ペル長編 | ナノ


赦しをくれ  




ペルの様子がおかしい。

幼い頃からおれは彼を知っていて、未来のアラバスタの救世主だからと優しくして甘やかして可愛がった自覚はある。しかしペルは、昔から真面目で忠誠心の強い、『おれ』がかつて読んでいた『ペル』のままだった。小さいのに意志も目標もしっかりしていて、もちろん子供らしいところもあったけれど、おれが王族だと知ってからは遠慮をして適切な距離をとろうとするようになるくらい、どちらかと言えば大人びた性質の子供だったはずだ。護衛隊に入るようになってからは尚更遠慮がちになり、拒みはされなかったけれど諸手をあげて歓迎してくれるような態度ではなくなってしまった。けれどそれは当然の成長であり、自立であり、おれが知っている『ペル』に近付いていっているということだ。ビビが生まれてからは尚更接する機会もなくなって、寂しかったけれど、安心もしていた。ペルが『ペル』にならなければ、この国は救われない。クロコダイルの仕掛けた爆弾により、ビビは死ぬだろう。多くの国民も巻き込まれる。戦争は終わらない。国は滅びる。そう思えばペルが『ペル』らしくなっていくのは安心して、そしてその未来が近づいてくるに連れて恐ろしくもなった。国を救うことも助けることも出来ないおれは、罪悪感に耐え切れずに何度も国を出て、そして結局捨てきれずにまた戻ってきてしまう。何も出来ないと、この世界に生まれてきた時からわかっているのに。
おれはヒーローにもヒールにもなりきれない、ただの役立たずだ。

だからせめてペルやビビには優しくしていたいというのに、ここ数日はペルの様子がおかしくておれは困惑している。日中ビビとずっと一緒にいる間はおれのことなんて興味がないとばかりに遠巻きにしているのに、ビビが離れたり、他に誰もいなくなった瞬間、ペルは子供のようにおれに甘えてくる。服の袖や裾を引いて、「マムシ様」と名前を呼んで、けれど何を言うわけでもないから、おれが頭を撫でて「どうした?」と促してやると、ようやく次の言葉が出てくる。「私にも、旅の話をしてください」とか、「訓練に付き合ってください」とか、「名前を呼んでください」とか、そんな他愛もない要求を毎日、毎晩、迷子のような顔をして出してくるものだから、おれは心配になって他の誰かが来るまで甘やかしてしまうし、夜は寝つくまで見守ってやっている。
そうすると何が起こるか。簡単な話だ。おれはアラバスタから離れられなくなる。

あまり長く宮殿に滞在していると、おれを見る周りの目が怖い。ただでさえ普段『外交官』なんて大層な肩書きで、実際はただ遊び歩いてるだけの放蕩息子なのだから、宮殿にいるときに役に立てることなんて何もないのに、何をするわけでもなくのうのうと過ごすボンクラを見て周りが良く思うはずもないのだ。
昔みたいに護衛隊に混じって体を鍛えてみようにも、いつからかみんなおれが王族だからと遠慮してまともに打ち合いなんかしてくれないどころか、わざと負けるなんていうヨイショをしてもらうような体たらく。国政なんかに関われるような頭があるわけでもなく、コブラ国王になにか聞かれても適当な返事しか返せない木偶の棒。
唯一、幼いビビがおれを求めてくれることが救いだが、旅に出なければ喜んでもらえるような土産も買えないし、『原作』の『主人公』が体験していた冒険の話を絵物語代わりに聞かせてやるのだって限界がある。かといっておれの冒険譚なんざ、そこらへんに転がっているような平凡なものだ。なんの面白みもない。

早く旅に出なければならないと思うのに、ペルが「構って」とばかりに袖を引くので、本来出立しようと思っていた日から一週間が経ってもアラバスタを出ることができない。

ペルは、なぜ今更おれに甘えるのか。日頃のストレス、あるいは欲求不満。一種の自己主張。考えられる原因を頭の中だけで並べながらも、そのどれひとつとして確証も得られず確認も出来ず、最終的にたどり着いた結論は、過去の記憶の中から引っ張りだしてきたものだった。
わかった。わかってしまった。理解した。ペルがやけにおれに甘える理由。

