「ヘルツさんはね、コラさんのモノなの。だけどまだモノにしてないんだってみんなが言ってた。どういう意味だろ」。 興味もなく、話半分に聞いていたベビー5の言葉を、唐突にローは理解した。つまり好き合っていたくせに、付き合ってはいなかったということだろう。ベビー5が誰に聞いたかは知らないが、どうやら周知の事実だったらしい。
お節介で世話焼きのヘルツと、注意力の足りないマヌケなコラソン。お互いの性質が合致して一緒にいることは多かったが、その関係性を深く考えたことはなかった。付き合っているだとか、片想いだとか、そんなことは当時のローにとって心底どうでも良かったからだ。彼が死んだとされる事故が起こったあとも、ふとした瞬間に誰かを探すような仕草やぼんやりと虚空を見つめるコラソンを見て『このクズでも悲しんでいるのか』と察しはしたが、それもすぐに日常の中へと消えていった。「早く治さないとな」とローの頭を撫でて治療法を探そうとしてくれる優しい人がくだらない事故で死んでしまったことは確かにローの心にも爪痕を残したが、だからと言って悲しんでいる余裕などなかったのだ。次に死ぬのは、自分の番だと思っていたのだから。
つい先日まで、ローは不治の病を患っていた。 『いた』。そう、過去形だ。今やそれも済んだ話である。完治までにはまだ少し時間がかかるものの、命の危険性がないくらいまで回復しているのが現状だ。 治るはずもない、あと3年程の命だと死に向き合ってた頃のローはひどく荒んでいて、どうせ死ぬならば病により自分を蔑んできた周囲の環境全てを破壊してから死にたいと願って幼いながらもマフィアの構成員にまでなった。暴力と金と略奪と、文字通り命を削りながら非道に走っていたローを止めたのはコラソンだ。ボスの弟で、子供嫌いで、よくローに暴力をふるっていたからローもコラソンのことは大嫌いだった。けれどローを救ったのは、確かにそのコラソンである。 実兄を裏切り、身を挺し、法を犯してまでローの病を治そうと尽力してくれた。どうして、と聞いても無駄なのはわかっている。彼には打算や策略などない。バカみたいにただ甘くて優しいだけの男に理由なんて聞いたって、そうすることが当たり前なのだと平然とした顔で言われるだけだ。暴力を振るっていた理由だって、悪の巣窟からローや他の子供達を追い出そうとしていただけだというのだから、あまりのお人好しに呆れてしまう。そんなことをしたって嫌われるばかりで、むしろローはコラソンを殺そうとまでしていたのに。
治療法を探して各地の病院を転々としていたとき、一度だけ聞いたことがある。「ヘルツは、コラソンが喋れること知ってたのか」。どうしてそのとき既に死んだ男の名前が出てきたのかは忘れてしまったが、馬鹿みたいに優しいお節介が記憶の中の男と被ったのだと思う。コラソンはその質問に少し驚いて、それから悲痛な顔で「言えなかった」とだけ呟いた。言いたかったんだろう。だが、言えるはずもない。彼はドフラミンゴファミリーにとって大嘘つきの裏切り者で、つまりドフラミンゴファミリーであったヘルツにとっても大嘘つきの裏切り者なのだから。 コラソンの正体がバレる前に死んでしまって良かったのかもしれないなんて思うローは、しかしドフラミンゴによる処刑で瀕死のコラソンを救った男がその死んだはずのヘルツだと分かった時に真逆のことを思った。生きていてくれてよかったなんて、ひどく現金なこと。
ドフラミンゴがコラソンを処刑し、鳴り響くパトカーのサイレンから去っていった直後に突如として現れたヘルツは、一部始終をどこかで見ていたかのように隠れていたローを探し当てて引っ張り出し、全身傷だらけのコラソンを抱えて車へと乗せた。不自由な片足では難儀なことだろうに、手早く迅速にコラソンを運ぶ様子はそれをカバーする力強さだった。 「どうして」と聞いても「あとで」と切り捨てられるだけ。「このままじゃコラさんが死んじまう」と泣いても「知ってる」と返されるだけ。「助けてくれ」と懇願しても「覚悟はしておけ」と突き放されるだけ。まるで別の人間のように冷たかったのは、彼もかなり焦っていたんだろう。冷静になった今ならわかるが、パニックに陥っていたローはずっと喚き散らしてヘルツを責めてしまった。 車が到着した先は薄暗い地下の施設だ。そこにはローの実家でも見たことがある医療器具がところ狭しと並んでいて、「待ってろ」とだけ言い残したヘルツの背中を最後に、ローの記憶は途絶えている。いつの間にか気絶していたのだ。極度の緊張状態が限界にきてそのまま意識を失ったローが目を覚ましたとき、全ては終わっていた。そこは最後に見た施設ではなくどこかのマンションの一室で、いくつかの部屋のうち一番広い部屋には包帯だらけのコラソンが眠っていて、ヘルツは真っ青な顔で「もう大丈夫だ」と笑ったのだ。「間に合わないかと思った」と声を震わせていたから、ローは安心して大泣きして、それから泣き疲れてまた眠った。
