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「おれから離れるなって言っただろ」

真剣な声色で言われた台詞は、窮地に助けにきてくれたヒーローの言葉ならばさぞかし格好がついただろう。しかし残念ながら時は深夜、ベッドの上。戦争でも起きない限りは平和なマリンフォードでのことである。
さらに言ってしまえば、なまえがボルサリーノに「離れるな」という理由はボルサリーノのためではない。なまえがボルサリーノなしでは眠れないからだ。

「…オォ〜…起こしちまったかァい?」
「こんな暗闇でごそごそやられたら起きる」
「悪かったねェ〜」
「…いいから、顔を見せてくれ」

明かりを消した真夜中は、カーテン越しに光る月以外に光源がない。目の前にいるはずの人間すら輪郭が不明瞭な暗闇は、なまえにとって恐怖でしかないだろう。つい緩んでしまった口角を悟られないよう引き締めながら、ボルサリーノは自らの体で光を点した。不安げに歪んでいたなまえの表情が、一瞬光に眩んで引き締まり、それからうっすらと開いた視界でボルサリーノを確認すると、すぐに安堵したように緩む。

「…どこに行くんだ?」
「トイレだよォ」
「おれも行く」
「すぐに戻ってくるってェ、寝てればいいじゃないのォ〜」
「…お前、わざと言ってるだろ」

思わず緩んでしまった口角に、なまえが拗ねた顔でボルサリーノの肩を軽く殴った。軽くと言えど覇気をまとった拳は少々痛かったのだが、文句を言える立場ではないのだろう。確かにボルサリーノはわざと意地悪を言っている。なまえがボルサリーノなしでは暗闇の中に一分といられないことをわかって、遠ざけようとしているのだ。何もなまえが鬱陶しいというわけではなくて、ボルサリーノしか頼る人間がいないとばかりに縋るなまえを見たいがために。我ながら性格が悪いのは重々自覚している。

暗闇が恐ろしいとなまえは言う。まだ経験の浅い新兵だった頃、彼は夜襲に遭った。海軍の中に裏切り者がいて、海賊の根城に奇襲をかける作戦の情報を横流しされたのだ。夜の闇を利用した海賊達は、なまえを初めとした部隊が乗っていた軍艦を落とし、夜の海に放り出した。
海賊の嘲笑う声。ぽつぽつと周りに灯る松明に照らされながら、殺されていく同僚の姿。海王類か何かに食われたのか、水面に浮かぶ誰かの腕。
海戦訓練を受けても、悪魔の実を食べていなくても、人は水の中では無力だ。ただ一方的に殺戮されていく仲間を眺めるしか出来なかったなまえは、幸か不幸か運が良かった。船の上から魚を獲るように海兵を殺していた海賊からも、おこぼれに預かって食事にありついた海王類からも、夜の闇に紛れて見付からず波に流されて翌朝近くの島に漂着した。
裏切られ、仲間を殺され、敵を前にしながら戦うことも立ち向かうことも出来なかった惨めな姿で見知らぬ島の砂浜に辿り着いた時、なまえは「返そう」と思ったという。仲間が受けた痛み、恐怖、屈辱。死ぬことも出来なかった自分が返さずして、生きる意味などあるだろうか。いやない。これは神からの天命だ。仲間の恨みは必ず返す。痛みも恐怖も屈辱も、倍にして必ず。

それからというもの、なまえは変わってしまった。仲間に裏切られ、殺されかけた恨み辛みをバネにとても強くなった反面、陽気で前向きな性格は影もなく消えた。警戒心が強く、卑屈で、陰鬱としていて、残虐な人間だ。
なまえは海賊と戦う時、まず目を潰す。視力を奪った後で嬲り殺し、高らかに嘲笑ってトドメをさすのだ。どう贔屓目に見ても決して正義とは思えない戦い方に、なまえを敬遠するものは多い。しかし彼と昔からの付き合いであるボルサリーノは、それを良しとした。以前の能天気な彼よりも、今の陰鬱な彼を好んだ。理由は簡単だ。実力社会のこの戦場では、生き残ってこそ価値がある。どんなに残虐であろうとそれが海賊という悪に向けられる刃であるなら、彼は正義だ。目を潰そうが、痛めつけようが、インペルダウンの拷問となんら大差ないではないか。

