憧れの人と握手して、『もう一生手を洗わない』という奴がいるだろう。いや洗えよ汚ェな、とツッコミが入るのが定石なのだろうが、おれはそういう奴の気持ちが今なら理解出来るような気がした。体洗いたくない。出来れば一生。
昨晩、おれの所属する部隊が遠征を終え、マリンフォードに帰ってきた。船の補給と数日の休暇を前に、一仕事終えた開放感でそのまま飲みに行くのはままあることだ。それがいつもと少し違ったのは、部隊長であるモモンガ中将が珍しく参加したということだろうか。かのひとに強い憧れを抱き、まだ雑用見習いだった頃からモモンガ中将を目標に己を鍛え上げ、下に配属された時なんてあまりの僥倖に諸手を挙げて喜んだおれは彼に失望されたくなくてさらに勤勉を心がけた。来る日も来る日も真面目に仕事に取り組んでいたご褒美だというのか、滅多に飲み会には参加しないモモンガ中将が、偶然にもおれもたまには参加するかと乗ったところで「たまにはいい酒を飲ませてやる」と高級なお店に部下一同を誘ってくださったのだ。その心遣いに感動すると同時に、一緒に酒を酌み交わせるかもしれない可能性におれの心は震えた。緊張しすぎてはしゃぐどころか真顔になったくらいだ。アホっぽくやんややんやと盛り上がる同僚の中で微動だにしない男は目立ったのか、「やはり酒の席にまで上官がいると落ち着いて飲めないか」と気遣って下さったモモンガ中将は本当に真面目で尊敬に値する上司だと思う。「そんなことはありません、いつもお世話になっているのは我々の方なのに、そんなお気遣いをしていただくのは心苦しくて」と伝えたあと、しかしこれでは遠回しにモモンガ中将の言葉を肯定しているようにも取られないかと気付いて慌てて「でも、モモンガ中将と酒を飲めるのはとても嬉しいです」と付け加えた。その時のモモンガ中将の照れた顔、おれは一生忘れない。カメラを持っていなかったことが悔やまれるくらいだ。
酒の席では、不自然にならない程度にしかし確実に、モモンガ中将の隣をキープした。これは譲る気のなかったポジションだが、少しばかりの弊害が出たのも確かだ。
本来おれは酒に弱い体質ではないはずだが、恐れ多くもモモンガ中将に注いで頂いたグラス一杯のワインで酔っ払ってしまったのは極度の緊張と興奮によるせいだろうと思う。いい気分になって、いつもより口数も多くなってしまった。モモンガ中将を尊敬していること。その誠実で勤勉な姿勢に憧れていること。もっともっと強くなってモモンガ中将のようになりたいこと。ヒーローショーではしゃぐ子供のように熱く語ってしまって恥ずかしいことこの上ないのだが、隣に座っていたモモンガ中将は恥ずかしそうに、けれど嬉しそうに笑ってくれたので後悔はしていない。ただ、照れ隠しなのかがんがんグラスに酒を注がれてしまったので、おれの酔いはさらに深くなっていった。まあ要するに、おれが悪いのだ。いい歳して酒に飲まれるだなんて、自制心の塊であるモモンガ中将のようになるにはまだまだ程遠いらしい。
おれは、モモンガ中将が好きだ。
尊敬しているというのは嘘ではない。憧れも、目標も、モモンガ中将と出会った時から抱いてきた気持ちに偽りはない。しかし、それが純粋なものばかりで構成されているかと聞かれたら、違うと答えてしまうと嘘になる。
おれはモモンガ中将が好きだ。尊敬し、憧れて、目標にしているのと同時に、男が女に向けるような劣情も抱いている。
こんな感情は相手に失礼だと無理矢理殺そうとしても、夢精するのはいつだってモモンガ中将のあられもない姿を夢に見たときだけだったし、白兵戦の訓練で指導をされた時に触れた手のひらの感触でどうしようもなく興奮した。かといってモモンガ中将の下以外にはつくつもりもないおれは、ずっと生殺しの状態で働いてきた。悶々とする気持ちを抑えつけて、あくまでも真面目で勤勉な部下を装ってきた。
そう思って、おれはやらかした。
「…おはようございます」
「……おはよう」
おれの家の、おれのベッドの中で、モモンガ中将が寝ている。目を開けたので挨拶をすれば、返された挨拶は色っぽく掠れていておれの股間に直撃した。おねがいいまはおさまってくれおれのむすこよ。