コラソンが警察だと知っていたこと。ドフラミンゴに殺される日がくると予測していたこと。それを救うために死んだふりをして、水面下で動いていたこと。 ヘルツは全て教えてくれた。事故車の中にいた死体はドフラミンゴの命令で殺す予定だったただの他人であることも、クリスマスにプレゼントしたものやアジトの家具に小さな盗聴器と発信機をつけて、今までファミリー全員の動向は筒抜けだったということまで。 「最後の最後で間に合わないかと思ったが、なんとかなって良かった」と笑った顔は記憶の中の優しい男と一致するのに、そのやり口は妙に回りくどくて陰湿だ。そしておそらく、ヘルツは、コラソンのこともドフラミンゴのことも、ましてファミリーの誰のことも信用してはいなかったということがわかった。 だってそうだろう。気付いていたならば直接コラソンに手を引くよう伝えるか、あるいはそんなに『ファミリー』が大事ならドフラミンゴに情状酌量を訴えたって良かった。後者は成功する確立が低いと踏んでも、前者ならばまだ窮地に陥る前に手を打つことも出来たはずだ。ローの目から見ても、ヘルツとコラソンは仲が良かった。面倒見の良いヘルツの一方的な厚意だとしても、ドジをフォローされていたコラソンの本来の性格を思えば、彼の忠告を無得に出来るはずがなかったのだ。 少し言葉を選んで伝えれば、彼が社会的に死ぬことも、またこんな風にこそこそと生きながら裏で手を回す面倒も無かったはずだ。考えうる限りで確実な方法を取りたかったのかもしれないが、どの手段よりもまず自分の存在を消すことを選んだヘルツはあまりにも一人で抱え込み過ぎている。 ファミリーを愛してやまないといった今までの言動が嘘ではないのであれば、そのファミリーを頼ることもなく、欺き、あまつさえストーカーのような真似をするのは異常だ。少なくともローは、愛用の帽子の縫い目の隙間から小さな盗聴器が出てきたとき、言葉に表しようのないおぞましさを感じてしまった。
どうして裏切り者であるコラソンの味方をしたのかと問えば「家族は守るべきだろう」と答え、それならどうしてもっと早く助けてくれなかったのかと問えば「若もコラソンも譲れないんだ。取り返しのつかないところまで行かないと、納得なんて出来ないだろう」と答えた。あまりにも献身的で冷静な答えは、まるで用意された作り物のように嘘くさい。 コラソンに伝えた「好き」もそうだ。感情で動いた男の告白にしては、あまりにも淡々として素っ気ないではないか。好きだと言って、好きだと返されて、その反応が「ふーん」の一言だなんて、コラソンの気持ちなどどうだっていいかのような態度にローの不信感はますます募った。全てが嘘だとは思えない。自分の安寧を潰し、回りくどいことをしてまでコラソンを救ってくれたのは事実だ。けれど全てが本当だとも思えないのは、まだ何か隠していることがあるように感じるからだった。
「言ってないことがあるだろ。ちがうか?」 「…お前は随分深読みして考えるなァ」
疑問をそのまま本人にぶつけるのは牽制のつもりだ。お前の企みはなんだと、カマをかけている。しかしとうのヘルツは動じるわけでもなく、頭のいい子だ、と褒めてローの頭を撫でようとしてくる。その大きな手のひらは、いつかの記憶の中、彼がまだファミリーの中で生きていたころと変わりない。だからローもその記憶の中のいつもどおりに彼の手を払い、「さわるな」と悪態をついた。コラソンを助けたついでだとしても、命を拾われ、世話になっている人間に対する態度ではない。可愛げがないと怒ったって当然だ。誰のおかげでこうして普通に暮らせると思っているのだと恩を振りかざしてもいい。けれど彼はそのどちらもせず、無言のまま手を引っ込めるだけだった。 ローにはその、人間らしさのない無感情な仕草がいやに引っかかる。ある種の恐ろしささえ感じると言ってもいい。まるでコラソンを好きだから守れるように動いたというのではなくて、コラソンを好きでいるということを理由にして動いているかのようではないか。
「…おれは、おれの言葉が大して力を持たないことを知っていただけだよ」
ドフラミンゴからも、幹部からも、信頼が厚かったくせにこんなことを言う。自分自身のことですら冷静に判断して強みも弱みも上手く扱っていた男の自己評価にしてはあまりにも過小だ。 ローだってなにも、難しく考えたいわけではない。ただ疑ってしまうだけだ。信じても人は救われないと知っている。バカみたいにお人好しのコラソンが信じてバカを見る前に、世界の汚いものを見てきたローが警戒しなくてはならないのだ。 見返りを求めない好意など薄気味悪くて気持ちが悪い。本当はまだドフラミンゴと繋がっていて、今にもコラソンを殺しに来るんじゃないかと、ローは恐ろしいことばかり考えている。
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