コラソン長編 | ナノ


朝の匂い。瞼をさす日の光。コラソンが柔らかいベッドの上に身を沈ませていると、ドアの向こうから杖をつく音が聞こえる。床を叩く硬質な足音と、左の爪先を引きずる音も。
ノックは2回。返事は出来ないと知っているから、きっかり10秒待ってから彼は入ってくる。「コラソン、朝食の時間だ」。呼びかける声は淡々としているのに、呼びかけても反応を示さないコラソンを揺さぶる手は幼子に対する母親のように優しい。「起きてくれ、食いっぱぐれるぞ」。ベッドリネンに絡まるようにして眠るコラソンの背中に腕を差し入れ、上半身を起こして緩やかなウェーブを描く寝癖を撫でつけて直すまでがワンセットだ。
彼の部屋はコラソンの隣で、朝起きると自分の身支度を整えてから、食堂に行く前にコラソンのことも起こしにきてくれる。最初はノックをするだけだった。それからコラソンが部屋から出てくるまで待っていてくれるようになり、そのうち部屋の中に入ってきて、最終的には直接ベッドから起こして着替えまで手伝ってくれるようになった。片足で器用に身体を支え、静かにコラソンのシャツのボタンを留める彼に、いつか亡くした母を思い出した。よくボタンを掛け違えていたコラソンは、穏やかに笑う母にいつも直してもらっていた。彼を母の代わりにしていたわけではないけれど、そんなお節介は必要ないと拒絶できなかったのはそのせいかもしれない。このファミリー全てに気を張っていなくてはならなかったコラソンは、なにか意図があって近付いてきているのではないかと疑ってしまうくらい、わざとらしいほど優しい人だった。
しかし今ならわかる。それが単なる邪推だと。彼は馬鹿みたいに優しくて誠実で真摯なだけだ。愛した『家族』の力になるなら、どんなことだって世話を焼いてくれる。今日ももうすぐ、杖をつく音が聞こえてくるだろう。そうしてノックは2回。10秒経ったら、部屋に入ってくる。「コラソン、朝食の時間だ」。慣れ親しんだ声。もしかしたらそのうち、ノックさえもなく、気軽に入ってくるようになるのかもしれない。距離感が近づいていく。『家族』の気安さで彼はコラソンに接してくる。コラソンの正体を知らないまま。

「起きてくれ、食いっぱぐれるぞ」

そんな夢を見た。日常の続きを過ごす夢。




「コラさん、ご飯です    あれ?」

こんこん、とやや大きめのノックが聞こえてきて、すぐに小さな頭がドアから覗き込む。大きなリボンを乗せたそれはベビー5だ。大方、ドフラミンゴにでも「起こしてこい」と頼まれたのだろう。相手はいじめっ子のコラソンといえど、頼みごとをされればどんなことでも喜んで頷く彼女のことだ、意気込んでコラソンの部屋のドアをノックしただろうに、覗いてみれば寝ているどころか身支度まで済んでいる状態に肩透かしを食らったようだった。
首を傾げて「誰か先に起こしてたのかな?」とひとりごちる彼女に、コラソンは大股で近付いて大きな手で首根っこを掴み、放り投げるように追い出してドアを乱暴に閉めた。勝手に入ってくるなという態度。幼く不憫な環境で育った少女には申し訳ないが、コラソンは『子供嫌い』でなくてはならないのだ。どうしても。

コラソンは嘘ばかりついている。本当は子供にひどいことをしたくはないし、本当は声だって出すことが出来る。いつか、彼にだけは真実を話したいと思っていた。今までだって、何度も話したくなってしまった。彼は誠実だ。そしてとても真摯だ。自分を厳しい境遇から救ってくれたドフラミンゴを心から尊敬してはいるが、無関係の人々が傷つくことに心を痛めていたことも知っていた。もしかしたら全てを話せば協力してくれるのではないかと思ったことも一度や二度ではない。しかし嘘だらけのコラソンには、どうしたってその度胸はなかった。子供嫌いや声だけの話ではない。コラソンはたくさんの嘘をつきすぎてしまった。
本当は一人で起きられることも、ドジをやらかしても一人で収拾をつけられることも、本当は警察で、ドフラミンゴの暴走を止めるために潜入していることも。彼が他の『家族』同様コラソンを真摯に慈しんでいたのに対して、コラソンはあまりにも不誠実すぎた。

甘えていたのだ。嫌われたくなかった。裏切り者として、彼に敵意を向けられるのが恐ろしかった。全てを覚悟して来たつもりのコラソンに、彼だけが想定外の存在だった。

    けれど今はもうそんな心配もない。

足の不自由な男は死んだ。
コラソンの罪悪感は、彼が一緒に連れていってしまった。

彼がいなくなったことはとても悲しいのに、少しだけ安堵している自分がいる。それがなによりも悲しかった。


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