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正直に言えば、ほんの少し肩透かしを食らった気分だった。

長い遠征から帰ってきて久々になまえの家へ夕飯を食べに行き、食事を終え、シャワーを浴びる瞬間にスモーカーはいつも覚悟をする。明日は休日で、別段用事もない。なまえも午後からの出勤とくれば、することはたったひとつだ。スモーカーを使ってのなまえのストレス発散、もとい、セックスである。
なまえにとってはそんなつもりはないのかもしれないが、普段優しくて気を遣ってばかりの彼が嗜虐的な様子を見せるのはこの時だけなのだからあながち間違ってもいないだろう。
ロギア系能力者のスモーカーに海楼石の枷をつけ、体の自由を奪って蹂躙する。嫌だやめろと言ってもやめてくれない。焦らして苛んで快楽を与えるだけ与えて、それでも楽にしてもらえるのはスモーカーが泣きながら懇願してからだ。スモーカーの体裁もプライドも引き裂くようなセックスはまともな交際関係とは言えないくらいおかしいけれど、スモーカーは決して嫌なわけではない。嫌ならばもうとっくに切り捨てるか、文句を言っている。
許してしまうのは優越感からだ。ぎらぎらとした欲望を目の奥に宿らせて飢えた獣のようにスモーカーの身体を貪る様子や、終わった後は満腹になった乳飲み子のように無防備に眠る姿が、どちらも恋人であるスモーカーしか見られないなまえであることを知っている。これは彼の甘えだ。仕事でもプライベートでも頼ることが多いスモーカーが、唯一甘えさせてやれる瞬間であり、彼が甘えるのは自分だけの特権だと思うと気分が良くなるくらいにはスモーカーもなまえを好いている。
だから拒まない。させたいようにさせてやる。食事を終えてシャワーを浴びる瞬間に、スモーカーは生贄のような気持ちで覚悟を決めるのだ。泡立てたソープで丁寧に洗った肌をなまえの舌が舐め、噛み付き、指でなぞる。弱い部分を執拗にまさぐって弄りまわし、達する寸前に止めて焦らされる。どんなことをされるかわかっていて、自ら身を清めまな板の上に乗る鯛の心境というものは複雑だ。いっそ痛いだけの暴力なら良かった。気持ちよくなってしまうのが、いたたまれなくて恥ずかしい。今までされたことを思い出し、これからそうされることを自覚して叫びだしたいくらいの羞恥がこみ上げ、それを押し殺して平然とした顔で浴室からベッドへ向かい、なまえがやってくるのを待つ。そこまでが定例の作業だ。いつもは。

この日、スモーカーがいつもどおりに腹を決めて浴室から上がると、大概食事の後片付けをしているはずのなまえはキッチンではなくリビングにいた。リビングの、ソファーベッドの上で腰掛けたまま珍しくうたた寝をしていた。
こっくりこっくりと船を漕いでいるが、スモーカーが隣に座っても起きそうな気配はない。夜中でも少し物音がするくらいで目を覚ますなまえがここまで深く寝入ることは珍しいので最初は寝たふりでもしているのかと思ったが、そんなことをする理由もないし何よりスモーカーがなまえの手に触れても起きなかったのだから本当に寝入っているのだろう。そういえば、クザンに聞いた話では近頃随分忙しかったと聞く。スモーカーの前ではにこにこしていたので気付かなかったが、よほど疲れていたのだろう。いっそベッドに横になってさっさと寝入ってしまえば良かったのに、こんなところで座ったまま熟睡してしまうなんてスモーカーを待っていたからに他ならない。
仕方なく、スモーカーはなまえの脇の下に腕を差し入れて抱え上げ、寝室まで運んで行った。きちっと整えてあるベッドの上になまえを下ろしても、少し身じろぐだけで目を覚ましそうにはない。すやすやと安らかに、深く寝入っている。

正直に言えば、ほんの少し肩透かしを食らった気分だった。
スモーカーはつい先ほど、覚悟を決めたばかりだ。身体を蹂躙され、貪られて抗いようのない快楽を与えられる覚悟。あまり考えないようにはしても、なまえの家でシャワーを浴びていると否が応にも思い出してしまうのはその後に強いられる行為だ。辛くて、苦しくて、それから気が狂いそうなくらい、気持ちいい。嫌がっているわけではないが、進んで誘ったこともない。期待をしていたと言えばそれは嘘だ。
けれど、スモーカーの体はもう既に、火がついてしまっているのである。

