500000 | ナノ


※netaのこれでまだ慣れてない頃



不意打ちで掠めるようにキスをされて、サカズキはどういった顔をすればいいのかわからない。キスならば慣れたものだ。仕事ばかりで女性経験の少ないサカズキでも、嫌がらせとしてなまえは以前から何度も隙をついて唇を奪ってきた。その時のサカズキの反応は簡単だ。とても嫌そうに顔を歪めて唇を拭うか、何事もなかったかのように無視をする、その二択しかない。
最初は男にキスをされるなどひどく気持ち悪くて逐一律儀に怒っていたものだが、それこそがなまえの目的なのだと理解してからは極力感情を抑えるようにした。結果、さらにエスカレートするはめになってしまったのだが、人間とは慣れるものだ。キスをされても、尻や胸を揉みしだかれても、服を脱がされても、さして嫌悪を抱かないようになってしまった。だからこそ一線を越える事態にも陥ったのだが、今となっては後悔もしていない。というよりも、今となっては後悔の感情が抱けないというのが本当のところだ。

白ひげ海賊団との戦争、そして青雉の海軍離脱と、それに伴うサカズキの元帥就任。この数年で大きな変化が多々あったが、なまえのこともそのひとつに入るだろう。
なまえは豹変した。命を脅かすような恐怖や緊張感が大好きで、それを味わうためならば手段を選ばず、狂ったようにげらげらと笑い、敵からも味方からも『頭がおかしい』と評されていたなまえは、サカズキが元帥に就任した頃を境に憑き物が落ちたかのように人が変わった。何をきっかけにしたのかはわからない。つまらなくなった、となまえは言う。白ひげとの戦争の際には怒号や銃声に負けないほど耳障りな笑い声を轟かせていたくせに、何十年と飽きずにサカズキに絡んできたくせに、今更になってあっさりと興味を無くしてしまう彼の精神構造は理解が出来ない。
飄々とした態度で辞職届を出してきた時は、久々に本当に殺してやろうかと思ったほど腹が立ったが、なのに彼は淡々と「ごめんな」と言うだけで、喜んだりはしなかった。それは正常な状態のはずだ。しかし人として異常ななまえが正常だというならば、それこそが異常な事態なのである。
サカズキは戸惑った末、今の海軍の体制が整うまで、という契約でなまえを引き留めることにした。頭がおかしくても、今が異常な状態だとしても、彼の実力が折り紙つきであるという事実はサカズキが一番よくわかっているからだ。そしてなまえも、その契約に頷いた。「今まで散々楽しませてもらったしな。今度はおれがお前に付き合うよ」と薄く微笑んだなまえの顔は、異様なほどまともな人間の顔だった。

恐怖や緊張感で遊び、楽しくて仕方がないとばかりにげらげらと笑うことをしなくなったなまえは、今まで隠れていたストイックなまでの欲のなさが浮き彫りになった。機械的に海賊討伐を行うばかりの生活で、彼は必要最低限の休息と食事しか摂取しない。娯楽がなくなった分、充実しない日々にやつれていったようにも見えた。
悪い人間が良いことをすると、良い人間が同じことをするよりも善人に見えるように、頭がおかしい人間が正常なことをすると、ひどく際立って聖人のように見える。仕事一筋になってしまったなまえを心配する輩は多かったが、彼は頑として自分の姿勢を変えなかった。やっていることは基本的に以前と変わりないからだ。
暴力や罠を使って海賊を拘束し、殺処分あるいはインペルダウンに送りこむ。報告書を見ると、サカズキも以前くらったことがある手立てを使っているようだが、決定的に違うのは、殺さず怒らせる目的で手加減をしていたことが、今は確実に殺すつもりで一網打尽にするための策略を容赦なく施行することだ。
昔のなまえは得体がしれなくて怖かったが、今のなまえは人を人とも思っていないようで恐ろしい、と誰かは言う。それも今更な話だ。サカズキだって、なまえに人として見られていなかった。サカズキはなまえにとって、玩具でしかなかったのだ。「つまらない」と言って急に捨てることも躊躇わないほどの、どうでもいい玩具だ。

