ペル長編 | ナノ


王弟殿下は情緒不安定  




誰にも言わない内緒の話。おれはこの世界の人間ではない。この世界が漫画として描かれていた世界で平和に平凡に生きていた、なんの特殊能力もないサラリーマンだ。

仕事帰りの夜道で車に轢かれたかと思ったら、次の瞬間にはオギャアと泣いて知らん女の人の腕に抱かれていたのだから、その時ばかりは自分の気が狂ったのかと思っていた。事態が把握出来ず、けれどふにゃふにゃの体には力も入らなくて、喚く声は全て言葉にならない赤子のもの。
どうやら自分の死を自覚する間もなく生まれ変わったらしいと気付いたのはおれを『おれ』と違う名前で呼ぶ父母らしき存在を確認してから。そしてここが愛読していた漫画の世界だと気付いた瞬間、おれの精神は崩壊した。

だって原作になんの関わりもないモブならまだしもだよ?この世界でのおれの兄ちゃん「コブラ」ってんだよ?そしてこの国がアラバスタで???砂の国で???海獣とかワルサギとかクンフージュゴンが棲息してて???

確実にクロコダイルの国家乗っ取りに巻き込まれるフラグじゃないですかーーーやだーーーー!!!!

しかも王家の人間ってことは国民に嫌われた挙句バロックワークスに痛めつけられるわけでしょ???しかもおれは原作に名前すら出てこないモブだから殺されても不思議はないわけですよ???
なにそれこわい…震えちゃう…将来が乱世なんて平和な国でのうのうと自分のことだけ考えて生きてきたおれには耐えらんない…。

おれがまだ中学生とか高校生の夢見る若僧なら「おれがこの国を救ってやるぜ!」とか言いながら図太い神経で育ってたんだろうけど、残念ながらおれは現実に生きるアラサーだったんですよね〜〜表立って上司に意見も言えない社畜だったんですよね〜〜電車で酔っ払いに絡まれたらヒェッてなっちゃう小心者なんですよね〜〜!!!海賊に立ち向かうとかぜっっっったいムリだわ〜〜〜〜!!!

という完全拒否状態に陥ったので、赤子の頃のおれは自分で言うのもなんだが酷かった。朝晩関係なく泣きわめき、誰かが抱き上げようもんなら暴れまわり、食事も排泄も極力我慢。
だって将来戦争が起こるような国に生まれたってだけでもSAN値がピンチなのに、中身はアラサーのおっさんが知らん女の人に授乳されたりオムツ変えられるとか、風俗のオプションプレイでなければ単なる辱めじゃないですか…やだ…。おれどっちかというとお世話したい方だからそんなの耐えられない…。

というわけで非常に扱いにくい赤子だったので、当時の乳母さんと母君には大変申し訳ない思いでいっぱいである。
どうにか自立歩行出来るようになるまでには諦めがつくという形で精神的にも落ち着いたので、改めてそこでおれに手を焼く周囲の人達を見て「これはあかん」と思い直し、いくら未来のアラバスタになんの必要もない存在だとしてもお世話してもくれる人にとっては可愛い子供でいられるように大人しくて愛想の良い子を装っていたのだが、これがまあ逆に不気味で子供らしくないと大不評。しらんよ…おれ中身三十路だもん…今更子供らしく無邪気に振る舞うなんてムリだわ…。
中身三十路どころか四十路に入りかけようとしてる初老のおっさんが今更無邪気な子供のふりとか自我の崩壊を起こしそうなのでなるべく一人で過ごすようにしていたら、父母はもちろん兄であるコブラ国王(予定)まで心配してよく様子を見に来てくれるようになって、何か察するものがあったのか「好きに生きていい」と言ってくれた。正直泣きそうだった。おれは自分のことしか考えていないし、将来どうやって自然にこの国から逃げ出そうかと画策していたのに、おれの周囲の人達はそんなこと関係なく優しくて、そして優しいこの人達をおれは見捨てようとしている、紛れもないクズだ。それを痛いほど自覚しておきながら、それでも見捨てようとしている救いようのないクズだ。

それからすぐに護衛隊に混じって自分を鍛えることにしたのは、もちろんこの国の運命を変えるためではない。海へ出ても、この国にいることになっても、自分の身は自分で守れるようにだ。
優しい人に気遣われても自分のことしか考えられないクズな性格に失望して、それでも変われなかったおれはこの国に必要のない人間だ。王家の恥だ。車に轢かれて死んだまま魂も消滅した方がよかったんだ。
おれが何もしなくたって、この国は助かる。言い訳にも近い事実でおれは自分をごまかしていたけれど、傷つく人たちもいて、もう戻ってこない人たちもいて、それらはもしかしたら救えるかもしれない人たちで、けれどおれは、おれが何かすることで原作の流れが変わってしまうかもしれないことが一番怖い。
おれ一人の力で全部上手く収まればそれでいい。けれど、おれは自分の限界を知っている。喧嘩のひとつもしたことない度胸が、恐ろしいことに立ち向かう勇気を潰していく。おれが手を出すことで運命が変わってしまうなら、この国は助からない可能性だってあるのだ。おれは不特定多数の国民のことなんて考えられない。考えてしまうと良心の呵責に襲われて死にたくなる。そのくせ自分が助かることばかり考えているのだから、自分の中で生まれる矛盾に苦しんで追われるように自分を鍛えた。航海の勉強もした。アラバスタから逃げるようにふらふらと近隣の国を遊び歩いているだけのおれに『外交官』だなんて役割を与えて、おれの名誉を守ってくれる家族に憎悪を抱くくらい罪悪感が湧いた。海に出る度にこのまま二度と戻らずに消えてしまおうかと思うのに、結局帰ってきてしまうのはその優しさのせいだ。おれはこの期に及んでまだ悩んでいる。自分には何も出来ないと知っているくせに、この国で生きているうちに守りたいものがどんどん増えてきてしまった。護衛隊に混じって鍛えている時に出会ったペルや、日に日にお転婆に育っていくビビがその筆頭である。
最初は罪悪感から優しくしただけだった。けれどそれで懐かれると可愛くて、甘やかせばもっと懐かれて、その純粋におれを慕ってくれる瞳が恐ろしくて、愛しくて、守りたくて、守れないことが悔しかった。別に死にはしないから、と腐った思考を見透かされてしまいそうなくらい澄んだ瞳に許しを乞うように、おれは優しい人を演じた。きっと大人になれば嫌でもおれの無能に気付くのだろうと怯えていたけれど、同時に安心もしていたのだ。期待されることもないというのは、期待に応える必要もないということだから。



「マムシくん、ねェ、お話をして」

まだまだ幼いビビが、なんの曇りもない瞳をキラキラと輝かせておれの足にしがみついてくる。背中に刺さる視線は、既におれを無能だと気付いているはずの兄が、かわいい娘をとられて苛立っているせいだろう。疎まれているのは理解しているはずなのに、おれは小さいこの手を払うことができない。ビビと同じように可愛がっていたペルはもう大人になってしまった。そろそろおれが無能だと気づく頃だろう。ならばせめてまだ幼い王女様には必要とされていたいだなんて、おれは本当に、救いようのないクズだ。


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