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「やりたいなら、メスとやれば?」

認めよう。このとき確かに、なまえは言葉を間違えた。
時折気まぐれで仕掛ける意地悪のつもりではなかったのが尚更悪かったのかもしれない。本気で言っているのだと察したらしいルッチは、目を丸くしてからすぐに眦を吊り上げ、そうしてなまえを張り倒した。痛みと脳が揺れる衝撃で意識を手放したなまえがもう一度目を覚ました時には、既に誰もいなかったのだから弁解のしようもない。ルッチをすっかり怒らせてしまった。

唐突だが。ルッチは今、発情期だ。
確かに、本物の豹ならばそういった季節である。本能に従って交尾を行い、子孫を残す時期だ。彼は分類的に霊長類ヒト科に属しているはずだが、その身に宿した悪魔の力は身体能力に直接作用するというのだから、獣の本能というのも組み込まれてしまうのは不思議なことではないのかもしれない。なまえからすればなんとも難儀なことだ。年がら年中発情期の人間でありながら、さらに抗いようのない獣の衝動まで上乗せされてしまうなんて。
その上、ルッチはまだ年若く、その見目の良さから女によく求愛されているという噂はいくら人間同士の関わりに興味のないなまえとて小耳に挟んだことがある。日常の中で幾度となく発情したメスにあてられているならば、それはいくら自制の効く人間だとて耐えるには辛いはずだ。かわいそうに、と思う反面、我慢せずにさっさと発散させてしまえばいいのにとも思う。禁欲するのがCP9の掟というならばまだしも、恋多きジャブラの様子を見るにそんなこともないはずだ。相手ならそれこそ掃いて捨てるほどいるのだろうから、さっさと種付けでもなんでもして楽になってしまえばいいのに。    と考えてしまうのは、もしかしたらルッチにとって面白くない意見なのかもしれない。

先ほど、人気のない庭先で仕事をしていたなまえの前にいつものように前触れもなく豹の姿で現れたルッチは、あからさまに様子がおかしかった。「どうしたの」となまえが優しく話しかけて首筋を撫でてやると頭を腹に押し付けてきて、ぐりぐりと甘えるように擦りながら、徐々に首筋の方にまでせり上がってくるのと同時に少しずつ人間の姿へと戻っていく。黒髪の、人相の悪い青年に戻ったルッチはなまえの首筋に噛み付くと、そのまま地面になまえを押し倒した。体は熱く、息も少し荒い。もしやこれは、となまえが気付いた瞬間、ルッチはねっとりとしゃぶるようになまえの唇を舐めたのだ。普段は愛想の欠片もないルッチが進んでこんなことをしてくるのは初めてのことだった。彼らしくもない、乞うような愛撫。だからなまえは驚いて、思ったことをそのまま言ってしまったのだ。「やりたいなら、メスとやれば?」と。確実に失言である。

言い訳をさせてもらえるのなら、これは別に、ルッチを拒絶したわけではない。ルッチの性格を考えれば自ら進んで犯されにきたというわけではないだろうし、しかし慣れているどころか一回もそういった用途で使ったことのないなまえの穴に挿れたところでお互い良くはならないだろうという配慮からだ。動物の中では同性同士で交尾の練習や発散を行なう種族もあるが、人間のオスはその例ではない。勢いに任せてしまえば怪我や感染症は必須だ。それならまだそこらへんの女を使った方が、受け入れるための穴を持っているのだからそれなりにスムーズに、なおかつ気持ちよく発散出来るのではないかと提案しただけの心積もりだったのだが、まあ思い返してみればなまえはこの時完全に言葉選びを間違えていた。他で発散してこいと、それを本気で言っているのだと察したらしいルッチは、目を丸くしてからすぐに眦を吊り上げ、そうしてなまえを張り倒した。なまえが気絶から目覚めたころには、既にその場には誰もいなかったのだ。弁解のしようもない。確かに本心ではあるのだが真意は他にあるのだと、ルッチのためを思って言ったのだと、まァ、言ったところで聞き入れてもらえる確立は低いが。

さて、どうするかと考えるのはこの後のことだ。ご立腹になった殺戮兵器がなまえを怒りのまま始末してしまうのは簡単なことのはずだが、張り倒されたくらいで放置されたということはまだ猶予が残されているらしい。あるいは、動揺して殺すのも忘れていたのか。
言葉遊びを楽しむようにからかう程度の意地悪をしたことはあれど、なまえが本気でルッチを突き放したことはなかった。甘やかしていたのだ。人間に興味のないなまえが唯一愛した人間がルッチであり、ルッチもそれを知っていた。だからこそ、唐突に拒絶されて動揺でもしているのだろう。そして今頃は冷静になり、大層怒りに震えているはずだ。手に取るようにわかるのが愛らしい。
ルッチが怒っているならなまえが謝ってなだめすかして甘やかすのがもはや日常茶飯事と化しているので今更そうしてやるのはやぶさかではないが、それはルッチが目の前で怒りを顕にしている時の話だ。怒らせたまま別れてしまうことは今まで一度もなかったため、こうなってしまうとなまえが謝るためにはまずルッチに会いにきてもらう必要がある。庭師のなまえがCP9のルッチに会いにいくことは立場上不可能だ。他の目を盗んで彼の部屋に忍び込むということも出来る気がしない。なのでルッチから会いに来てくれないと言い訳も謝罪も出来ないのだから、なまえはルッチの行動を待つしかない。数日中に会いに来るか、もしくはもう愛想を尽かされてしまったかな、と呑気に考えながらやりかけだった仕事を終え、その日は部屋へ帰って寝て、翌日もいつも通りに仕事を終えた。ルッチの気配は欠片もなく、今日は来ないかと諦めて帰った部屋のドアを開いた瞬間のことだ。なまえはつい、「面倒くさいなあいつ」と思ってしまった。