    馬鹿にされているのだ、おれは、ペルに。
かつて可愛がった幼子に、おれは今、軽んじられている。

おれが昔、昔のその前、この世界に生まれ直す前の、平和な日本で働く社会人だった頃。おれが育てた後輩が別の部署に異動になってから、急に頻繁に会いに来るようになったり、仕事と関係のない我が儘をよく言うようになった。先輩、一緒に帰りましょう、先輩、ごはんおごってください、先輩、今度の休日一緒に出かけませんか。ねェ先輩、先輩。先輩ったら。
しつこいくらいに懐いて、甘えて、新人社員で入ってきたばかりの頃はそんなこともなかったのに、急に子供のようにまとわりついてきた後輩を、なぜだろうと思っていたけれど、ある日上司に言われて気付いた。「お前、なめられてんだよ。よいしょすりゃあ金出して足になってくれるチョロイ先輩だと思われてんだろ」。そうか、なるほど、と思って、それからその後輩とは、どうしたっけ。仕事が忙しくて、あまり覚えてないけれど、付き合いがなくなっていったのはなんとなくわかっていた。その時の後輩と、今のペルの姿が重なる。最初は甘えられてるのかと思って、嬉しかった。けれど、おれの持ち物を欲しがったり、暇さえあればついてきたり、誰か他の人間がいる前では普通の態度になるペルを見ていると、あの後輩と、上司の言葉を思い出す。
腹が立つとか、悲しいとか、そういう感情は湧いてこなかった。ただ怖かった。王族の人間でありながら、なんの威厳もない。力もない。頭も悪く、そしてなにより、未来の窮地を知っていながら、救おうとしていないクズを、あの真面目で忠誠心が強く優しかったペルでさえ見下しているのかと思うと、この宮殿の、ビビ以外の全ての人間が見下しているような感覚に陥って怖くなる。そうされて当たり前の存在だと自分でもわかっているはずなのに、いざそれを突きつけられると眠れなくなるほど恐ろしい。
本来ならここは、おれのようなタダ飯喰らいがだらだらと過ごしていていいような場所ではないのだ。宮殿にいればおれの世話をしなくてはならない給仕や使用人に、宮殿を出てその辺を歩けば血税を捧げている国民に、おれは責められてもおかしくない。
ここはおれにとって針のむしろだ。きっと記憶でも無くさない限り、ずっと形のない恐怖にのしかかられ、逃げ出したい衝動に耐え続けなければならないだろう。

おれがもっと優秀な人間ならばよかった。クロコダイルの陰謀を止めようという気概のある人間ならよかった。せめて王族の人間でなければよかった。
いくら考えても現実は無情なもので、寝ても起きても旅先で痛い目に遭ってもおれは未来に何が起こるのか忘れることはなかったし、自分の身を守るのに精一杯で誰も救ってやれないほど弱くて頭も悪い。そして、結局ちゃんと捨てることも出来ずに帰ってきてしまうここは、おれの兄が治める国で、おれは国王の弟だった。

こわい。にげたい。どこか遠い、おれのことを誰も知らない島で、平凡に働きながら、無力が当たり前の人間として暮らしていきたい。

いつもそう思いながら、おれはアラバスタを出て行く。罪悪感と開放感で胸の内を満たしながら、もう二度と戻らないつもりで海に出る。




「…マムシさん」
「うん、ここにいるぞお」
「…マムシさん」
「うん、もう寝な、ペル」
「はい…」
「おやすみ」
「…おやすみ…なさ……」
「……」

誰の目にも映らないような深夜。
腕の中で溶けるように眠ったペルを、爆弾を扱う特殊処理班みたいな気持ちで恐る恐るベッドの上へと明け渡して、その日おれは、逃げるように海へ出た。


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