シャツも何も着ていない剥き出しの上半身。半分ほど瞼が落ちた眠そうな目。そして悩ましげな表情を浮かべるマムシがペルの部屋から空のカップを二つ持って出てきた時、それに遭遇してしまったチャカは口をあんぐりと開けて凝視してしまった。ここは王宮の中でも臣下の居住区であり、幼いビビが探検と称してうろつくならばまだしも、マムシの歳と王族の身分で出入りするような用事はないはずだ。
しかも出て来た場所が、チャカと肩を並べる護衛隊屈指の戦士、ペルの自室である。
朝も早い時分に、臣下の自室から、王族のものが上半身裸で出て来た。
その状況から推測出来る事象に、チャカは顔を赤らめ、そして一気に青ざめる。
「マムシ様…っ!?」
「ん、ああ…チャカか。おはよう」
「お、おはようございます!何故ペルの部屋に…?」
「いや、ちょっとな…そんなことより、護衛隊の訓練って今日は何時から入ってる?」
「えっ、あ、訓練、ですか?朝食の前に基礎訓練が、朝食後には射撃訓練が入っております、が…!なにか…?」
「悪いんだが、朝の訓練、ペルは休ませてやってくれないかな」
「あ、ええ?は、はい、マムシ様がおっしゃるならばそれは構いませんが…あの、ペルは、あの、」
「ああ、怒らないでやってくれ…おれが無理に寝かし付けたから、起きるのが辛いみたいなんだ」
「む、むりに」
「そう。おれのせいだから、ペルは何も悪くない。みんなには適当に、おれが任務を言いつけたとかって言っておいてくれないかな。様子次第では午後も休ませるから」
頼むよと微笑んで、しかし有無を言わせない空気でチャカに頷かせたマムシは、そのまま空のカップを持ってその場を去っていってしまう。残されたチャカはといえば、戸惑うばかりだ。壁一枚を隔てた向こうには、背中を預ける仲の同僚がいるはずだが、しかし今、どんな状態でベッドに横たわっているのかは覗き見る勇気も、想像する度胸もない。ただ、ビビを構うマムシを寂しそうに眺めていたペルの姿ばかりが頭の中をよぎっていった。あれは『そういう』意味だったとでもいうのか。てっきり、構ってもらえなくて寂しいのだとばかり。
ペルがマムシに可愛がられていたのは、それこそビビが生まれる以前から周知の事実である。だがそれは、大人が子供を可愛がるような、飼い主が飼い犬を可愛がるような、そういった単純な感情だったはずだ。その寵愛を受けていたのはペルとビビの二人だけで、もちろんチャカやイガラムにも優しくはしてくれているが、甘やかすといった表現が似合うほど目をかけてくれたことはない。マムシは、彼を優しく親しみやすい男だと称する周囲の評価ほど、無条件に優しくはないし、そして親しみやすくもないのだ。
ぴっちりと隙間なく蓋がされた器のように、マムシは内面が見えない男だった。一見して平凡で、威厳もなく、気の抜けたような笑い方をする姿は王族に見えないほど気安い人間性をしているが、その実チャカは彼の本心に触れたと思えたことが一度もない。
一人で外交をこなそうとする姿勢は、誰の力もあてにしていないということではないのか。卑屈なほど謙虚な言い草は、かかる期待を遠ざけようとしているのではないだろうか。誰の見送りも出迎えも必要とせず気軽に外出と帰還を繰り返しているのは、いつかそのまま姿を消すつもりなのではないだろうか。
心の内を何も話してくれないがゆえに生まれる推測は単なる考えすぎならばいいのだが、なんのしがらみも持っていないとばかりに足取り軽くどこへでも行ってしまう彼の背中を見ていると、チャカは不安になる。そのままどこか遠くへ消えていってしまうのではないかと。
もしそれがマムシの真意だとして、それを実行させずに引き止めているのは、きっとペルとビビの存在である。実の兄でさえどこか余所余所しい態度で過ごす彼が、心の底から愛しいというような素振りで可愛がり、甘やかし、全てを受け入れた存在。
同じ王族であるビビならばまだしも、臣下の中でも幼い頃から目をかけられているペルを羨ましく思わないわけでもない。しかしマムシが心許せるものがこのアラバスタ王国に一人でもいることは、喜ばしきことだとも思う。それが、もしも、昨夜になにかしらの進展があり、恋人という形で想いが通じあったのであれば、外野が水を差すわけにはいかないだろう。
そう考えたチャカは、閉ざされたペルの部屋のドアを見やり、己を納得させるように頷いて気合を入れた。同僚として、友人として、祝ってやらなくては。
事実の確認以前に、良い酒を贈ってやろうと決意したチャカは、端的に言うと、ものすごく、動揺していたのだった。