「一人部屋がほしい」
ワガママといえばワガママで、思春期としては当然といえば当然の主張をこの家の主に伝えれば、主たる男のナマエは「ああ」と言って納得したように頷いた。もうそんな年頃か、と考えているであろうことはその表情から読めるが、こちらとしても多くを語らずして理解してもらえるのはありがたい。
しかしナマエの傍らにいた、現在ローと同じ部屋を使っているコラソンにとってローのその独立の主張は妙な意味で伝わってしまったようだ。
「ロー、お前コラさんと一緒じゃ嫌だって言うのか」
わなわなと震え、捨てられた犬のように哀れな表情でローを責めるコラソンは、ローの「一人部屋が欲しい」というおねだりを別の意味で捉えてしまったようだ。
ローはなにも、コラソンが嫌になったから部屋を分けたいというわけではない。少々お節介でよくドジを踏むきらいはあるものの、ローにとっては命を救ってもらった大恩人だ。時折鬱陶しく思うことがあったとしても離れるつもりはないし、本人には言っていないが老後の面倒を見る予定さえある。それでも「一人部屋がほしい」と言ったのは、生活サイクルの違いが出始めたからだ。
ローとコラソンの戸籍を偽造し、普通の生活に困らない程度の環境を整えてくれたナマエは、当然のようにローを学校にも通えるように手続きしてくれた。医者になりたいというローの願望のため、家からは少々遠いものの街でも有名な進学校は、その進学校という性質ゆえか毎日のように大量の課題が出される。勉強についていく頭脳は間に合っているが、足りないのは時間だ。学校から家に帰るまでの時間、帰ってからナマエと二人で食事を作る時間、食事と風呂の時間、それらを除いて勉強の時間を作るとなると、どうしても睡眠時間を削るしかない。リビングでやっていると二人に心配を掛けるし、かといってコラソンと共有の部屋ではコラソンまで眠れなくなってしまう。だから「一人部屋が欲しい」と説明したローに、コラソンは自分が嫌われたわけではないのかと安堵しつつ、しかし勉強のために睡眠時間を削っているローを心配そうに見た。
ローとしては、新しい知識を入れることは面倒でも嫌いでもない。書き取りや計算問題は無駄だとも思うが、単純作業だと思えば熱中出来て苦にもならない。それに、他の気配を気にせず集中できる場があれば効率も上がるはずだ。
まあ、本音をいえば一人になれる環境がただ単純にほしいだけという思春期によくある欲求も三割ほどはあるのだが、それについては今は伏せておく。
ローが懇懇と一人部屋の必要性を主にコラソンに向かって説いていると、最初から理解していた様子のナマエは頷きながら「それは構わないんだが」とローのプレゼンを一度止めさせた。想定内の切り返しである。
「部屋はどうしようか。時間はかかるが、やっぱり増築するか?それとも庭に離れでも作ろうか」
現在ナマエとコラソン、ローの三人が住んでいる庭付き一戸建ての平屋は、ひとつひとつの部屋自体は大きく作られているものの、部屋数自体はそう多くない。なぜか当初ナマエはここにコラソンとローの二人だけを住まわせるつもりだったらしく、個室として使用できる部屋は二つ、あとはせいぜい手狭な物置部屋しかなかった。
二つの部屋のうち比較的小さい方をナマエが使い、コラソンとローとが共有で大きめの部屋をひとつ、そして仕事の関係でパソコンのモニターやスピーカー、大型レシーバーなど場所を取るものが必要なナマエが物置部屋を仕事部屋として使ってしまえばこれで終いだ。
モニターが5台も6台も並んでいるような物置部屋の中身をナマエの部屋に移せば完全に足の踏みどころもない事態になってしまうし、何より窓も換気扇もない物置部屋の使用をナマエはローとコラソンには許可しない。引っ越した当初にナマエは散々「増築しようか」と言っていたものの、コラソンもローも二人で部屋を使うことに異論はなかったためにそれを却下したのだ。
ローの要求を聞き入れるために今一度あっさりと増築の、ましてだだっ広い庭に離れを作るかと提案するような金銭感覚の麻痺に少々慄きながらも、ローは「必要ない」と却下した。もう既に解決策は考えてあるのだ。