昨晩、モモンガ中将によるお酌攻撃により酔っ払い過ぎてしまったおれは、しかし少々足元がぼんやりしてしまう程度で誰かの助けを借りないと帰れないというわけではなかった。足元も少しふわふわする程度で歩くには十分だったし、帰り道がわからなくなるほど頭がぼんやりしていたわけではない。おれより調子に乗って飲みすぎたアホどもなどいくらでもいたから、どちらかといえば介助が必要なのはそっちのほうだった。
しかしモモンガ中将は、帰り道も同じだし、普段自制をしっかりしているようなナマエに酔うまで飲ませたのは私だと言って、責任をもって家まで送ってくれるということになった。もちろんそこまで手間をかけるわけにはいかないと断ったのだが、押し切られては逆らうわけにもいかない。それに、まだ一緒にいられるのだと思うと、おれには強く断ることなんて出来るわけがないのだ。
仕事の話をしながら、ゆっくりと歩いておれの家まで歩く道程で、おれは浮かれてしまったのだと思う。あるいは、歩いて身体を動かしたことで酔いが回ったのだ。家に着き、玄関で「ゆっくり休め」と優しい声色で言って去ろうとしたモモンガ中将の腕を、おれは強引に掴んでドアの内側に引きずり込み「帰らないで」とねだってしまったのだ。
今までにない、そして最大の失態だった。欲が出たのだ。帰らせたくなくなってしまった。「さびしい、モモンガ中将、一緒に寝てください」と馬鹿みたいな懇願をしながら、冷静な頭の中では『あーこれは終わったな』と諦めてすらいた。怒られるか、呆れられるか、あるいは引かれるか。どっちにしたって良い反応は返ってこないだろう。酔いのせいだと誤魔化されてくれたらいいのだが、と全てをアルコールの責任にする算段をつけていたから、モモンガ中将に勢いよく押し倒されておれは受け身が取れずに思いっきり背中を玄関の床に打ち付けた。
「ナマエ」と熱っぽくおれを呼ぶモモンガ中将はおれの上に乗っかって、べろりと口を舐めてきたので、おれはこれは夢だと思った。あるいは、モモンガ中将も実は相当酔っ払っているのだと。だからおれは唇を食んでくるモモンガ中将の口の中に舌を突っ込んで舐め回し、服を脱がせながらさらに全身を舐め回し、そして半ば無理矢理ベッドに連れ込み犯してしまった。
そう、犯したのだ。上司を。酒の勢いに任せて、自分の思うままに。
嫌だと拒否されてしまわないように、モモンガ中将が何か言おうとする度にキスで塞いだ。痛みで酔いが覚めてしまわないよう、ひたすら気持ちよくなるよう手を尽くした。さすがに本番まではしていない。ただし素股まではしたので立派なレイプだ。訴えられたら確実におれは獄中行きである。そしてなによりも最悪なのが、おれはそれを無かったことにしようとしたのだ。
朝起きて、隣でまだ眠っているモモンガ中将を見た瞬間に、あれは夢でも妄想でもないのだと確信して血の気が引いたが、誠実に謝ってしまえば今後確実に遺恨を残すと判断したおれは無かったことにしようと決めた。昨晩好き勝手した後にせめてもの心遣いとして服を着せて後始末をしてから寝たおかげで、幸いなことにパッと見は単に男二人がぎゅうぎゅう詰めで一緒にベッドに寝ているというだけの図である。案の定、モモンガ中将が起きてから、何も無かったかのように「すいません、おれ、家についてからのこと何も覚えてなくて。モモンガ中将が介抱してくださったんでしょうか」とシラを切れば、モモンガ中将も戸惑ったような顔をして、けれど頷いてくれた。あれだけ好き勝手しながら本当に最低な話だと思うが、おれは心底ホッとした。これでギクシャクせずに、これからも一部下としてモモンガ中将に接することが出来るはずだと。
「ご迷惑おかけしてすいません。よかったら朝飯食べていってください。大したものは出せませんけど…」
「…ああ、そうだな、そうさせてもらおうか」
寝起きの無防備なモモンガ中将は破壊力が凄すぎて、必死でしずめているおれのむすこが本当にやばい。きっとモモンガ中将が帰ったあと、このベッドで無茶苦茶オナニーすることだろう。本当に最低だ。
けれどおれは昨晩の思い出を、一生の宝物にして生きていくことに決めた。これ以上は決して望まないので、モモンガ中将と触れ合った身体を洗いたくねェなァとか、シーツ変えたくねェなァとか、そのくらい思ってしまうのは許してください、神様。