500000 | ナノ


なまえに彼女が出来た、という噂は瞬く間に海軍全体へ広まった。良くも悪くも注目を集める男だ。頭のおかしいあの男が色恋沙汰に興味があったことにまず驚いたが、あの頭のおかしい男に付き合える女性がいることにも驚いた。
どんな女だ、頭がおかしいのか、いやそもそもそれは本当に事実なのか。様々な憶測が飛び交うが、答えは簡単に転がっていた。なまえはなにも隠すことなく、彼女を連れ歩いているのである。
顔は普通、言動がおかしいわけでもない。二人でいる時に声をかければ恥ずかしがり屋なのかなまえの後ろに隠れて顔を伏せてしまうが、「はじめまして、なまえさんとお付き合いさせて頂いております」と挨拶をしてくれるので、むしろしっかりした女性なのだろう。恋仲の関係であるとの証言もしてくれた。どこで出会ったのかは知らないが、あんなまともな女性が何故なまえと付き合っているのか甚だ疑問である。
なまえもなまえで、意外にも彼女を大事にしているらしい。任務の最中は相変わらず頭がおかしいが、終わればすぐに彼女のアパートへ行って、次の任務まで甘い一時を過ごしている様子をマリンフォードに住む海兵が目撃している。

「絡まれなくなって良かったじゃないのォ〜」
「………ふん」
「それとも寂しかったりするのかァい?」
「馬鹿を言うな!せいせいしちょるわ!」

ボルサリーノがサカズキとそんな会話をしたのは2週間前。長年飽きもせず絡まれていたサカズキには、なまえが他に気をとられて近付いてこなくなったことは喜ばしいことであるはずだ。任務の合間に顔を合わせる度、べたべた触ってぎゃあぎゃあ騒いで、ちょくちょくちょっかいを出されていた日常が失せたのである。静かで、過ごしやすくて、自由だ。だからサカズキは、なまえに恋人が出来たことを、喜ぶべきなのだが。

寂しいのか、と聞いたボルサリーノは、何もサカズキをからかおうと思って言ったわけではない。本当にそう見える瞬間があったのだ。それも、一度や二度ではなかった。
なまえが遠征から任務に戻ってきて、廊下を歩くサカズキを見付けたにも関わらず挨拶だけをして通り過ぎていった瞬間。彼女に夢中になっているらしいなまえが、珍しく休暇をとってマリンフォードの港でデートする姿を見た瞬間。彼女の噂を聞いた同僚や上司が「どんな娘なんだ」と問い掛けるのに対して、「一緒にいると楽しい娘だよ」と本当に楽しそうににやにや笑いながら言った瞬間。
なまえの玩具になっていたのはサカズキの方なのに、玩具を取られた子供のような顔をする。本当になまえを疎ましく思っていたならば、絡まれなくなったことでもっと晴れやかな表情をしてもおかしくはないはずだ。しかしここしばらくのサカズキは、なにか物足りないと言わんばかりの顔をしている。なまえと彼女が共にいる姿を見ると、目が二人を追ってしまう。
サカズキは、せいせいした、仕事がはかどる、静かでいい、と幾度も言うが、幾度も言うあたりで意識してしまっているのが丸わかりだ。
せめてなまえの姿が見えなければ、本当にどうでもいいと思えたのだろう。任務先で海賊相手にちょっかいを出してげらげら笑って、サカズキのことなど忘れたかのように楽しんでいることは皆が知っている。それでも本部に戻れば、「サカちゃんは?ねェサカちゃんどこにいる?」としつこいくらい周りに聞き込んで会おうとするものだから、まずもってサカズキがなまえの視界に入れば被害を受けないわけがないのだ。
なまえの中で、スリルが何よりの娯楽で、サカズキをからかうのが一番のスリルだ。サカズキを目の前にして興味がないなど、他のスリルで満足している時くらいだった。それも長続きはしないものだから、こんなにもサカズキになまえが近付いてこないことは今までにない。それも、スリルとは別の、誰かを愛するというまともな感情を持つなど、誰も予想すらしなかったことだ。

良かったな、と誰かは言う。サカズキが絡まれなくなったこと。なまえがまともな人間になったこと。どこか薄ら寒い気味悪さを感じながらも、誰もがなまえの変貌を歓迎した。

    サカズキが、その女性を殺してしまうまでは。

事情はまったくわからない。マリンフォードの海軍本部近くの公園でデートをしていたなまえと彼女の前に現れたサカズキはたいそう怒っていて、容赦なくなまえの隣にいた女性をマグマで焼き殺した。