「…なまえ」

蚊が鳴くような小さな声で、スモーカーはなまえを呼んだ。すやすや。なまえは深く眠っていて、目を覚ましそうにはない。脱力した手のひらをつついても、無防備に少し開いている唇を指でなぞっても、頑として瞼は閉ざされたままだ。
起こしたいわけではない。疲れているのならゆっくり休むべきだと思う。スモーカーとて、遠征続きできちんとしたベッドに寝るのは久々だ。なにもせずに眠りにつけるのならそれに越したことはない。それは本音だ。けれど。    けれど。

スモーカーはなまえを丁寧に毛布の中に埋めて、自分もその中に潜り込んだ。海兵二人が並んで寝ても余裕のある大きなベッドの中で、窮屈なくらい肌をくっつけて横たわる。目の前には恋人の顔。何をしても起きない。

「………」

スモーカーはずりずりと頭を寄せ、静かになまえへキスをした。一回、二回は触れるだけのもの。三回目は、ゆっくりと舌を差し込んで口内を舐めるようなキス。手を握って、額を首筋に擦り寄せて、胸元に耳をつけると心臓の音がする。
こんなふうに、無駄にくっつくだけの行為は少ない。スモーカーから仕掛けるものとしては、もはや初めてにも近いのではないだろうか。抱きしめるのもキスも愛撫も、全てがなまえからだ。何もしなくてもなまえが手を伸ばしてくるから、スモーカーは何もしないでいられた。

握った手を引き寄せて、指を一本一本さすりながらもう一度キスをする。止まらなくなって二度三度、そのうち貪るように舌を絡めて反応のない唇にかじりつくと、さすがに息苦しさを感じたのかなまえの口から小さく声が漏れる。「すも、か、くん?」。ふわふわとした声でスモーカーを呼んだ口の端が、とろりと唾液をこぼした。それを舐めとり、乞うように手を握る。なにも言えなかった。誘う方法を、今まで一度も誘うことがなかったスモーカーは知らなかったのだ。

「なまえ」

媚びるように呼ぶ声が我ながら浅ましくて嫌になる。名前を呼んで、手を握って口付けて、身体を押し付けるようにのしかかって。余裕のないスモーカーに迫られたなまえは、甘ったるい顔でふにゃりと笑って、それから、もう一度寝てしまった。

「…寝るのかよ」

すやすや、先ほどよりも安心した顔で寝入られてしまっては、さすがにもうこれ以上ちょっかいを出すのもかわいそうだ。最後に一度触れるだけのキスをしたスモーカーは諦めて自分も眠ることにした。じりじりと焦がすような熱を、身体の中で押し殺しながら。



※※※



「…起こしてくれれば良かったのに」
「疲れてんだろ、休めよ」
「…スモーカーくん、明日からまたしばらく遠征じゃないか…」

朝起きてそうそう、なまえは太陽が登っていることを確認して絶望したような顔をした。どうやら昨晩ベッドに入ってから一度目を覚ましたこともさっぱり覚えていないらしい。寝不足でまだ眠気の残るスモーカーは、なまえのぼやきを聞き流し二度寝をしようと目をつぶる。しかしそれを阻止するように、ちゅ、と音を立てて頬に口づけられ、うっすらと瞼を開けた。

「…キスだけ」
「…構いやしねェが」

まるで昨晩と立場が逆だ。息を漏らして少し笑うと、なまえは首を傾げてその意味を問うてくる。「なんでもねェよ」と頭を引き寄せて、もう一度布団の中に引き入れた。どうせなまえも出勤は午後からだ。たまにはゆっくり朝寝を楽しむのもいいだろう。

「…あのねスモーカーくん、おれ、すごく良い夢見たんだよ」
「そうかよ」
「続き見れたらいいな…」
「寝ろ」
「うん」

最後にもう一度キスをひとつ。されて思うのは、やはり自分からするよりずっと気持ちがいいということだけだ。

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