500000 | ナノ


なまえの「好き」は、つまり『自分にとって都合がいい』という意味だ。真意を身にしみて理解しているサカズキは、何度彼から好意を示されたところで嬉しくもなんともない。むしろ腹を立ててしまうのは仕方のないことだろう。サカズキの感情を弄び手のひらの上で転がして怒りを向けられることを娯楽とするような相手に好きだと言われたところで馬鹿にされているとしか思えないのは当然だ。だから例えば、恋人へするようにキスをされ、身体をまさぐられ、「おれと付き合って」「ずっと一緒にいよう」と懇願されたところで、それら全てがサカズキの神経を逆撫でするための策略なのだと思っていた。そしてそれは、勘違いでも誤解でもなく全くの事実なのだと、サカズキだけではなく彼の本性を知る誰もが思っていたはずだ。



「さかちゃん、すき」

柔らかく、舌が縺れたような響きでサカズキに好意を伝えたなまえは、端的に言うと酔っていた。
将官ばかりが集まる懇親会という、サカズキにしたら無駄な時間でしかない飲み会の中でアルコールを摂取し早々に潰れてしまったのだ。
なまえとて普段は、「仲良しこよしはそっちで勝手にやっといて」と争いごとの匂いのしないものはさっぱり無視して勝手に遠征へ出掛けてしまうのだが、今回ばかりはセンゴク直々の召集があったのか、なにか興味をそそるものがあったのかは知らないが珍しく顔を出していつものようにサカズキへ絡み、そしていつの間にか潰れていた。
驚いたのは、あまりにもアルコールへの耐性が弱かったことだ。女性向けに出されたジュースのように甘い酒を一口、飲んだ形跡はそれぐらいしかなかったらしいが、それが本当ならばなまえはそれだけでぐでんぐでんに酔っ払ってしまったことになる。
クザンが気付いた時には既に会場の隅で倒れ伏していて、興味のない会に飽きて寝入ったのか、あるいはまた何かの新しい罠なのかと疑ったが、話しかけて見れば呂律も回らず目の焦点も不確かで、頭が痛いから大きい声を出すなと懇願する姿は余計に疑いたくなるほど弱々しかったという。
恐怖を娯楽とし、気違いのように争いばかりを求め、敵味方構わず自分の遊び道具にするなまえはいつだって臨戦体勢を崩さない男だ。余程の無茶をして大怪我を負ったりしなければ、無防備に寝転ぶ姿など付き合いの長いサカズキや、遠征中ずっと生活を共にしている彼の部隊の人間ですら見たことがない。それがアルコール一口でこんなにも前後不覚になってしまうなら、それは紛うことなき彼の『弱点』である。バーサーカーとの呼び声も高い男が持つには随分と可愛らしい弱みだ。他に酔っ払っているものも多数いるなかでなまえのその状況が注目を集めたのはその意外性と、なにより彼が人の感情を弄ぶクソ野郎だからだろう。好かれているか嫌われているかでいえば、圧倒的に嫌われている。演技ではなく本当に酔って前後不覚になっているのなら、この機に多少の仕返しをしたいと思う輩は少なくないのだ。
本人もそれを分かっているらしく、酒で思うように動けない身体を引きずってあっちへふらふらこっちへふらふら、逃げていく途中で何度も何度も壁にぶつかり足をもつれさせ、いくら恨みがあるといえど見ていて哀れになるくらいボロボロの様相で辿りついたのは海軍の母であるつる中将の下だった。その判断は確かに正しい。厳しくも優しいつるを前に無防備な仲間へ危害を加えるなど、いくら相手が海兵にあるまじきクズだろうと、まともな海兵としての良心が自制をかけるものが大半だ。
その大半に入らないボルサリーノはつるの膝元で丸まるなまえを指銃にも近い勢いでつつきながらちょっかいを出していたが、サカズキはどう関わっていいものか戸惑ってしまった。ボルサリーノは普段迷惑を掛けられてる分仕返しすればいいと言うが、こんなにも弱りきっているなまえなど見たこともないのだ。身体が動かないほどの怪我を負ってもニヤニヤと笑う男が、サカズキを見ればしつこいくらいに絡んで怒らせるのをルーチンワークしている男が、こうも弱り果てて無防備に転がっている姿などありえない。罠であるはずだと警戒したサカズキは、しかしサカズキが近づいたことを知るやいなや「ううええあああんさかちゃんやらああああ!!」と本気で拒絶してぴいぴい泣き喚く姿にイラついて殴りつけてしまった。その拳がまた予想外にクリーンヒットしてしまうものだから、サカズキの戸惑いは大きくなるばかりだ。
それで気絶してしまったなまえを、家まで送っていく手筈だったつるに担がせるわけにもいかず、結局はサカズキに責任を押し付けられ、しかしなまえの家の位置も知らないがために自宅へと持ち帰るはめになったのだ。

