ペル長編 | ナノ


許してくれ  




一種の虫の知らせだった。
目を覚ましたペルは隣にマムシがいないことに気付き、そしてまだ夜も明けていない時間帯だということを確認すると、そのまま窓から隼の姿になり外へと飛び立ったのだ。トイレや、水を飲みに行ったというような一時的な不在ではないと、何故だか即座に理解が出来た。荷物の有無を見る前に体は動いていた。海へ。彼は今、海へ出ている。
夜の帳は鳥の眼にとって目隠しをするように捜索の邪魔をしてきたが、ペルは構わず飛び、耳を澄ませ、船が波に揺られる音を探した。運良く探し当てられたところで、どうしたいのかはペルにもわからない。ただ、迷子が親を求めて泣き叫ぶように、漠然とした不安だけで飛んでいた。行かせてはいけないように思った。それは、マムシのためなのか、ペルのためなのかは、十中八九ペルのためにしかならないのだろうけれど。

    マムシさん!」

船が波に揺られて軋む音を聞き当てて、ペルは墜落するようにそこへ降り立った。甲板を踏む瞬間に人間の姿に戻ると、まだ目が慣れていない影響で足元がおぼつかず、船の縁にあたってしまう。バランスを崩し、海の中へとひっくり返りそうになったのを腕を掴んで止めたのは人の手だ。まだそれが誰かは見えていないが、マムシの手であるという確信があった。なんの根拠もない確信だ。けれどそれは正解でもあった。
「マムシさん」。名前を呼ぶと、ペルの腕を掴んで手がびくりと震える。「どうして」と戸惑う声は、マムシらしくもなく少しだけ揺れていたけれど、確かにマムシの声だ。

「マムシさん」
「……ペル、起きちゃったのか」
「マムシさん、いやです、マムシさん…」

徐々に慣れてきた目でマムシの顔を見ると、安心すると同時に得体の知れない新たな不安な生まれてきた。怒られるかもしれない。嫌われるかもしれない。呆れられるかもしれない。そういった不安はもちろんある。あった。けれど今はそれよりも、マムシが二度とアラバスタに戻ってこないような気がして、それが何よりも恐ろしかった。

「…どうした?怖い夢でも見たか?」

ペルが何を感じ取っているのか、マムシは分かっているのだと確信した。ペルを心配する台詞は何かをごまかすように白々しく、そして不自然なほどいつもどおりだ。

真夜中の出航、誰にも伝えない行き先、王族でありながら伴をつけない単身の旅。
おかしいところはいくつもある。遊ぶ為にふらふらしているだけの放蕩息子だと彼は自称しているが、近隣諸国と友好を結んでアラバスタに貢献している実績を思えば、彼とて立派な為政者であることには間違いない。それでも自分の功績を鼻にもかけず、卑屈なほど謙虚で、誰にも悪意を向けることはない彼がどうして海へ出る時だけはこんなにも全てを拒絶するように動くのか理解出来なかった。
誰にも悪意を見せない優しい人のはずなのに、彼にとって特別なのは極少数の人間だけだ。王女であるビビと、そしてペル。この二人だけ。姪であるビビはまだしも、何故自分が気に入られたのか、ペルは今でもわからない。恐れ多いことだとも分かっていた。調子に乗るなと自分に言い聞かせてきた。彼に甘やかされる存在ではなく、頼りになりたいと鍛え続けてきた。

それでも今は、その全てがどうでもよくなってしまっている。

彼が何を考えているのか。どうして自分が選ばれたのか。彼の力になるためにはどうすればいいのか。臣として考えなければならない全てを放棄してペルがおかしくなったのは、彼がペルの全てを受け入れるせいだ。
最初は、ビビを可愛がる姿を見て、口に出してはいけない感情に襲われたのがきっかけだ。彼の『特別』が二人になったことで、立場も弁えず焦ってしまった。
飽きられてしまったのなら諦めもついたのに、彼はもう子供と形容しがたい姿にまで成長してしまったペルでも構わずに甘やかすので、欲が出てしまった心は歯止めが効かなくなる。求めれば求めた以上に与えられて、みっともないと分かっていながら止められなかった。気を引くように袖を引いて、頭を撫でさせ、眠くなるまで傍にいてもらって、こんなところを上司であるイガラムにでも見られたら、きっと卒倒するに違いない。どれだけ親しみやすくても、優しくても、許してくれても、彼は王族の人間で、ペルはそれに仕える立場だ。
頭では理解しているのに、感情が追いついていかない。行かないでほしいと言える立場ではない。着いて行きたいと言う実力もない。ただ傍に居て、自分を見て欲しいという我が儘がペルを突き動かしている。

「マムシさん、」
「うん」
「マムシさん…」
「…戻るかあ。一人じゃ戻れないだろ?夜に飛ぶの、苦手だもんな」

先ほどの反応からして、困っているのは間違いないのに、それでも何も言わず、咎めようともしないマムシに胸が締め付けられる。甘やかされると安心した。けれど度が過ぎる行為を咎められないのは果たして愛情だろうか。自分でも持て余す衝動の先に自分がマムシへ何を求めるのか、それを感じとってペルは何より自分を恐れた。