今朝までは普通の、なんの飾り気のない部屋の壁は大きな爪痕であちこちが削れ、ベッドは破壊され、小さな鉢植えはひっくり返されて床が土まみれになっていた。
犯人など探さずとも一目瞭然だろう。鉢植えくらいなら他の使用人の嫌がらせかと放置出来るが、これはおそらくルッチからのメッセージだ。謝りにこいってか。そう簡単に会いに行けるわけではないと知っているくせに。面倒くさいなあいつ。
仕方なしになまえは、入った部屋のドアをそっと閉じ、踵を返してもう一度外へ向かった。ハットリのために作った巣箱に、先日咲いたばかりのヒヤシンスでも差し込んでおこう。色は紫。花言葉は「please forgive me」、    つまりは「ゆるしてください」、だ。



※※※



「いらっしゃい。ベッドも椅子もないけど、どうぞ座って?」

床にね、とわざとらしく勧めると、窓からの侵入者は思い切りなまえの肩をどついて痛めつけるように胸を鋭い爪で引っ掻いた。血が滲む肌をシャツの上から擦り、「冗談」と首を傾げてキスをする。殴られる。唸る喉は威嚇の音だ。
しかし少し撫でるだけで大人しく体を擦り付けてくる様子を見ると、どうやらまだ発散はされていないらしい。「ルッチ」。優しく名前を呼んで、鼻先にキスをして、大きな体をなだめるようにゆっくりと撫でた。のしかかってくる前足はそのままに、「昨日はごめんな」と囁く。「女との方が、君が楽になれると思ったんだよ」。言い訳と突っぱねるならそれでもいい。なまえは命乞いをするつもりはないし、嘘をつくつもりもない。けれど、こうやって不機嫌そうにしながらもわざわざなまえに会いに来たということは、言い訳や謝罪を聞きに来たということに他ならないだろう。

「放っといてごめんな。辛いだろう、おいで」

膝の上に乗せるように抱きしめると、腕の中で立派な体躯の豹がざわざわと毛皮を波立たせて人間の青年に変化していく。ぶすくれたような顔は、不満を示してはいるがなまえを殺すつもりはないようだ。黒く艶やかな髪を梳いて、額や目元にキスを落とす。ちゅ、ちゅ、と音を立てて触れる度に肩を震わせ熱っぽい息を吐くルッチは、なまえのシャツに手を伸ばし先ほど爪で引っ掻いて破けたところを裂くように脱がせていく。血の滲む皮膚に舌を這わせ、さらに興奮した様子で息を荒くするルッチを、なまえはそのまま持ち上げて後ろを向かせた。

「………」
「そんな顔をしないで、嫌なわけじゃない。やり方を少し変えるだけだ」

背面座位という、ルッチには手を出しにくい体勢に今度こそ殺されそうなくらいの恐ろしい目つきで睨まれたが、なまえは何も犯されてやるつもりでルッチに謝ったわけではない。女相手の方がいいだろうという意見は変わっていないし、なによりそう、一日置いて冷静になって思い出したのだが、確か猫科の動物の性器は、凶器にも近い形状だったはずだ。もしルッチが途中で興奮して能力を使ってしまったら、その時点で確実になまえの尻はお陀仏である。噛まれたり引っ掻かれたりはルッチなりの甘えた表現なので耐えるのもやぶさかではないけれど、怪我をした上にお互い気持ちよくないのではなんの解決にもならないではないか。

「大丈夫、お前が嫌がることはしないよ」

安心するように優しく囁いて、頬に何度か口づけた。ルッチの鋭い目つきはまだ睨むようになまえを見ているが、なまえがルッチのズボンのベルトに手を掛けると、そちらの方に意識がいったようだ。ゆっくりとベルトの留め金を外し、くつろげた前開きの隙間から手を差し込んでいく。既に熱くなっているそこに指を這わせ、軽く擦り上げるとルッチの体が揺れた。前を向いて俯いてしまっているのでなまえからはつむじしか見えないが、抵抗しないということはとりあえず承諾するという意味だろう。「いい子だね」。耳朶に唇をつけて囁き、力加減を調節しながら刺激を与えていく。小さく震える脚や、ほんのりと赤く染まる首筋。先端から溢れてくる粘液で、反応が少なくても良いか悪いかくらいはわかる。無言で腕を握られて、潰されそうなくらい強く掴まれる意味も。

「う、っ」

小さく声を漏らして達したルッチは、しかしすぐに腰を揺らしてなまえの手を引いた。うつむいたままで顔は見えない。何を言うわけでもない。けれどなまえには、ルッチの言いたいことなど手に取るようにお見通しだ。

「…ルッチ、おれの腕、折らないでね」

首を振る代わりに振り向いたルッチは、鰹節をしゃぶるようになまえの唇に噛み付いて啜った。

約束するつもりは、どうやら全く、ないらしい。

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