コラソン長編 | ナノ


妙にギクシャクとしていて、居心地が悪い。

ヘルツに命を拾われてから、約一ヶ月が経った。死にかけた身体はまだ完治こそしないものの、部屋の中を歩き回れるくらいまでには回復し、食事も流動食から固形物に変えても問題がなくなっている。定期的に診察に来てくれる年老いた医師はコラソンを命を助ける手術にも一役買ってくれたらしいが、明らかに暴行されたとわかるコラソンとローを診ても平然としていたところを見るに彼もまたろくな身分ではないのだろう。だがまともな病院に行ったところで、困るのはコラソンとローも同じだ。ファミリーからはもちろん、警察からも逃げなくてはいけない立場になってしまった。
あの日の翌日の新聞には一人の成人男性の殺人事件と警察による子供の保護が小さな記事で載っていて、「これでわざわざ探されることはないだろう」とコラソンとローを安心させるように笑ったヘルツにはきっと一生頭が上がらない。いつか借りを返さなくては、と思うものの、全ての後ろ盾を無くした今は態勢を立て直すので精一杯だ。なによりコラソンは、ヘルツにどう接したらいいのか未だに分からずにいる。

一ヶ月前、好きだと言われて好きだと返して、告白まがいの会話を交わしたのにも関わらず、これといった進展があるわけではない。むしろあれは冗談か建前の類だったのだろうかとすら今では思っている。そうでなければ、裏切られても好きなくらい盲目になった相手から好きだと気持ちを返されて「ふーん」の一言で済ませる反応があるだろうか。コラソンならば間違いなく浮かれてしまう。事実、好きだと言われてすぐさま浮かれた。それが悪かったのだろうか。裏切っていたくせに調子のいいやつだと思われたのだろうか。それとも、ヘルツの機嫌を損ねないように話を合わせただけだと思われたのだろうか。それとも、それとも。
考えうる限りの可能性を並べてみても、結局正解はヘルツしか知らないのだ。聞くしかないのは分かっているけれど、コラソンの容態を見に来たり食事を持ってきてくれたり現状の説明をしてくれるヘルツはあれ以来さっぱりそういった素振りを見せない。コラソンは話しかけるだけで口ごもって顔が赤くなって目が合わせられないというのに、それすらも無視しているのか気付いていないのか何も触れてはこなかった。
ローはローで、「なにか企んでいるんじゃないか」という。確かにそうなのかもしれない。違うのかもしれない。けれどこの一ヶ月、コラソンの傷やローの病が癒えていく以外の変化など何もなかった。停滞した日々を、戸惑いながらただ甘受している。

だだっ広い部屋にベッドが二つ、テーブルがひとつ、子供用の椅子と通常サイズの椅子がひとつずつ。コラソンとローのために用意された部屋は日に日に物が増えて、代わりにところ狭しと並べられていた医療器具が減っていった。トイレとシャワー以外は部屋から出る必要がないのでほとんど引きこもって過ごしているが、不便はまるで感じない。
ヘルツは自分の部屋に篭っていることが多く、顔を合わす時間は一日のうちほんのわずかだ。歩き回れるようになってリビングまで出てみたが、3人の人間が住んでいるはずの家はコラソンとローが暮らす部屋以外がらんとして生活感がなかった。食事はいつもデリバリーで、キッチンには食器のひとつもない。「自炊しないのか?」と聞いたコラソンに、「したいなら食材と食器は用意しておくが」と返したヘルツは、ファミリーから姿を消したこの一年間、どうやって過ごしていたのだろうか。不自由な片足で家事がやりにくいのはコラソンにもわかる。それよりも、この広い部屋でたった一人で過ごしていたのかと思うと、コラソンの良心には罪悪感が突き刺さるのだ。
多くを語るような男ではなかった。感情の振り幅も少なく、無表情で佇んでいることも多かった。けれど無愛想だと感じなかったのは、ファミリーと過ごしているときのふとした表情がいつも柔らかく、声も穏やかで幸せそうだったからだろう。実際、コラソンの記憶には笑っているヘルツの顔しか残っていなかった。
丸一日かかる任務から帰ってくると「一人で食事をするのは味気なくて嫌だね」と言って、必ず誰かを捕まえて食事し直していたヘルツがずっとこの一年間ファミリーから離れて一人でデリバリーの食事を食べていたのかと思うと泣きそうになる。誰かと囲む食卓を、彼とて好きで放棄したわけではないのに。


「よし、ロー、飯作るぞ」
「は?なんだよいきなり…」
「ヘルツも呼んで、三人で食べよう」

コラソンの提案に少し戸惑う顔をするローが、まだヘルツを疑っていることを知っている。そしてそれを察して、ヘルツがなるべくローとコラソンを二人きりにしてくれていることも。それはコラソンにとって悲しいことだ。彼が今、どんな気持ちでコラソンを見ているかはわからない。本当に恋なのかもしれないし、あるいは別の思惑があるのかもしれない。
けれどそれがどんな感情であろうと、これ以上コラソンが彼を孤独にしていい理由にはならないのだ。

「みんなで一緒に過ごそう。大丈夫、きっと分かり合えるさ」

ローを安心させるように笑って伝えた言葉は、コラソンの願望でもあったけれど。


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