負けず嫌いっていうのは要するに引き際を知らないってことだ。ひたすら我慢して歯を食いしばって立ち向かうのは、その結果が勝利で終われば格好がつくだろうけれど敗北に終われば単なる骨折り損だ。おれは妥協の強みを知っている。必要以上に失うことがないように敗北を認め、潔く負けを受け入れることで得るものだってあるのだと知っている。そうやって生きてきたおれをクロコダイルは「情けねェ野郎だ」と罵るけれど、おれにとっちゃあ頭がいいくせに変なところで意地を張って引き際を誤るクロコダイルこそ馬鹿な野郎だと思う。しかしそのおかげでこんな偏屈な男をいいように扱えるのだから、おれは決して本心を口にはしないけれど。
ふう、ふう、と噛み締めた口から苦しそうに息を漏らし、クロコダイルは枕に額を押し付けて耐えている。最初に彼とセックスをしたとき、乳首を触ってもなんの反応もなかったのがちょっとつまらなくて執拗に弄った結果だ。クロコダイルは「テメェなんぞのテクニックでどうにかなるもんかよ」と言ったので、おれは「そんなことねェよ」と拗ねたふりでしつこくセックスの度に弄りまわしていた。指の腹で擦り、爪をすこし食い込ませて、つねるように引っ張る。作業自体は単純なことだけれど、たとえば他の性感帯と一緒に弄ってみると条件反射のように体が快楽を覚えていった。案の定、3回目4回目くらいには「懲りねェ野郎だ」と嘲笑っていたクロコダイルも、それから何度も何度も繰り返していけば徐々に変化が出てくる。誤魔化すように鬱陶しいからやめろと言われても「おれのテクニックじゃどうにもならないんだろ、お遊びだと思ってちょっと付き合えよ」とわざと挑発的に言えば負けず嫌いの彼が受けて立つのは目に見えていた。負けず嫌いというのは不便なことだ。自分の発言を撤回出来もしない。乳首を何度も弄られて感じるようになってきたからやめてほしいと言えばおれだって焦らすように乳首ばっかり弄らないで、きちんとクロコダイルがちゃんと感じるところを触って気持ちよくしてやるというのに。
クロコダイルにとっては、きっと今が一番辛いだろう。気持ちよくはなれるけれど、達するほどの刺激はない。けれど乳首しか弄られていないのに、我慢出来なくなったというのは彼のプライドが許さない。かわいそうなことだ。クロコダイルが乳首で感じるようになったと認めるか、乳首でイけるくらいまで敏感に育つまでこの責め苦は続くのだから、本当に、負けず嫌いとは馬鹿でかわいそうなことだ。