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少しばかり厄介な仕事を暗殺者であるなまえに任せて、約一ヶ月ほどが経った。最初の2週間ほどは頻繁に定期報告という名の連絡がきて「早く帰って若に会いたいよ」とまるで恋人のような台詞を吐いてはいたけれど、2週間を過ぎてからはぴたりとその連絡も止まってしまった。
なまえの暗殺は植物の毒を使う。それをターゲットに摂取させなくてはならないのだから手間も時間も掛かってしまうが、その分静かに殺害することが出来るのが利点だ。ベビー5のように派手に破壊して見せしめにするというよりは、裏から手を回して邪魔者を排除するのに向いている。ターゲットに近づくまでの『準備期間』が必要なことも、彼が失敗して捕まるような可愛げのある男ではないのも、ドフラミンゴが一番よく知っていた。だから急に連絡が途切れたとしても、仕事が佳境に入っているのだろうとまったく心配していなかったのだ。3本の薔薇が、ドフラミンゴの手元に届くまでは。


「…若、これ、なまえの字だわ」

細くて右上がりの癖がある、走り書きの文字。3本の薔薇を結いたリボンに書かれた『for D.D』は、おそらくドンキホーテ・ドフラミンゴ、彼のボスへという意味だろう。なまえが密告や暗号を届けるのに使う大型の鳩は慎ましくベビー5の上空へ一度回旋して、そのたった3本の薔薇だけを落とし去っていった。救援のサインがついているわけではない。任務が終了したという報告にしては回りくどい。なんの意味も汲み取れない、ただの薔薇だ。意味が汲み取れないからこそ、妙に不気味である。連絡が途切れているということも、そして今彼がこなしているはずの任務が厄介でそう易易と救援や調査を出せないことも不安を煽る要素だった。
その薔薇がなまえからのものだと気付いてすぐさまドフラミンゴに届けたベビー5は「なにかあったんだわ」と焦っていたが、その3本の薔薇は次の日も、そしてその次の日も、また次の日にもベビー5を経由してドフラミンゴの元へと届いた。あまりにも毎日飽きることなく届くので、またあの性格の悪い男のお遊びかと片付けられたのだが、ドフラミンゴが何度連絡をしても彼の電伝虫は一度も繋がらないままだ。
同じ繰り返しの日々が1週間を過ぎたところで、徐々に送られてくる薔薇の鮮度が落ちていることにベビー5が気付いた。最初は慎ましい5分咲が8分咲へ、とうとう満開になり、やがて外側がくたびれた状態に変化していくにつれ、ひとつの仮説が浮き上がる。『なまえはもう、この世にいないのではないか』。
なんらかの状態で確保している薔薇を、なまえの飼鳥が運んできているだけではないのか。
ベビー5に調べさせても、なまえを遣いにやった先の島では大きな変化は見られず、さらに内部の詳細を探るには危険も伴う。なまえは普段、ドフラミンゴのファミリーとしては表舞台に立たず、顔も知られていないからこそ潜入ができたのだ。手出しの出来ない状況に歯噛みするドフラミンゴを嘲笑うかのように、毎日続いていた薔薇のプレゼントは1ヶ月を過ぎた頃に途絶えた。送られてきた日数は33日。最後の方にはまるでゴミのように枯れてリボンもつけずに落とされた薔薇は、それでも一本残らずドフラミンゴの部屋へと届けられた。まるでそれが彼の遺書であるかのように。


「薔薇は、贈る本数でも意味が違うの。なまえなりの暗号なんじゃないかって調べたわ」。一番最初に薔薇が送られてきた日に、ベビー5は図鑑を片手にぐずぐずと泣きながらそう言った。あれだけ馬鹿にされて、嫌いだ殺してやると喚いていたくせに律儀に悲しんでいるらしい。「3本の薔薇の花言葉は、『愛しています』」。愛の言葉を意味する花をしつこいくらい贈るくせに、言葉ではけして愛を囁かないあの男がドフラミンゴを愛していることなんて、とっくの昔に周知の事実となっていた。「こんなことになるなら、素直に言ってれば良かったのよ」。確かにそうだ。いつ死ぬかわからないような職業を生業にしているくせ、彼は随分と悠長な生き方をしていた。望めば手に入るものを欲しがらない。手を差しのべても掴もうとすらしない。腹が立って、じれったくて、わざと冷たく突き放すようなこともした。それでもあの男は笑って、「機嫌を直して、若」と愛の言葉を持つ花を匂いに酔いそうなほど捧げてくるのだ。それでも絶対に、その口から愛の言葉は漏れなかったけれど。

なまえが任務に断つ前の日もそうだった。「しばらく会えないね、寂しいね」と白々しくのたまう口を手のひらで塞ぐように押しのけて、「寂しいならそれ相応の態度を示せ」と不機嫌に言い返したドフラミンゴに、彼が用意したのは900本の真っ赤な薔薇だった。ドフラミンゴがいない隙に寝室の大きなベッドへ敷き詰めて、「この花の匂いが消える前に帰ってくるよ」と嘯いた。嘘だった。ドフラミンゴのシーツは毎日清潔なものに変えられ、ベビー5がベッドの上から花瓶の中へ移した大量の薔薇も枯れてしまい処分されている。匂いなど綺麗さっぱり消えてしまって、けれどなまえは帰ってきていない。贈られてきていた薔薇がその代わりなのだとしても、今はもうそれも途絶えてしまった。

ベビー5の置いていった図鑑を、ドフラミンゴは手慰みに開いた。女子供が好みそうな色とりどりの花に添えて、ドフラミンゴにとっては何の意味もない言葉が綴られている。付箋が貼ってあるのは、ベビー5が調べたという薔薇の本数に関する頁だ。
1本なら『一目惚れ』、3本なら『愛しています』『告白』。どうせなら口で言え、とドフラミンゴは悪態をついた。
7本なら『密かな愛』、11本なら『最愛』、99本なら    なまえがドフラミンゴへ1ヶ月と少しの間送ってきた薔薇の総数ならば、『永遠の愛』『ずっと一緒にいよう』だ。
なんて皮肉な話か。永遠だというのなら死んでも帰ってこいと、言ったところではぐらかすように笑って明確な返事をしないような男は今いない。あるいはもう、どこを探してもいないのかもしれない。
それでもドフラミンゴが図鑑を読む目を止めなかったのは、出立の前になまえが贈ってきた900本にも、なんらかの意味があったのかと少しだけ気になったからだ。
108本は『結婚してください』。
900本は、    無かった。
この図鑑に書いていないだけなのかもしれない。なまえほど花に詳しい人間にしか分からない意味があるのかもしれない。けれど、その次の999本の、なまえがドフラミンゴに贈った全ての薔薇の本数の花言葉を見て、ドフラミンゴは図鑑を破り捨てた。ふざけるなと慟哭した。900本の薔薇が敷き詰められていたベッドを切り裂き、3本の薔薇が毎日飾られていた花瓶をなぎ倒し床に叩きつけた。


999本の薔薇の花言葉は、『何度生まれ変わっても、あなたを愛する』。

今じゃなければ、なんの意味もないではないか。

生まれ変わっても、などと馬鹿みたいに悠長な男へ怒鳴り散らしても、ドフラミンゴの声は届かない。部屋の壁に吸い込まれて、虚しく消えるだけだった。


















「若、ただいまー!いやー参ったよトラブル続きでさ……あれっ?なんでこんなに部屋が荒れてるんだい?」

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