告白はおれからだ。「好きです。気持ち悪かったら殺してください」という決死の覚悟にマルコ隊長が応えてくれたのは、応えてやらなければ今にもおれが死んでしまいそうな顔をしていたからかもしれない。家族を大事にする、大家族の長男坊みたいに責任感の強いあの人が、『弟』をフッて自殺させたなんてきっと耐え切れないことだろう。だからおれのことを受け入れてくれた。そう考える方が自然だ。だっておれにはあの人に好かれるような取り柄なんてなにもない。際立って強いわけでもなければ、際立って顔がいいというわけでもない。人を楽しませるような話も出来ないし、役に立つような特技もない。際立ったものが何もないおれの告白に、マルコ隊長が「気持ち悪かァねェよい」と苦笑いして、キスをしてくれたときの気持ちが今でもよくわからない。どうして受け入れてくれたんだろう、なんのとりえもないおれなのに、と浮かれるより先に怖くなって、恋人らしいことのひとつも出来なかった。挑発するみたいに、おれをからかって遊ぶみたいに、触れてきてくれたマルコ隊長の誘いに乗っておけば良かったと今になって思う。それももう、過ぎたことだけれど。
「…なんかの間違いじゃねェのか」
エースはそう言って、おれを慰めようとしてくれているが素直に頷くことも出来ない。マルコ隊長が、浮気をした。いや、浮気とも言えないのかもしれない。おれが本命だったなんていう幻想も、今ではバカバカしくて口にすることすらはばかられる。
素直でかわいげのある新人。胸が大きくて色気のあるナース。話が上手くてノリのいい商売女。おれよりずっと魅力的なそれらに、マルコ隊長が接触しているところを見るのは何度目だろうか。最近は特に多くなってきた気がする。マルコ隊長とて、おれがその現場を見ていると分かっているのだろう、わざと他の誰かの匂いをまとわせてからおれに話しかけてくるのは、さっさと空気を読んで別れ話を持ち出すよう仕向けているのだ。
マルコ隊長がそう望んでいるのなら、別れてあげたい。でも、別れましょうと言い出すために口を開こうとすると、喉が詰まったように声が出なくなってしまう。息ができなくて目の奥がツンと痛くなって、無様に泣き出す前にどうにか逃げ出すのが精一杯だ。そして誰もいないところでぐずぐずと泣いて、落ち着いたころにはまたマルコ隊長は誰かと親しげに話している。
泣いているところをエースに見つかったのは誤算だったけれど、足音が聞こえてきたところで動こうともしなかったのはもはや自棄になっていたからだ。見られてもいいか、と思ってしまった。この腐った感情を吐露して、女々しいやつだと罵倒されて、もう吹っ切ってしまえと背中を押されたかったのかもしれない。出来ればイゾウやビスタ、サッチあたりならば良かったが、物事はそう上手くいかない。色恋沙汰に鈍そうなエースは、無表情でぼろぼろと涙を流しているおれを見つけてそれはもう慌てたようだった。おろおろして、きょろきょろして、どうしたと声を荒げて、男が泣くんじゃねェよと叱咤して、それでもおれの話を聞いてくれた。「浮気されてるんだ。怒ることも問いただすことも出来なくて、情けなくて泣いてる」と白状したおれに、一瞬『そんなことで』というような顔をしたけれど、すぐに不可解な顔で「なんかの間違いじゃねェのか」と慰めてくれた。おれの恋人がマルコ隊長だということは、幾人かの人間が知っている。おれと親しい間柄のやつらには、いつの間にかマルコ隊長が伝えていたらしい。エースもそのうちの一人だったけれど、マルコ隊長が浮気をしているというのは初耳だったようだ。あんなに複数の人間と接触しているというのに、一度も見たことがなかったらしい。
もしかしたら、おれに見せつけるためだけにわざわざあんなことをしていたのかもしれない。別れ話をおれの方からさせるために。それはマルコ隊長なりの優しさなんだとしたら、おれもいつまでも甘えているわけにはいかないだろう。
「…エース」
「な、なんだよ」
「女々しいところ見せてごめんな」
「う、いや…」
「でも、話せてすっきりした。ありがとう」
「…ん」
「終わりにしてくる。今夜、時間があったら、やけ酒付き合ってくれ」
「…ちゃんと話してこいよ?多分、なんかの間違いだからよ」
「ん、ありがとう」
濡れた目元を拭いて、マルコ隊長の部屋へ向かう。この時間帯だったら休んでいるだろうと思っていたが、中から聞こえてくるのは話し声だ。一人はもちろんマルコ隊長と、おそらくもう一人は、サッチ隊長。「これ以上続けるのはよくねェんじゃねェの?お前からはっきり言っちまえよ」「あいつから言わせなきゃ意味ねェんだよい」「あっちこっちに気ィ持たせておいて、いつか刺されても知らねェからな」「そこんとこは上手くやってる。お前と一緒にすんなよい」「うわサイテー」「ウルセー」…ああ、そうか、おれのこと言ってるんだな。漏れて聞こえる声に、ようやく決心が固まった。
「マルコ隊長」
呼びかけると同時にドアを開くと、ベッドの上に座るマルコ隊長と、椅子の背もたれを抱くように座るサッチ隊長。もしかしたらサッチ隊長とも、と邪推してしまう気持ちを押し込めて、マルコ隊長だけを視界に入れた。急に入ってくるとは思わなかったのだろう、一瞬驚いたように目を見開いて、それでもすぐに笑った。「どうしたんだよい」という声がどこか期待を込めたように聞こえるのは、ようやく別れ話をしにきたかと安心しているのだろうか。告白の時のキスも、優しくしてくれた日々も、おれとマルコ隊長が付き合ったと聞いて祝福してくれたサッチ隊長も何もかもが信じられなくなって、おれは爪先に視線を落としたまま、言った。
「別れてください」
「……は?」
虚をつかれたような声。聞こえなかったんだろうか。
「別れてください」
「な、」
「もういいんです、マルコ隊長には遊びだったかもしれませんが、それでもおれは幸せでした。もう満足です。ありがとうございました、別れてください」
サッチ隊長が立ち上がる気配がする。おれは一息に言い切って、すぐさま踵を返して部屋を出た。「ナマエ!」名前を呼ぶ声。サッチ隊長の声。止まらなかった。もしかしたらマルコ隊長に呼ばれていたら、未練がましく立ち止まっていたかもしれない。広いモビーディック号の中を走って、走って、滅多に使われていない納屋の中に飛び込んで、泣いた。苦しかった。辛かった。でも、これでもう、全部が終わったのだと思うと寂しかったけれど楽になったような気がした。終わった。終わったのだ。もう、勝手に期待して、裏切られたような気分になることもない。そう考えるとスッキリして、笑いさえこぼれてきた。
「はは、なんだ、けっこう、いいもんだ」
なにをあんなに苦しんでいたのか、不思議なくらい心にぽっかりと穴が空いて軽くなる。もう少しだけ泣いて、完全に吹っ切れたら、エースを付き合わせて酒でもかっくらって今日はぐっすりと眠ろう。マルコ隊長とは少し気まずくなるかもしれないけれど、会おうと思わなければ避けることも出来るくらいこの船は広いのだ。なんとかなる。
そういえば、別れ話をしたときにマルコ隊長はどんな顔をしていたのだろうか。最後なのだからしっかり見ておけば良かったとも思うが、あからさまに安心した顔をされたら今度こそ立ち直れなくなりそうなので見なくてよかったのかもしれない。まあ、もはや考えたって仕方がないことだ。別れた今、マルコ隊長がどんな顔をしていたって、おれには関係ない話なのだから。