あんたは不器用だから、と笑う男がいる。けれどその笑い方は馬鹿にするようなものではなくて、まるで愛しくて仕方がないものを甘やかすように柔らかく笑うものだから、コラソンは何も言い返せなくなってしまう。とはいえ、何かを言う口は最初から自分で封じてしまったのだけれど。
はみ出た口紅を親指で拭われて、新しく綺麗な線が描かれていく。にんまりとした笑顔のメイクは、一人で出来ないわけじゃない。それでもお得意のドジっ子を発症してしまうと、いつものことですら上手くいかないのだから厄介だ。それを彼に見られて、「塗り直してあげるからおいで」と手招きをされたのが最初だった。それからコラソンはいつもメイクを失敗してしまう。鏡を見て、この唇に彼が触れたのだと意識すると、指先が滑ってがたがたと線がずれていくのだ。慣れたと思っていたのに。このくらいは一人でできると思っていたのに、キスをするように顎に手を添え、「口を少し開けて」と言う彼の唇を思い出すとダメだった。
それが3日も続いた時、彼は苦く笑って「朝はここにおいで」と自室に招いた。首を横に振っても「そんなんじゃカッコがつかないだろう」と言われてしまえばどうしようもなくて、結局コラソンは頷くしかなかったのだ。
朝は起きたら、顔を洗って彼の部屋へ行く。顔だけでなくシャツの襟まで濡らしたコラソンを笑ってタオルで拭いてくれる日もあれば、まだ眠っていて「あと5分だけ」とコラソンをベッドの中に誘う日もある。初めてキスをしたのは、メイク中に目をつぶっている時だった。唐突に、彼から唇を押し付けるようなキスされた。「ああ、ごめん、つい」。随分と軽い謝罪だった。コラソンは顔から火が出そうなほど熱くなってしまったというのに、彼からしたら「つい」で済ませるほど瑣末な出来事なのだと思わされて、思わず唇をかんでしまうほど悔しくなった。彼の唇にかすかに残った紅の色を見て、恥ずかしくてたまらなかった。
けれど、彼にとって瑣末なのはコラソンにキスをしたこと自体ではないのだとすぐに理解した。瑣末なことのように謝罪が軽かったのは、触れるだけのキスだったからだ。
翌日、塗ったばかりの口紅がぐちゃぐちゃに崩れるほどのキスをされて、「だめだ、我慢できなかった」と謝った彼の声は、昨日よりずっと深刻で、それでも止めてくれなかった。唇が食べられてしまうんじゃないかと思うくらい強引に貪られて、舌を吸われて、歯の裏側まで丹念に舐められた。
「…はは、これじゃあお前とキスしたってすぐ分かっちまうな」
いつもの柔らかい笑みは消え、意地悪く歪んだ口元を見せつけるように彼の指先がなぞる。口紅がべったりとくっついた彼のその唇を見て、コラソンはなにか伝えるよりも先に視線が釘付けになってしまった。いびつなルージュに汚された唇に興奮した。思わず顔を寄せたコラソンに、彼はまた苦く笑って、それでも予想していたかのように自然と受け入れたのだ。
それからというもの、コラソンはまたちゃんとメイクができなくなってしまった。せっかく綺麗に塗った口紅を、汚したくてたまらなくなってしまったのだ。全ては彼のせいなのだと、主張する口はまだ封じられたままである。