「コラさんがナマエの部屋に移ればいい」
「えっ」
今までナマエとローのやり取りを見守っていたコラソンが、裏声になりつつ驚嘆の声を上げた。聞いてない、という反応は当然だ。言っていないのだから。
「ナマエは日中ほとんど物置部屋にいるだろ」
「いるな」
「部屋を使うのは夜寝るときだけ」
「ああ」
「だからと言って物置部屋にベッドを移せるほどのスペースはない」
「そうだな」
「だったら部屋をコラさんと共有にして、おれとコラさんの部屋をおれの一人部屋にしてくれよ。ああ、もちろん大きい方の部屋はそっちに譲る」
「ちょっ、あ!?ロー!待て待て待て待て…!」
「なんだコラさん、ナマエと一緒じゃ不満か?」
「不満とか!そういう意味じゃなくてだな!」
「ナマエはコラさんと一緒でも構わないだろ?」
「ああ、そうだな」
「エッ」
ぶわ、とコラソンの顔が真っ赤に染まる。それを見てもうひと押しだと確信したローは、「じゃあこれで決まりだな」と立ち上がってコラソンの同意を得ずに終結させた。あまりにもコラソンを軽んじていると言われそうな言動だが、これはコラソンのためでもあるのだ。ローは半ば渋々、二人のキューピッドになってやっているだけに過ぎない。
本当はナマエに増築をねだっても良かった。『家族』にアホほど甘い彼のことだ、ローが願えば喜んで金も労力もかけてくれるだろう。しかし部屋を交換しコラソンとナマエを同室にすることを提案したのは、自分のワガママで金を使わせるのが申し訳なく思うのがひとつ、そしてそろそろ二人の仲を進展させてほしいというのがひとつだ。
コラソンとナマエは、恋人同士である。おそらく。きっと。多分。…という補足がつくような、若干わかりにくい関係性ではあるのだが。
もしかしたらローの知らないところで乳繰り合っているのかもしれないし、ローとて家族のように思っている二人の性事情など知りたくもないのだが、普段はそのような雰囲気など一切感じないのだから逆に心配にさえなってしまう。ましてやその片割れであるコラソンが時折ナマエに対してもどかしく思っているような素振りを見せ、反対にナマエはそれを意図的に無視しているのかわかっていないのか一切関与しようとはしないので尚更だ。
ならばとお膳立てをしてやれるのはローしかいない。寝室を共にすれば機会は毎晩やってくるのだし、ローを間に挟まない会話も多く増えるだろう。ただでさえこれからはローも勉強で忙しくなるのだから、そろそろコラソンも上手くナマエを誘えるようになるべきだ。というか、なってもらわないと困る。事あるごとに顔を赤くしてあわあわと挙動不審に慌てる大人の姿など、ローとて見たくはないのだから。
ローとナマエとで決定を下し、顔を赤くしてあわあわと挙動不審に慌てるコラソンは無視して早速部屋の整理をしようと足を向けたローの背中に、「ロー」とナマエが声をかけて呼び止める。その顔はあまり表情の変化が少なく、普段の言動からしていまいち何を考えているのかはわかりにくいが、その目はいつだって慈愛に満ちていることをローは知っていた。だからもう、疑うことはない。
「勉強に熱中するのもいいが、身体は壊さないように」
「分かってる」
「それと、負担になるようなら家のことはおれに任せなさい。お前はまだ子供なんだから、甘えたっていいんだよ」
「おれも!ロー!おれにも甘えていいんだからな!」
ナマエの言葉にハッと我に返ったコラソンも、同調して頷き、任せろとばかりに胸をどんと叩く。ローはそれにニヤリと笑って返すだけで、イエスもノーとも答えなかった。
頼りになる子供だろ、あんたらもっと甘えていいんだぜ、とは、今はまだ言い放つことができない半人前なので。
とりあえず今はこっちを気にせずそっちはそっちでよろしくやってくれ
「き、きんちょうして、ねむれない」
とバカなことを真っ赤な顔を訴え、課題も終えて眠ろうとしていたローをベッドから引きずり出して二人の寝室に連れ込んだコラソンにより、結局二つの部屋は三人の寝室とローの勉強部屋として使われることになったのであった。もう好きにしてくれ。