サカズキ長編 | ナノ


自分達の二期上に頭のおかしい先輩がいる、という噂は、海軍に入隊したばかりのクザンの耳にも届いていた。
いつもげらげら笑っていて、喧嘩を売るのが大好きで、何を考えてるのかわからない男。目をつけられたらノイローゼになるまで追い詰められてしまい、逃げ道は死しかないという、どうにも悪霊か化け物の類にしか聞こえない眉唾物の話だ。そもそもそんなやつが何故海軍に入隊したのかも疑問である。
しかし彼を担当したことがあるという教官は、とても真剣な表情で忠告したのだ。「お前は目をつけられそうだから、気を付けろよ」と。

適当に聞き流してしまっていたクザンは、今ここに教官を呼び出して問い詰めたい。

    気を付けろって、一体どうやって気を付ければよかったんですか、先生。


「…あの、なにか?」
「えェ〜?別にィ〜?なんでもォ〜?」

にたにたと笑いながら、品定めするような目でクザンを眺めながら周りをぐるぐると回っている男。名前は知らない。顔も初めて見る。しかしすぐに彼が誰だか理解した。おそらくはこの男が、噂の頭のおかしい先輩だ。

「おれ、訓練あるんスけど」
「ねェねェ、君がクザンくんだろ?」
「おい話聞けよ」

やる気がなさそうだと評される目付きとは裏腹にすぐ熱くなるクザンは、決して気が長い方ではない。若さゆえのキレやすさは、しかしこの状況では責められる謂れなどないだろう。不躾にじろじろと観察してくる目は明らかに挑発をしていて、先輩相手といえども口が悪くなってしまう。しかし彼は機嫌を悪くするどころか、口が裂けそうなほど唇の端をあげてにんまりと笑い、「おいおい後輩が先輩に向かって生意気な口聞いてんじゃねェよォ」とわざとらしく偉そうに指導してくるのだ。
クザンは新兵とは思えないほど突出した実力でやっかみを受けることも少なくはなかったが、こうもあからさまに口を出してくる人間は初めてだった。少し脅してやれば黙るだろうかと、実力主義の海軍の流儀に乗っ取って拳を握ったクザンは、少し驕っていたのかもしれない。自分に敵う人間はそうはいないだろうと思っていた。確かにそれは事実である。新兵のクザンは、この時既に将校と同等の実力を持っていた。海軍の、ましてや二期離れた程度でまだまだひよっ子の部類に入る先輩に負ける確率など、9割9分ない。しかし彼はその、残りの一分に入る存在だったのだ。それをクザンは見抜けなかった。なにせ彼に自分を攻撃する意志など、全く見えなかったので。

振るった腕をかわされて、代わりに横っ面をひっぱたかれた。ぱちん、と何の威力もなく綺麗に入った平手は、クザンをコケにしていることがよくわかる。簡単に攻撃をかわされたこと、そしてあっさり反撃を受けたことに、ぽかんと驚いたクザンを彼は嘲るように鼻で笑った。

「なんだァ、強いって聞いたからわざわざ来たのに、期待はずれだァ」
「…………は?」
「クザンくゥん、よわっちィねェ。調子乗ってるみたいだから、さっさと実戦に出て死んじゃえばいいのにねェ」
「………はァ!?」
「目障りなんだよキミ、わかんない?ちょっと強い程度で調子に乗って、馬鹿みたいって、みんな思ってるんだよォ?ただ同期のみんなよりは強いから、なんにも言えずにお友達のふりしてるだけで」
「…そりゃ…、ご忠告どうもォ…!」
「あっ、怒った?怒ったァ?ごめんねェ!本当のこと言っちゃって!実戦が怖くなっちゃうよねェ!お友達のことも信じられなくなっちゃうよねェ!!ごめんねェ!!アハハハハハハハハ!」
「…っなにを笑ってんだクラァ!」
「んははははははははははは!!やめてよォクザンくんこわァいひははははははははははは!!」

げらげらと腹の底から笑う声がとても耳障りで、クザンはどうにも我慢が出来ずに彼を殺すつもりで本気を出した。

それこそが彼、カルデラという男にとっては好都合であるとは、何も知らずに。


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