくなったまま、歯止めが効かなくなっていく。


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