「もっと軽い奴だと思ってた」
呆れるというより、落胆するというより、事実をただなぞるような平坦な声色で呟いたナマエに、おれは俯いていた視線を上げて睨みつけた。恨みがましい目つきを向けられて何を訴えたいか分かったんだろう。ナマエは誤魔化すように少しだけ笑って、おれの手を取った。冷たくて、氷みたいに固くなっているおれの手を、温かくて柔らかなナマエの指が溶かすように包んで撫でる。宥めるようなその手つきに、おれは無意識に発動しかけていた能力を解いた。
ナマエは人の肌に触るのが好きだ。特に手を繋ぐのが一番落ち着くのだと言っていた。彼女が出来ればデートする時には必ず繋ぐし、一緒に寝るならやっぱり繋いでいたい、と惚気のように話していたのは随分と昔、まだおれたちが付き合うよりずっと以前のことだ。
それでも未だにそのことを覚えているのは、ナマエに愛されていた昔の女のことを執念深く妬んでいたからだろう。
ナマエも知らないことだけれど、おれはずっと以前からナマエが好きだった。顔どころか名前も知らない女に妬いて、機嫌を悪くして、その場の温度を二、三度下げてしまうくらいには好きだった。
ゲイでもない、真性のストレートであるナマエにそんなことを伝えたって引かれてしまうのは明白で、おれはいつも「ふーん」「あっそう」とおざなりな態度で流していたからナマエは全く気付かなかっただろう。ましておれだって、美女とあらばあちこちに声を掛けていたのだから尚更だ。それで「軽い奴だ」と言われたって自業自得なのは分かっているけれど、腹の中ではずっと一人を想っていた気持ちを否定されたようで納得がいかない。じゃあそんな軽い奴に、一世一代の告白みたいな気迫で付き合ってくれと伝えてきたお前の魂胆はなんなんだと問い詰めたい。告白されてどれだけ嬉しかったか知らないくせに。浮かれてしまった気持ちも知らないくせに。
「おれの手は、繋ごうともしなかったくせに」
小さな声で、おれの手を握っている至近距離のナマエにしか聞こえないような声で恨みがましく吐き捨てると、ナマエは顔をでれでれと崩れさせて「だってお前そういうの嫌いだと思ったんだもん」と言い訳を口にした。「おれが彼女と手ェ繋ぐの好きって言ったら、いつもうざそうにしてたじゃん」。なるほどつまり、自業自得だったらしい。何も言い返すことが出来なくて、ナマエの指に指を絡め、骨が軋むまでぎゅうぎゅうと力を強めても、ナマエはでれでれと笑っていた。そのあまりにも幸せそうな顔を隠すことなく向けられると、おれもずっと顰めっ面でいられないのは惚れた弱みだ。空いている方の腕でナマエの背中を抱き寄せて首筋に埋めると、「なんだなんだ、今日のクザンはかーわいいなー」と嬉しそうに頬ずりをされた。顔を隠したかっただけで甘えているわけではないのだから、そんなに喜ばないでほしい。普通に甘えたくなってしまう。
「恋人差し置いて女の子と手ェ繋ぐなんて、浮気じゃねェの」
「ええー?なにそれ本気で言ってんのォー?」
「…お前がそんな軽い男だと思わなかった」
「だってさァ、女の子っつったって8歳だぞ?しかも姪っ子だっつったじゃん!おれロリコンじゃねェっての」
「…でも、嫌だ」
「か、かわいい」
神妙な声でバカみたいなことを言って、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる腕が強くなる。「クザンが嫌なら、もうやめるよ」と簡単に甘やかすナマエは、軽い気持ちで言っているのかもしれない。でもおれは言質をとった。嘘をついたら今度こそ両手を凍らせて砕くつもりだけど、まあいいよな。だってナマエが言ったんだ。「クザンが嫌ならもうやめるよ」って。