帰宅して目を覚ましたなまえは、殺さないのかとサカズキに言った。殺されないことが不自然であるかのような言い草だった。そんな状態で殺したところでなんの意味もないと返せば珍しく穏やかに笑い、甘いなと言った。呂律も回らず、ふわふわした声では、サカズキの方が甘やかされているようだった。

「ひゃかゆき、こっち、おいれ」
「…なんじゃァ」

おいで、おいで、と布団の上でゆるゆる手招きをするなまえに仕方なく誘われ、力なく横たわる体の隣にサカズキは膝をついた。なまえの顔は赤らみ、ぺたりと手の甲に触れてきた指先は熱い。不本意ながらなまえとはもう随分と長い付き合いになるが、酒に弱いということも、こんなにも悪意がない姿も初めて知った。まるで見たことのない男のようだというのに、その顔も、サカズキがつけた火傷跡だらけの手足も、紛うことなきなまえのパーツだ。
殴りつけるでもいたずらをするわけでもない手が緩くサカズキの手首をつかみ、弱々しい力で引き寄せた。
ちゅ、と唇の端に吸いつかれ、サカズキは反射的に自由な方の掌を押し付けて顔を突き放すが、その手も掴まれて指の一本一本に触れるだけのキスをされた。嫌がらせの意味が感じられない、子供をあやすようなキスの意味がわからない。振り払ってもまた手をとられ、今度はなまえを転がしている布団の上にまで引きずり込まれた。
もちろん、抵抗なんて簡単だ。徐々に酔いが覚めてきている様子とはいえ、まだ力の入らない様子のなまえはおそらく今なら容易に殺せるはずだ。しかしサカズキの殺意は、なまえの悪意に比例する。穏やかにサカズキを引き寄せ、慈しむようなキスしかしないなまえに対して燃やせる殺意が残念ながらなかった。

「さかちゃん、すき」

すき、すき、だいすき。いつも言われている台詞だ。だいすき、あいしてる、おれのうんめいのひと。それらは全て、なまえにとって都合がいいという意味だ。スリルや危険をこよなく愛し、それゆえに怪物並みの実力を持ち味方でも自分の意に沿わなければ殺すことに躊躇いのないサカズキに目をつけた。彼に好かれるのは不名誉でとても迷惑極まりない屈辱だ。だからどれだけ愛の言葉を囁かれようと、それらは全てサカズキの神経を逆撫でるための皮肉で、例え本心だとしてもそれはサカズキの過激な性格と実力を好いているのだと、そう思っていた。彼の本性を知る誰もがそうだろう。

それが、今はどうだ。
真綿で包むように柔らかくサカズキを抱きしめたなまえは、頭を撫で、頬を擦り寄せ、真っ当な愛情を伝えるかのように何度も何度も触れるだけのキスをしてくる。また何か企んでいるのではとサカズキが身を固くして警戒しても、結局なまえはそれ以上なにをするわけでもなく眠ってしまった。

「…なんのつもりじゃァ」

争いも暴力も命の危険もないふれあいなど、なまえは無駄だとしているはずだ。サカズキを気に入る理由もまともではない。だとしたら、これは一体何のつもりだ。まさか本当に、本気で、真っ当な意味で好きだと言っているのか。そんなまさか。ありえるはずがない、この男に限って。

理解の出来ないものを目の前に並べられたような気分になりながらなまえと同じように無防備に眠ってしまったサカズキは、翌日の二日酔いも終えいつもの調子を取り戻したなまえに「サカちゃんって結局おれのこと大好きなの?馬鹿にされて喜ぶドMなの?変態だね気持ち悪いねあんまり近寄らないでね」と流れるような罵倒を受けて「やはりあの時に殺しておくべきだった」と強く後悔するのであった。

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