「…マムシさん、叱ってください」
「ん?」
「おかしいんです。あなたを困らせているのはわかっているのに、日に日に自制が効かなくなっていく」
「…ペルはいつも頑張っているからなあ。ストレスだって溜まるだろう」
「違います、違うんです」

ストレスをぶつけていると思われているのも問題だが、この感情はもっと醜い。
王女であるビビに羨望を抱いたのも、子供に戻りたいと思ったのも、子供のように駄々をこねて甘えたがったのも、全ては相手がマムシだったからだ。
恋というにもおこがましい。これは、ただの独占欲である。
マムシの特別でありたい。執着されたい。甘やかされて当然の立場でありたい。そしてその反面、それはいけないと咎められたいとも思う。優しいだけの彼の、それ以外の全ての感情を向けられたいと望んでいる。

「身の程知らずの感情を、あなたに抱いています」
「…いいよ、それがお前の助けになるのなら」
「やめてください…!あなたはわかっていない!」

波の音しかしない静かな夜の海で、ペルの悲痛な声が響く。彼を独占することなど無理なことはわかっているのだから、いっそ叱りつけて戒めてほしかったのに、それすらしてもらえないならばどうすればいい。くすぶったままで一生生きていけというなら、それは嫌われるよりも酷い仕打ちである。

「今、ここで、突き放してください。それが出来ないのなら、ずっとお傍にいることを、許してください」
「…ペル?」
「私は、あなたの全てがほしい」

告白ではない。懺悔にも近い、罪を犯すことへの宣言だった。被害者はマムシだ。罰してほしい。それすら欲しい。マムシに与えられるものならなんだって。それは間違いなく、彼の唯一になるからだ。

「…おれが、ペルを突き放せるわけが、ないだろう…」

困惑した声だった。聞いたこともないほど、うろたえた様子のマムシに、申し訳ないと思うよりも嬉しくなってしまったペルはもう手遅れだ。困惑も、怒りも、苛立ちも、彼が生む感情ならばなんだって欲しい。いっそ、性欲ですら。彼にどうにかされることを考えただけで、ぞっとするほどの満足感が胸を満たして、ますます欲しくなる。

「マムシさん」
「おれは、お前が羨ましいんだよ。お前みたいに生きることができたら、どんなに良かったか」

「なのにどうして、お前がそんなことを言うんだ」。唇を噛み締める表情を初めて見た。何かを耐える姿の理由を知りたくて、ペルはじっと見つめたまま目を逸らさない。怒っているようにも見えた。恐れているようにも。しかしマムシはそれ以上を打ち明けることはなく、ペルの目からそっと視線を外すと、一度深く溜息をついた。それが諦めの溜息だということに気付いたのは、船の梶がアラバスタへと戻るように向けられていたからだ。

「マムシ、様」
「いーよ、うん、わかった」

砕けた口調が自棄な響きをもってペルを受け入れる。「どうしようもないよな、本当に」。呆れたような言葉は、許容されたという意味だろうか。ざぶざぶと波を掻き分けて進んでいく船の上で、ペルはマムシの言葉だけに耳を澄ませる。全てを逃すつもりはなかった。彼の声も、感情も、全てだ。

「…マムシ様」
「さん、でいーよ。呼び捨てでもいい」
「え…」
「全部あげるから」
「…ぜんぶ」
「ああ、全部あげる。最後まで付き合うよ、ペルに。おれが死ぬまで、好きなようにするといい」
「えっ」
「いらないか?」
「い、いえ!いります!」
「大したもんじゃないぞ」
「そんなことありません!」
「…そうか、それなら、いーよ」

子供に玩具を与えるような気軽さで、マムシは自分を明け渡した。あまりにも容易にポイと与えられるので、要求したのは確かにペルの方だが戸惑ってしまう。
「おれに何をしてほしい?何をさせたい?」。問われても困る。たくさんあって、けれどそのどれもが大したものではないから、今更ながらに口に出すのも恥ずかしい。

「あの…」
「うん」
「…一緒に、寝てください」

まるでおばけを怖がる子供だ。幼いビビですら言わないようなことをねだるペルに、マムシはあっさり「いーよ」と頷いた。あまりにも軽く出された許可に、逆に不安になるというのは我が儘だろうか。「…あと、叱ってください」。試しに言ってみれば、マムシは笑ってペルの頬を柔らかくつまんだ。

「叱ってほしいのか?おれに?」

甘く責めるような言葉に、きゅう、と胸が締め付けられる。叱られてみたい。でも、甘やかしてもほしい。相反する感情に振り回されるペルは、ずっとこの気持ちを抱えながら生きていくことになるのだろう。マムシが与えてくれたマムシ自身が取り上げられてしまわない限り、きっと、一生。


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