海軍の体制も整ってきた頃、契約通りそろそろ辞めるような素振りを出していたなまえはサカズキの自宅に転がりこんできた。どうやら白ひげとの戦争の際に自宅が壊れたまま現在まで、船内や仮眠室で生活をしてきたらしい。少し落ち着いて今後を考えるには休める場所が必要だろうと、ボルサリーノがサカズキになまえを押し付けた。いつものことだ。周囲がなまえの扱いに困ると、必ずサカズキは押し付けられて割を食う。嫌々ながら相手をしてきたけれど、今回ばかりは勝手が違った。今のなまえは、サカズキの知らないなまえだ。サカズキと会ったところで挑発してくるわけでもなく、ただ淡々と仕事をこなし、まともな海兵の顔になったなまえのことなどサカズキは知らない。
なまえが家にいて、サカズキが仕事をしている間、もしや勝手にトラップでも仕掛けていないかと毎日定時に帰宅していたが、思えばそれは願望だったのだ。今のなまえはいつもの企みのひとつで、サカズキが油断した途端元に戻るのではないかと。あれだけ疎ましく思っていたはずのキチガイを、切望していたサカズキもいつの間にかなまえに毒されて頭がおかしくなっていたのだろう。そして毎日、「おかえり」と穏やかに微笑むなまえに、場違いな虚無感を抱くのだった。

それでも人間は、慣れる生き物だ。まともななまえに触れ、彼が用意した温かい食事や清潔な衣類、使い勝手のいい資料を与えられていると、それが当たり前になってしまって、今度はサカズキが自らなまえを手元に置いておくことに決めた。
ここにいろ、とプロポーズ紛いな言葉で伝えた時、なまえは「馬鹿だなァ」と言って笑った。「せっかくおれから離れられるチャンスなのに」と自分勝手なことを言って、それでも彼は彼の意思で、サカズキの手元に残ることを決めたようだった。

それから、サカズキは概ねまともで、少し頭がおかしいなまえと一緒に暮らしている。二人でゆっくり出来る時間は少ないが、なまえが海軍本部にいる時は今までの嫌がらせの反動かのようにサカズキを甘やかした。自分の家だというのに、今ではなまえの方が詳しいくらいだ。爪切りの場所も、冷蔵庫の中身も、消耗品のストックも、サカズキは知らないがなまえは把握している。溜まりに溜まっていた有給も、サカズキの休暇に合わせて少しずつ消化しているようだ。遠征に出ていたって同じこと。サカズキのために、仕事を早々に終わらせて帰ってくる。
サカズキが家につくと、大抵なまえが出迎えてくれた。あまり表情を変えることがなくなってしまった顔が「おかえり」という時は微笑んで、サカズキのコートを預かり、飯か風呂かと聞いてくる姿は完璧な良妻の様相だ。まだ違和感が拭えないサカズキがなんとも言えなくなって口を噤んでしまうと、なまえは話せるようになる魔法をかけるかのごとく軽くキスをしてくる。柔らかな愛情を伝えるかのような口付けは、未だに慣れない。
なまえはいつだって前触れもなく、愛を囁いてサカズキの体に手を伸ばす。頭を撫でたり、掠めるようにキスをしたり、ただじっと目を見られたり。なまえは何か求めているわけではないのだろう。ただ与えているだけだ。だからサカズキは、どう反応すればいいのかわからなくなる。
今までならば、嫌そうに顔を歪めて、唇を拭う。あるいは、無関心を貫くだけだ。今はそうもいかない。嫌なわけでも、無関心なわけでもないのだ。ただどう反応すればいいのか戸惑って、どこを見たら良いのかもわからず途方に暮れる。キスもペッティングも幾度となく繰り返してきたくせ、今更顔を真っ赤にして目を泳がせるサカズキに、なまえは「かわいい」と言って笑うのだ。かわいいものか。五十を過ぎた男がやっても気色悪い仕種だとはわかっているが、なまえは真っ直ぐにサカズキを見るので隠しようがなかった。
能力が抑えられないほどの羞恥に襲われ、体温が上昇し体をどろりとマグマに変えたサカズキから、なまえは「あちィ」と漏らして一歩遠ざかる。しかし離れてしまうわけではない。近くにはいる。この中途半端な距離も、サカズキは苦手だ。べったりとくっつく時は、身の危険を感じれば海楼石を使ってでも能力を封じてきたのに、今のなまえは無理強いをしない。サカズキのマグマから全力で逃げていくわけでもない。ただそこに佇む存在は、サカズキにとってはなまえが唯一だ。なまえは昔からサカズキを遠ざけない。短所であるはずの苛烈な性格を肯定し、傍にいたがる。
いつかクザンに言われた「お前らお似合いだよ」の言葉は、その時サカズキにとって侮辱でしかなかったが、今は理解が出来る。サカズキに軽々しく触れるのはなまえだけで、なまえのスリル狂いに付き合えたのもサカズキだけだ。何十年と繰り返してきた攻防があって今を過ごしている。なまえが最初からこうならば、サカズキに興味を持ちやしないだろう。サカズキだってそうだ。どれだけ彼がサカズキと対等な力を持っていたとしても、友人になっていたかどうかすら怪しい。

