コラソン長編 | ナノ


昔の話。あるいは、どこか違う世界での話。

海賊だった男がいた。陽気でおしゃべりで快活で、大切な『家族』を守るためなら死んでもいいとさえ思っている男だった。バンドリンを掻き鳴らしながら二本の足でくるくると踊り、酔っ払う度に「お前ら大好きだよ」と仲間たちの頬に笑いながらキスをして。楽しく毎日を過ごす日々の中で、海賊のふりをした海兵に恋をしてしまった。もちろんそれは、海兵という正体を知らないがゆえの恋だ。
どこがいいかと聞かれたらよくわからない。ボスの実の弟だというのにひどく間が抜けていて、転んだり火傷したりといつだってせわしい男だった。声を失い、子供を嫌い、暴力を躊躇わないくせに傷だらけの身体を哀れに思ったのかもしれない。目の前で転ばれたり火傷をしたりする姿を見て、やれやれと呆れながらもフォローしてやるのがいつしか当然になっていた。怪我をすれば手当てをして、転びそうになったら背中を支えてやって。けれどそれはまだ『好意』ではなく『厚意』だったはずだ。かわいい人だなと思ってはいたけれど、焦がれたことは無かった。自分のものにしたいと思ったことも。彼が病気の子供を連れて治療法を探しに出たと知っても、またドジをして遭難でもしやしないかと心配した程度で、後を追おうとは微塵も思わなかったくらいだ。すぐに戻ってくると思っていた。医者に診せてもまともな治療法がないことは知っていた。1ヶ月もすればまた二人とも戻ってきて、いつもどおりに過ごせると信じて疑わなかったのだ。彼の世界の中心は、いつだって確かに『ファミリー』だった。

海賊だった男は、8歳の頃まで血の繋がった家族がいた。父と母と、弟が二人、妹が三人。大家族の長男に生まれた彼は、幼い弟や妹達の世話に手を焼いてはたが、兄弟全員仲良く幸せに暮らしていた。海賊に人生を狂わされてしまうまでは。
住んでいた島に突如として上陸し、町を蹂躙しようと暴力を振るった海賊は家族を守ろうと立ち向かった両親を殺し、幼い弟や妹たちを攫っていった。常駐していたはずの海軍は、圧倒的な力の差に怯えて逃げ出す体たらく。家族を返してくれと懇願すると、「お前が弟たちの分も働くなら」と海賊は交換条件を出したが、どれだけ雑用をこなしても、殺したいほど憎い海賊たちに媚びへつらっても、家族が返ってくることはなかった。攫われた弟や妹たちは、もうとっくに売り払われてしまっていたのだから。

過酷な状況から拾ってくれたボスと、それを支える最高幹部、似たような境遇の幹部達。2つめの『家族』と過ごすうち、海賊だった男は本来の明るい性格を取り戻していったが、その時の絶望と屈辱を一生忘れることはなかった。
『ファミリー』は好きだけれど、海賊は嫌いだ。役立たずな海軍も嫌い。けれど一番嫌いなのは、大事な家族を守ることも出来ない無力な自分自身だった。
憎しみを糧に力をつけた。もう『家族』を無くしたくないと『ファミリー』に固執し、愛情を惜しみなく捧げ、誰一人として欠けてしまうことがないように尽力した。悪いこともひどいこともしたくはなかったけれど、ファミリーのためなら躊躇いはなかった。
毎日が楽しかった。幸せだった。特に自分より小さな子供達を見ていると、もう取り戻せない弟や妹を思い返して過剰なほどに可愛がった。この『ファミリー』の誰か一人でも傷つくのなら、代わりに自分が死んでもいいとすら思っていた。

だから、海賊のふりをした海兵の男の裏切りを知った時には、怒りよりも先に悲しくなった。「どうして」と嘆いて唖然とした。
彼は海賊だった男の過去を知っていたはずだ。知っていてなおも裏切った。あんなに一緒にいたのに、『家族』を奪おうとしていたのだ。許せるだろうか。許せるはずもない。もう一度『家族』を失うくらいなら、誰だって殺すのだと自分自身に誓ったのだ。例えそれが『家族』だった者だとしても。

けれど結局、海賊だった男は、海賊のふりをした海兵の男に怒りをぶつけることは出来なかった。『家族』だったからというわけではない。怒りに任せて足を振り上げた瞬間、思い出してしまったのだ。怪我を手当てしてやると礼を言うように服の裾を引く指先。転びそうな身体を支えてやると恥ずかしそうに赤らむ頬。海賊と海軍を恨む過去を話した時に、何かを言いたそうに小さく震えた唇。走馬灯のように頭の中を駆け巡り、唐突に理解した。例え『家族』を裏切っていたただの『他人』だったとしても、殺したいと思えない理由。自分は彼のことが好きなのだと。理屈ではなく直感で理解した恋情は、もはやどこにも行き場がなくなってから自覚してしまったのだからあまりの悲劇に笑ってしまう。恋をした人は自分を裏切り、あまつさえ処刑寸前だなんて。今更気付いたところで密やかに逃がしてやることも出来やしない。

「殺さなくても、いいんじゃないか」。今にも鉛を撃ち込もうとしたボスの前に立つと、何を馬鹿なことをと責めるのは処刑される人間以外の全てだった。「兄弟なんだ、喧嘩くらいするだろう。仲直りすればいいじゃないか」それでもなお言い募ると、その鉛は海賊だった男の左足を掠めて戒めた。「お前もおれを裏切るか?」。軽い叱責のつもりだったのかもしれない。少し脅しつけて、撤回を促しただけだったのかもしれない。けれど海賊のふりをした海兵の男がその戒めに過剰に反応したものだから、海賊だった男も結局『裏切り者』とみなされてしまった。「お前も海軍の回し者だったのか?」と左足は切り落とされ、動けなくなったところを鉛玉が身体に撃ち込まれた。
だらだらと流れる血で雪を汚しながら、海賊のふりをした海兵の男が処刑されるのを、海賊だった男はただ眺めていることしか出来なかった。涙が溢れて止まらなかった。
悲しかったのは自分が殺されることじゃない。裏切られたこと。信じてもらえなかったこと。『家族』が『家族』を殺すこと。

まただ。また海兵に裏切られた。海賊に奪われた。それでも誰も恨む気がしないのは、海賊も海兵も『家族』で、愛しい記憶が頭の中にこびりついているせいだろう。ただ無力な自分が、なによりも許せなかった。

雪の降り積もる寒さと失われていく感覚に震えながら、海賊だった男はその生涯を終えた。大切な『家族』一人も守ることの出来ないクズのような人生だった。後悔ばかりだった。これが悪い夢ならと、もう一度最初からやり直せたらと、強く強く神に願いながら死んだ。


これは昔の話。あるいは、どこか違う世界での話。
コラソンとローは知らなくていい、どこかの誰かの話。


「大丈夫、今度は絶対に失敗しないから」

    二度ぬ男の話。


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