「この島を最後に船を降りる」
なんてことのないような口調で告げられた言葉は、あまりにも大きな決断だ。いつも通りおれの腰を抱き寄せて、つむじにキスをしながら言ったこの人がどんな顔でそれを告げたのかはわからない。けれど、何が原因かはわかっている。
ナマエさんの右目に咲いた真っ赤な花。まるで人間の血を吸って糧にしているような色のその花は、少し以前から唐突にナマエさんの右目に存在を現した。
調べても似た症例などなく、切り落としても抜いても燃やしてもダメ。次の日にはまったく同じ姿で咲き誇る花は、けれどその時には右目の視界が覆われる以外に不都合がなかったものだから、対処法を調べながらも結局は放置されていた。当人であるナマエさんが「いい色じゃねェか」とニヤニヤ笑うばかりで動揺を見せなかったせいもあると思う。
大したことではないのだと感じさせる態度に、そんな悠長に構えている場合ではないのではないかと周囲の方が慌てだしたのは1週間ほど経ってからだ。
ナマエさんの記憶が、少しずつなくなっている。
そのことに一番最初に気付いたのはレイリーさんだ。ある日ずっと一緒に航海してきたクルーを指差して、「あれはいつ入ってきたんだ」と問いかけたナマエさんに異常を感じ取って問題が発覚した。騒ぎだしてみればクルーの中の1人だけじゃない。「ここ数日よそよそしい態度を取られてた」「島で話し掛けたら無視された」「お前誰だと言われたが冗談だと思ってた」というクルーがぽろぽろと名乗り出てきて、毎日少しずつナマエさんの記憶が無くなっていることが分かった。異変の始まりはその1週間前から。そしてそれは、ナマエさんの右目に真っ赤な花が咲いた日からだ。
「もう一ヶ月経つ。クルーのほとんどを覚えてない」
「でも、おれのことは覚えてる」
「お前と仲良くしてる赤い鼻のヤツは忘れた」
次はお前の番だと言われたようでゾッとした。腰に回された手を掴んでぎゅうと力を入れたのは、忘れられるのが怖かったからじゃない。この人を逃さないためだ。
ナマエさんのために上陸したこの島で、ようやく治療薬に成り得そうなものの情報を掴んだ。西の森に住む魔女と呼ばれる老婆が、「効くかどうかは賭けだが」と提案した薬の材料を、今は海賊団総出で探している。
毒グモの糸、アゲハ蝶の鱗粉、トカゲの尻尾に魚人の鱗。必要なものは他にもたくさんあって、ナマエさんのためにロジャー海賊団のみんなが走り回って探している。ロジャー船長も、レイリーさんも。
おれだって探しに行きたい。この人がこんな馬鹿げた話で引き止めてこなければ、今頃トカゲ探して森の中を這いずってた。
「勝手に諦めんな、バカ」
「自分のボスもわからなくなるようじゃあ、このまま船に乗るなんざ無理な話だろう」
「あんた、そんなんで生きていけないだろ。結構なお尋ねものなんだぜ」
「どうとでもなるさ」
どうとでもするんだろう。元々は一人で海を渡っていたという人だ。頭はいいし、力だってある。他人を誘惑して手足のように扱うことにも長けている。だけどこんな有様じゃ、上手く生きていけたところでこの人はずっと一生、ひとりだ。そんなのをロジャー船長が許すはずがない。おれだって絶対、許さない。こんなあっさり、平然とおれたちのことを手放すなんて、絶対に許さない。
「薬が効くかもしれないだろ!」
「効かなかったら、それで終いだ」
「うるせェな!効くんだよバカ!」
「シャンクス、覚えてるうちに挨拶くらいさせてくれ」
「やめろバカ!うるせェ!」
「シャンクス」
甘く掠れた声が、駄々をこねる子供を嗜めるようにおれの名前を呼ぶ。
嫌だ。聞きたくない。手放したくない。
「…森の方が騒がしいな。なんだ、この島は賊でもいるのか?…おい坊主、お前はなんで泣いてんだ?離してくれ…」
スオウは右目から真っ赤な花が咲く病気です。進行するとひとつひとつ記憶をなくしてゆきます。トカゲの尾が薬になります。
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