洗濯をすれば衣服を縮ませてしまい、掃除をすれば大概なにかを壊す。買い物をしてこようにも外にはまだ出てはいけないと言われているし、料理は言わずもがな。 この一週間、コラソンがした家事といえばヘルツとローが作った食事の味見くらいだ。果たしてそれは家事と言えるだろうか。言えるはずもない。今までデリバリーや業者に任せるかやらずに放っておいた家事を行なうことでローとヘルツの共同作業が増え、徐々にその溝を無くしていっているのはコラソンの目論見通りとも言えるのだが、その共同作業の中にコラソン自身が入っていないのは完全に想定外だ。確かにあまり器用ではないし、注意力の足りない部分が邪魔をして時には惨事を起こしてしまうが、コラソンとてれっきとした成人だ。「おれもなにか手伝うぞ!」と声をかけて「じゃあそこらへんでリハビリでもしてなさい」と、まるで何にでも手を出したがる幼子に対するようにはぐらかされるのは如何なものか。もう身体は随分と良くなっているし、一人でやる筋トレももう飽きた。なにより、羨ましくなってしまう。生来器用で努力家らしいローは家事でさえもすぐさま上達して、簡単な朝食くらいならば一人で作れるようになった。綺麗に焦げ目のついた焼き魚やだしのきいた味噌汁、ふっくらと炊けた白米が並んだテーブルを見て、「すごいな」と嬉しそうに目元を緩ませたヘルツの表情が焼きついて離れない。おれも褒められたい、だなんて子供のようなことは言わないが、命を救われた挙句に養われている現状、何か役に立ちたいと思うのも確かだ。 「うまくいかねェなァ」と落胆の声で呟いたコラソンに、洗濯物を畳んでいたローは「…仕方ねェだろ」と慰めの言葉を吐いた。その小さな手は確かにまだ子供の手なのに、同じように洗濯物を畳んでいたコラソンよりも余程美しく衣類を整えて並べることが出来る。ローの畳んだものがアパレルショップで並べても遜色ないものと例えられるならば、コラソンの手をつけたものは差し詰めワゴンセールで無造作に広げられた後に戻された残骸だ。ローにならい同じ手順を踏んでいるはずなのにどうしてもバランスが崩れてしまい、納得がいかなくて何度もやり直しているうちに皺だらけになってしまった。
「…ヘルツも、タオルは綺麗に畳めるけどシャツとか適当だしな…おれだって暇だからやってるだけだし、ムキになんなくてもいいんじゃねェの」 「ローお前…いい子だなァ…」 「…バカじゃねェの」
少し照れたように頬を赤らめたローは、きっとヘルツの目から見てもかわいいことだろう。足の不自由なヘルツにとっては些細な家事も容易なことではない。面倒で放っておいたことを率先して行ってくれる存在は貴重なはずだ。だからこそコラソンもヘルツのためなることを探したいのだが、大概のことはドジっ子のコラソンよりも幼いローの方が上手くこなしてしまうのが現状である。誰かが襲ってくればもちろん立派な戦力になる自信はあるのだが、このオートロックのマンションでは襲ってくる敵など皆無に等しい。ようは、コラソンは単なるタダ飯食らいの役立たずということだ。これは辛い。
自分に出来ること。ローには出来ないこと。ヘルツが喜んでくれること。頭をひねって記憶の中を探り、そうして閃くように思い当たった可能性に、「ハッ!」と叫んで、そのまま思わず頭を抱えてうずくまった。
「…おいなんだよ、コラさん?熱でもあるのか?耳が赤ェ…おい、コラさん?」
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