しかしなまえは無差別に復讐を果たしていくのと同時に、あの夜以来闇を恐れるようになっていた。真っ暗で自分の手元さえ見えない闇の中、海に放り出され、仲間が殺される姿や悲鳴、いつ死ぬかもわからない恐怖を思い出してしまうのだろう。煌々と明かりを灯しても、いつ消えるともしれないランプや松明程度の光源では心許ない。夜が来る度に怯え、太陽が顔を出す暁の頃にようやく眠りに落ちる暮らしをしばらく続けていたという。
ボルサリーノが彼と部隊を組んだとき、太陽が沈んでも、雨が降って火を点せない時でも、自らが光源となれるボルサリーノを見て、彼は心底落ち着いた表情を見せた。「お前といると安心する」と言ってギリギリまで張り詰めていた神経を緩め、疲れ果てたように眠った。彼の無防備な姿を見たのは、久し振りのことだ。
それからというもの、なまえは日に日にボルサリーノへ信頼を寄せ、街灯にたかる虫のように惹かれた。なまえは安堵と恋慕を勘違いし、ボルサリーノを求め、今ではずるずると恋人同士である。
なまえがどうしてボルサリーノを好いたのか知っているサカズキなどは「情けない」と蔑んでいるが、彼は勘違いをしている。いくらボルサリーノがなまえの光になれたとして、突き放すのは簡単だ。ボルサリーノは意図してなまえの前で光を絶やさなかったのだ。
夜は共にいた。闇を嫌えば光を与えた。裏切りを怖れるならば崩れない信頼を築くために態度でも言葉でも示した。彼が暗闇を嫌い、光を欲していると知っていて傍にいたのはある種の企みだ。なまえの弱味につけこんだボルサリーノは、サカズキやなまえが思うように優しい人間では決してない。人を信じなくなった彼がボルサリーノの前で無防備に眠る姿を見て、『欲しいなァ』と思ってしまったから、今があるのだ。



「…おい、ボルサリーノ」
「んん〜?」
「なんでお前、ちょっとずつ暗くなってんだ、お前…!」
「オォ〜…そうかァい?」
「そうだろ!お前!そういうイタズラはよせって言ってんだろ!」
「寝惚けてんのかねェ〜」
「さっさと!ションベン!してこい!」

大の男が二人、連れだってトイレまでの廊下を歩く道すがら、なまえの前を立って眩しいくらいに体を輝かせ、ランタン代わりになってやっていたボルサリーノは、少しずつその明るさを落としていった。無論これもわざとだ。意地の悪いことをするなとぷんすか怒るなまえは、けれどボルサリーノから離れようとはしない。意地の悪いことをしても、それが単なる戯れだと思えるほど甘やかしてきたのだから当然だ。
ボルサリーノは裏切らない。ボルサリーノは敵にならない。ボルサリーノは自分の光になってくれる。
そんな信頼にも似た思い込みをボルサリーノは長い時間を掛けて刷り込んできた。今では暗闇でもボルサリーノが傍にいれば眠ることが出来るようになったし、多少意地の悪いことをしても怒るだけで裏切られたと感じはしない。
無垢なほどボルサリーノを絶対だと信じている様子のなまえを見て、ボルサリーノが酷いことを思っていることをなまえは知らない。彼が夜襲に遭って良かったと、ボルサリーノはなまえに求められるようになってそう思った。彼の部隊を襲った海賊に感謝すらした。そんな外道を考えているとも知らず、なまえは犬のようにボルサリーノの後をついてくるのだ。それが哀れで滑稽で、とてもいとおしい。

「ほんとに、しょうのない男だねェ〜」
「うるさい、嫌なら見捨てろ」
「思ってもないくせに、よく言うよォ」
「…お前がおれを見捨てるわけないだろ、ボルサリーノ」

矛盾した言葉。根拠のない自信。縋るように引き寄せられた腰に、ボルサリーノは目尻を下げた。

「当たり前だろォ〜…、見捨てるわけがないじゃないのォ」

こんなにも、かわいくてどうしようもない、馬鹿な男を。

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