「うわあああサカちゃんのばかああああ!!」
「やかましい!!このバカタレがァ!!」
「あっ、なんか久々この感じ!!」

恋人が目の前で殺されたにも関わらず、憤ったのは一瞬。サカズキの怒りが自分に向かってくるとすぐさまげらげら笑いだしたなまえに、事情がまったくわからないその場にいた一般市民や休暇中の海兵は戦慄した。
躊躇いもなく人を殺した海軍将校。恋人を殺されたというのに楽しそうに笑っている男。どう贔屓目に見ても狂気の沙汰だ。まともではない。海賊に襲われたかのように散り散りになって逃げ出す市民や海兵を尻目に、閑静なはずの公園は、骨も残さないほど焼かれた女の遺体をオブジェに迎え、サカズキの怒声となまえの笑い声が賑やかに響いたのだった。



    彼女、海賊の家族だったんだってェ〜?」
「えっ、なにが?」

ボルサリーノが真実を知った頃、なまえと偶然本部の廊下で顔を合わせたので世間話のついでに話題を出してみたが、なまえの方は何のことやらわからないといった顔をしている。もうきれいさっぱり忘れてしまっているのだろう。なまえにとっては恋人が殺される惨劇も、数日経てばどうでもよくなる出来事らしい。それもそうだ。なまえは頭がおかしい。誰かを愛することなど出来なければ、人など玩具程度にしか思っていない人間だ。

なまえと付き合っていた女性は、先日なまえがげらげらと笑いながら殺した海賊の妹だった。何故なまえに近付いていたのかといえば、おそらくは復讐のためだろう。なまえに近付いて、取り入って、殺すチャンスを伺っていた。それを知ったサカズキが、海賊の家族を海軍本部に近付けるなんてとんでもない、よし殺そう、お前もなんで見抜けないんだ馬鹿か、とばかりに彼女を殺してなまえを怒ったのである。サカズキは悪くない。ただどんな些細な悪にも容赦がなくて、人を殺すのに躊躇いがないだけだ。

「君が付き合ってた彼女のことだよォ、今となっちゃあ何を思っていたのかわからないけどねェ〜、殺されてたかもしれなかったんだから、サカズキに感謝しなよォ〜」
「…あー、あれか、うん、あれはね、知ってたよ」
「………はァ?」

知ってた、と事も無げに言うなまえに、ボルサリーノは首を傾げる。知っていて付き合っていたということは、それでも構わないと思うほど惚れ込んでいたのだろうか。もしかしたら彼女も、最初は殺す気で近付いたものの、思いの外まともに愛されて気が変わっていたのかもしれない。そう思ったボルサリーノは、まだなまえの異常性を理解していなかった。

「おれに復讐したいのかな、と思って試しに付き合ってみたんだけどね、会う度に色々仕掛けられて楽しかったよ。手料理に毒を入れられたり、抱き締める手にナイフを握ってたり、一緒に寝ると夜中に何かごそごそしてたりね。なかなかスリルがあって楽しめたよォ?」

でもやっぱり、サカちゃんがいちばん。
うっとりした目付きで左腕の火傷を撫でるなまえは、要するに、なにも変わってはいなかった。自分を殺そうとした女を恋人にして、殺されそうなスリルを楽しんでいただけだ。正体を見抜けていないと騙すために、愛しているふりもした。まともな顔で笑いかけた。あの女性も騙されただろうが、周囲もみんな騙されただろう。だから、異常を一番に見抜いたサカズキが異常に見えたのだ。突然なまえの彼女を殺したものだから、嫉妬したのではないかと噂すらされている。実際ボルサリーノも、寂しそうにも見えるサカズキの様子を知っているものだからそう思った。
蓋を開けてみれば、やはりなまえの頭がおかしくて、サカズキは過激なだけだ。なんの変化もない異常な日常の一コマであったことに、ボルサリーノは拍子抜けしたのだった。

「……サカズキなら、執務室にいるよォ〜」
「うん、知ってる。罠仕掛けてきた!」
「………オォ〜……」

噂をすれば、サカズキの執務室の方からガラスが割れる音がして、「なまえ!!」と怒気の籠った咆哮が聞こえてくる。

相変わらずの日常に、それでもサカズキが寂しそうな顔をすることはなくなったので、『だいぶ毒されてるなァ』と思いながら放っておくことにした。もはや全てが、手遅れなのだ。

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