「…サカちゃん、どうした?疲れた?ぼーっとしてる」
「…何もありゃあせん」

ようやくマグマが元の素肌に戻ったサカズキの頬に、ひたりとなまえの冷たい手が触れる。ついでのようにキスをしてくるものだからまた体温が上がってしまうのだが、今度はマグマに変わる前に手を引かれて食卓に案内された。鍋から皿に移された肉じゃが、青菜のおひたし、味噌汁、そして白米。サカズキがリクエストした夕飯の献立は、初めて作っただろうに手慣れたような形で膳に並ぶ。性根が完璧主義で目的のためには努力を惜しまないこの男は、今までろくにやったことがないという料理もすぐに上達した。サカズキのためにだ。なまえ自身は食事にすら興味がなく、サカズキと共に食わなければ一日一食すら怪しいという。それはまるでサカズキが、なまえの生殺与奪をも握っているかのような感覚だ。

「先に飯食っちまおう。んで、食ったら風呂入って寝ちまいな」
「…疲れちょるわけじゃありゃせん」
「いいからたまには早めに寝ろって」
「…お前も寝るんか」
「お前書類仕事持ち帰ってきたろ。朝までにまとめといてやるよ」
「お前が寝んなら、わしも寝ん」

以前ならば口が裂けても言わなかったような、甘えにも似た欲求をサカズキが口にすると、なまえは複雑な感情を浮かべる。憐れむような、悔いるような、あまり良くはない表情を見るのは初めてではない。サカズキとなまえの関係が改められてからは、しばしば目についた。その顔の意味はどれだけ問い質してもとぼけられてしまうので、おそらくサカズキに伝えるつもりはないのだろう。どれだけまともになったとしても、なまえはやはりどこか少し頭のネジが外れている。突飛な言動を平気で行うし、よくわからない理論を展開して強引に事を進めていく。だからサカズキが理解出来ない範疇は、きっと知らなくていいのだ。今のなまえは、サカズキが望む全てを与えてくれる。だからなまえが与えないものは、サカズキが望まないものだ。そう思うことにした。

「…サカちゃんって、思ったより甘えんぼさんね」
「やかましい」
「そんな真っ赤な顔で睨んだって恐くありまっせーん」
「やかましい!」
「んはは、ごめんごめん。わかった、うん、一緒に寝よう」
「…別に一緒に寝たいわけじゃありゃあせんわい。寝ちょる間に動かれると気障りなだけじゃ」
「それ先に言わないと、言い訳っぽいよ」
「やかましい!」

んはは、とまた声を出して笑ったなまえは、もうげらげらと笑わない。柔らかく響く楽しそうな声にサカズキは眠たくなって、腹も空いた。安心出来るはずもなかった男に安心するようになって、作った飯を食い、共に眠り、そうやって生きていくのだろう。悪くないことのように思えた。失うばかりのサカズキには、久々に得たものだ。
惜しみなく与えてくるなまえには、きっとすぐに慣れるだろう。今までだって慣らされてきた。だからサカズキはただ待てばいい。この日々が、日常に変わりゆく様を、ただ眺めていればいい。

「なァサカズキ、おれ今、すっごく幸せ」

惚けたような声でそういうなまえに、サカズキもいつかは素直に同調出来る日が来るのだろう。それはとても、幸せなことのように思えた。

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